「2019年 7月」の記事一覧

したい表現ができるようになるためのレッスン

音楽を作っていく上で、「どう感じるか」ということはとても大切です。どんな曲にしていきたいかというイメージを作っていく。

同時に、技術的な側面として、「どうしたらその表現ができるようになるか」ということもとても大切です。

和音の中の一つの音を聴かせたい時

先日、湯山昭「お菓子の世界」の中の「ボンボン」をレッスンしました。この曲は、とてもおしゃれですてきなワルツです。

メロディーは子指で弾く。内声があって、そこを親指と中指で弾く。そんな部分があります。

どうしても、親指と中指のほうが力があるので、子指で弾いているメロディーが聴こえなくなっていました。

「子指の音を意識して聞こえるようにしましょう」では、なかなか聴こえてくるようにはなりません。もちろん、メロディーを意識することは重要な第一段階です。

でも、私自身が受けてきたレッスンを振り返っても、そこで終わっている場合が多かったように思います。

手をどのように使えば、メロディーが浮かび上がるように弾けるのか、ということを示していく必要があります。これがレッスンの重要なポイントです。

手首の位置、手の傾け方、手を鍵盤に入れる時の方向、小指の支えの作り方。こういうことを確認していきます。

歯切れの良い音色にしたい時

同じ「お菓子の世界」の中のチョコバー。こちらでは、フォルテの響かせ方です。メゾピアノから始まり、フォルテまでだんだん強くなっていく。

せっかくですから、同じ音色が並ぶのではなくて、音の色合い、響きも変わっていくと、より魅力的です。

こちらも、手の使い方を話しました。指を伸ばして、支えを意識して斜め奥に入れていく。この手の使い方をすると歯切れの良い響きのフォルテが出ます。

もちろん、肩、肘の使い方も大切です。力がしっかり鍵盤にのるようにします。

自分の引き出しを増やす

私自身の引き出しがどれくらいあるか、ということはレッスンの質に関わってきます。

先日のガブリーロフに一緒に行った、大学時代の先輩でもあり今は同門でもあるピアノの先生も「自分が勉強することで、レッスンが変わったのよ。」と言っていましたが同感です。

どうしたら、自分の持つイメージが表現できるようになるのか?どうしたら、ほしい音が出せるようになるのか?どう手を使ったら弾きやすくなるのか?

それをできるだけ「具体的」に教えることができるようになること、これが大切だと考えて、また私もしっかり勉強していきます。

設計図を書くみたいな感じですね

大人の生徒さん。技術者として、お仕事をなさっている方が、先日のレッスンでこんなことをおっしゃっていました。

芸術は感性が重要だと思っていた

発表会に向けて、とても熱心に練習していらっしゃいました。まだ始めて間もないので、今回は連弾曲ですが、両手の動きのある曲にチャレンジです。

左右1オクターブ違いで同じメロディを演奏する部分の右手ですが、指遣いが良くなかったため、フレーズの途中でポジションを大きく移動することになり、途切れてしまっていました。

いっしょに楽譜を見ながら、「このミは1回めは3の指を使うけれど、2回目は4の指を使って、こう動いていくと途切れません。」とゆっくり確認していきました。

「なるほど。らくに繋がりました。」「指遣いをそれほど意識していませんでしたが、こうやって追っていくと、きちんと弾けるのですね。」

「芸術は感性が重要だと思っていましたが、技術者が設計図を書くみたいなこういう部分があるんですね。」

そうです。もちろん、「感じること」がとても重要であることは間違いありませんが、実は、計画的に行う部分もたくさんあります。

特に指遣いは大切

特に指遣いは大切だと私は考えています。それは、私自身の手が小さいことも理由としてあるかもしれません。

外国版の楽譜の場合、特に多いのですが、「この部分、この指遣いで弾けるの?」と感じることがあります。

また、ゆっくり確実に弾く練習は欠かせませんが、そのときも、指遣いを書き込んであると、常に同じ指遣いで練習することができます。

実は、書き込まずに練習していた時、ゆっくりの練習の時と、テンポを上げて弾いた時の指遣いが違っていて、練習の意味がなかったことがあり、それ以来、指遣いは、最初の段階で書き込むことにしたのです。

レッスンに来ることで分かることがある

「今日、レッスンに来て、どこに問題があるかということと、解決方法がよく分かりました。」と言っていただきました。

同時に、音の出し方をレッスンしている中で、「奥が深いですね。」という感想もおっしゃっていました。

レッスンを始めてから3ヶ月。着実にご自身でも成果を感じています。何よりも、短期間に両手で弾けるようになってきました。

音を楽しむ「音楽」。レッスンに来ることで、近道が分かる部分がたくさんあります。同時に、奥深さを感じる部分もたくさんあります。

だからこそ、楽しい。だからこそ、ずっと続けられるのだと思います。

「一生の趣味にしていきたいです。」とおっしゃって帰っていかれました。お手伝いができて、本当にうれしく思っています。

2019.07.02

「そこに存在するだけ」の音

昨日は自分のレッスンに行ってきました。音色の変化、違いというものについて、大きく学ぶものがありました。

バッハのフランス組曲4番。最初のアルマンド。練習で弾きながら「ここはこういうイメージを作りたい」と 音色について自分なりに考えて、レッスンに持っていきました。

そこに存在するだけの音

実際に先生のピアノで弾いてみると、家で練習したのとはまた違う感覚があります。

ピアノの響き方が違います。フルコンで、年数もある程度経っていて、本当によく鳴りますし、繊細なタッチにすべて応えてくれる楽器です。

だいぶ工夫していったつもりですし、後半の高音で始まる部分は、静かに静かに響かせたい、そして最後の部分は厚みのある温かい音、チェロの低音のような響きがほしいと思っていました。

