こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

体験レッスンをお申し込みくださった方が、チェルニー30番の練習曲をやっていらっしゃるとのことだったので、しばらくぶりに1番からずっと弾き直してみました。

大学時代に音楽史を教えてくださった先生が「ツェルニーでなくてチェルニーなんだけど。彼は、ベートーベンの弟子で、あの練習曲はベートーベンのソナタを弾くためのものだ。」とおっしゃっていたのは、とてもよく覚えていたのですが、あらためてなるほど、とうなずけるものがありました。

練習曲=機械的のようなイメージがありますが、決してそんなことはありません。音階がずっと続くとちょっとそんな気がする時もありましたが、美しい部分がとてもたくさんあって、新しい発見がありました。ただ、子供時代にやったものですから、なかなかこういう美しさというのはとらえにくかったかのかもしれません。

今の奏法を学び始めた初期の頃に、同じ音を連打する部分をレッスンしていただいたことがありました。先生から「一つずつ狙う深さを変えてみて。」と言われて、使う指によって狙う深さを意識すると、単なる「音」から「音色」にかわった、という経験をし、それは私にとって印象深いものでした。

音階を弾く時でも、ドレミファソラシドをすべて同じに弾くのではなく、音によって狙う鍵盤の深さを変えると、ニュアンスが出て来ます。一見機械的に思える音階も、音楽的に弾けてるからこそ、曲の中で出て来た時に、自分が表現したいことを伝えることができるのだと思います。

それにしても「鍵盤をしっかりしずませる」「和音をしっかりおさえる」「鍵盤をそこまでしっかりたたくこと」と楽譜に何回も書かれていました。

最初にこの練習曲を弾いてから約45年。結局、現在の私は、鍵盤の底に「触れる」といういう意識は持ちつつも「しっかりおさえる」「しっかりたたく」ことをしない奏法を選んでいます。200円の楽譜を見ながら、思わず苦笑してしまいました。