こんにちは。

らららクラシック」でショパンとリストについて放送していたので、そこから感じたこと、考えたことを書きます。

番組の早い段階で、ショパンとリストの手の大きさの比較がありました。

「リストの手は大きかった」ということはよく知られていますし、私も知ってはいましたが、あのような形で実際の手形を見ると実感できましたね。

そして、例えば「ラ・カンパネラ」をリストの手で弾けば、手の中で弾けてしまうということ、だからこそああいう音型が生まれたのだという話など、頭だけでの理解ではなく、なるほど、と本当に納得した思いがしました。

こういうところは、映像の力だな、と違う所にも感心しつつ。

 

一方、ショパンの手は、一般的な大きさ。

ピアニストの清塚信也さんが、ほぼ自分と同じ大きさ、と言っていました。

同時に「だいたいド~ミまで届きます。ピアノの曲というのは、それを前提に作られていることが多いです。」という趣旨の発言にこれも納得。

 

ということは、逆にそれが届きにくい場合には既にハンディがあるということ。

やはりそこは課題だな、と思いながらそのお話を聞いていました。

ただ、手の小さいピアニストもいます。

指遣い、手の使い方、練習の仕方などの工夫を重ねながら弾いていくことの重要性を思いました。

私の大学時代の恩師の手も小さい。さらにその先生であるレイ・レフ先生なども手が小さかったそうです。

恩師は、とにかく指遣いの工夫の仕方がすごいです。

そして、それもレイ・レフ先生の指導のあってのことだそうです。

 

ショパンの音楽について「歌のような主旋律」ということも取り上げられていました。

「楽譜通りに弾いたのでは音楽にならない」という辺りの実演もなかなかおもしろく見ました。

私たちは当然のように思っていることですが、そこの部分も言葉に、あるいは実際の演奏で伝えていく必要があるのだな、と改めて思いました。

後半、ショパンが亡くなった後のリストについて語られていました。

「愛の夢」に見られるショパンの影響、ショパンへの思いについても触れられていました。

 

「同時代にほぼ同じ年齢のショパン、リストが出会ったことが奇跡」という清塚さんの言葉もありましたが、本当にそうですね。

若くして亡くなったショパンに対して、リストは長く生きてピアノという楽器がほぼ現在の形になるのを見ています。

また、晩年の作品には年齢を重ねたからこその深みが感じられます。

いろいろ、学ぶところがあり、興味深く見ることができました。