私が1回弾き終わると、先生が「後半、こんな感じだとどうだろう?」と弾いてくださいました。

その響きを聴いた時、「静謐」という言葉が頭に浮かびました。静かで穏やかで本当に美しい。

「高音を弾いた時に、指を動かすと、響きが上がるけれど少し広がっていきます。これはほんとうに置くだけ。結果として、『そこに存在するだけ』の音が出ます。これは、弾く人も聴く人も非常に緊張感が必要になる音です。」

もう一度弾いてくださいました。「今、1段目は置くだけ、2段目はほんの少し動かしています。」

手首の力が抜けると響きが変わる

後半の2段。私の音は何だか薄い感じがしました。「もっと温かくて厚みのある音にしたいのですが、何だか薄くて。」と伺うと、「もう少し腕の重みを乗せてみたら?」ということでやってみました。

音は大きくはなりましたが、なにか違います。「もう少し回転させてみたら?」ということで、あれこれやっていたのですが、回転を意識しているうちに、ふと手首が固まっていることに気づきました。

ポジションを上げること、腕の付け根からひじまでの下側の筋肉を意識することに目が向いていたため、手首が固まっていました。

気がついて、手首の力を抜くと、響きそのものが大きく変わりました。

自由で豊かな表現を目指す

自分でイメージを作る時に、自分の持っている範囲で色をつけようとします。先生の音を聴くと、「もっとこんな色もある」「もっとこういう色合いもある」ということを毎回感じます。

ちょうど、12色の色鉛筆と500色もある色鉛筆の違い、さらに、色鉛筆よりももっと繊細にグラデーションがつけられる水彩画との違いです。

一昨日のガヴリロフの演奏もそうでしたが、1つ1つの音、そのものの幅をどれだけイメージでき、実際に演奏で表すことができるか。

そこにかかってくると、改めて思いました。自分でももっと自由な、もっと豊かな表現ができるようになりたい。

今週はそれを課題にしていきます。

2019.07.01

アンドレイ・ガヴリロフリサイタル

昨日は、横浜までアンドレイ・ガヴリロフのリサイタルを聴きに行ってきました。

実は、なかなか言葉が出てきません。

どうしてだろう、とずっと考えていました。そして、ようやく、言葉ではない部分、言葉にならない部分で受け取ったものが多すぎて、言葉が出てこないのだということに、気が付きました。

一つ一つ、「批評する」ように書くことも、時には必要かもしれません。でも、あの演奏を聴いて、分析して批評的にあれこれ書くことに何の意味があるのだろう?と思いました。

ただただ「すばらしいものを聴いた!」という感動だけです。

どれほどの音色があるのだろう?ほんとうにさまざまな音が聴こえてくる。語りかけてくるような音、悲しげな音、楽しそうな音。1音ずつがほんとうに生きて意味を持っている、という感じ。

フォルテの時には、聴こえてくるだけではなく、響きが直接伝わってくる感じ。

音楽が一つの宇宙として、無限の広がりをもって感じられる、あの響きを直接聴くことができて、ほんとうに幸せでした。

あまりにすばらしくて、会場を立ち去り難く、並んでプログラムにサインしていただき、握手もしていただきました。

とても大きくて厚い手。この手からあの素晴らしい響きが出てくるのだと、また感心。

このプログラムは宝物です。

最後に、大阪のホールのチケット販売ページに掲載されてた御本人の文章の一部をご紹介します。

  音楽に対する私の新たなアプローチは、直観的経験の積み重ねでアマチュア的になされてきた解釈方法を、 科学的レベルまで発展させるものです。
 科学的な研究により楽譜の奥に潜む作曲者の相貌にせまります。
  つまり、作曲家の心理や動機を社会的、文化的、知的側面から真摯に解剖していくのです。
  哲学、人類学、心理学、音楽心理分析、絵画、文学、詩など、 あらゆる人文科学を統合して広く深く学び知ることにより、唯一無二な真の音楽芸術の理解に到達することができるのです。

こうして音楽の中にある作品内容が隅々まで明瞭になった時、作曲家の意図に合致した音楽性を伴う新たな演奏レベルが生まれます。音楽が、一音一音聴衆に語りかけ始めるのです。
  音楽自らが、自分の中に作曲家が何を置いていったのかの全てを話してくれて、音楽が生きたものとなるのです。このような演奏は音楽芸術が新しい意義を持つことを示し、深く理解することの大きな喜びをもたらし、世界中の文化水準を上げることでしょう。

 私の現在の課題は、広く多くの方々に、音楽言語を認識し表現するこの新たなメソッドをお伝えすることです。
 日本は、私がこのメソッドを聴衆に披露する最初の国の一つです。
 聴衆の皆様に是非、シューマンやムソルグスキーの思考を私の演奏を通して理解し辿っていただきたいです。音楽芸術への理解の新たなステージが開かれ、聴衆の皆様にも届くものと信じています。

http://www.kojimacm.com/digest/190704/190704.html