「2017年 10月」の記事一覧

2017.10.30

自分の演奏をとらえる

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

台風が去って、風は強いものの良いお天気になりましたね。

 

私はレッスンの時、「弾いてみて、自分ではどう思う?」ということを聞くようにしています。

全体として上手に弾けた感じがする、難しくてうまくひけない等、曲全体をとらえての答え、弾きにくいところ、自分なりに工夫したところ、等部分的に取りあえげての答え。

また技術的なこと、音楽的なこと、音色についてのことなど生徒さんの答えはさまざまです。

何を答えたら良いか、最初のうちはとまどっていた生徒さんもいらっしゃいました。

私は「自分の演奏を聞いてとらえる」「自分の演奏を自分で評価できるようにする」「そのための基準を持つ」ということが、とても大切だと思うので、頑張って答えてもらうようにしています。

 

「自分の演奏を聞いてとらえる」

当然できているはず、と思うこれが、意外に難しいです。楽譜を読むことと、指を動かすことに意識が集中して、聞けなくなってしまうのです。

私も、奏法を変えて間もないころ、先生から「『指をこう使って。』ということを考えながら弾いているでしょう。それが分かる」と言われたことがあります。

以前の奏法の時には、まず指の動かし方をしっかり練習して、そこに意識を持っていかなくてもよい状態になってから、曲想をつける、という弾き方でした。

これだと前半の練習期間は特に「聞く」感覚をもたなくてもすみます。

でも、「曲想をつける」段階までの時間、あまり楽しくはありませんでした。

今の奏法は、楽譜と、指と、出てくる音とを同時にとらえる感覚です。

奏法を変えようと思った初期の頃は、この感覚が身についていなかったので、「指の使い方を気にしながら弾いている」ことが聞いている先生に伝わってしまったのでしょう。

この感覚も、意識しながら練習することで身についていきます。

さらに、どこの音をとらえるか、ということも大切です。

調律師の方がこの前おっしゃっていましたが、譜面台のすぐ後ろの音だったり(グランドピアノの場合)、空間の音だったりと、人によってどこの音をとらえて弾いているかは違うし、演奏からそれがわかるそうです。

今の奏法は空間の音をとらえる意識で弾いていきます。

これも、練習によって少しずつ身についていくものです。

 

ピアノの練習は、基本、毎日していくもの。

その練習の時に、何を意識していくかによって、半年後、1年後には大きく変わります。

今ピアノを習っているお子さん、趣味の方、聞くことに意識を向けてみてください。

2017.10.28

ピアノと除湿機

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

 

今日はとても寒い日になりました。今も外で雨音が聞こえます。

ピアノという楽器の音は、気温と湿度によって変わってきます。

教室のピアノも、特に湿度の影響を受けやすく、雨で湿度が高くなると、音がなかなか上に上がらない感じがします。

今は、除湿機と加湿器をレッスン室に置いていますが、加湿器はほとんど使うことはなく、基本的に除湿機がフル稼働している状態です。

梅雨時などは、朝夕2回、タンクの水をあけるだけでは間に合わないこともあります。

外出している間にタンクがいっぱいになって除湿運転が止まってしまい、帰宅してから「何だか静かだな?」と思って除湿機をみると湿度68%。

あわててタンクの水を捨てて…となることも。

 

以前、除湿機を買う前、台風が通った後に、何だか雑音がして、調律師さんに来ていただいたことがありました。

弦をたたく部分のフェルトを丁寧に調整して直して下さったのですが、やはり、湿気が大敵、とその時実感して、すぐに除湿機を買ったのです。

除湿機は湿度50%を超えると自動的にスイッチが入るよう、設定しました。

あわせてピアノ横の壁に温湿度計を設置して、こまめに見る習慣にしました。

それ以降は、その雑音が出たことはありません。

 

もし、ピアノの音が何だかいつもと違う、と思われたら、一度温度と湿度を測ってみてはいかがでしょうか。

2017.10.27

時代によって地域によって変わる「ピアノ」

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

先日から何回か「ピアノの歴史」や「バイエルの謎」の本について書きましたが、その続きです。

もともと私は歴史が大好き。日本史のほうが好きなのですが、でも世界史でも物事の背景に何があるのかを知ることが好きです。ですから、「ピアノの歴史」も「バイエルの謎」もとても楽しく読みました。

今まで、それぞれを読んでいたのですが、それが頭の中でつながる気づきがありました。

 

私が持っている1961年発行の「全訳バイエルピアノ教本」(全音楽譜出版社)の最初の部分には、6ページにわたって「初歩の楽典」として音名や音程、音符の長さ・拍子の説明などが書かれています。

その中に「6オクターブの鍵盤と音名の関係」という部分があり、「あれ?」と思ったのです。

確かに、「バイエルの謎」の本によるとバイエル初版本の発行は1850年。

現代ピアノのモデルができあがったのは、[ピアノの歴史」によると1880年代アメリカ。スタインウェイのピアノです。

低い方の音域を拡大するには、強い張力をかけて弦を張らなくてはならず、そのための強い鉄のフレームが開発されたからだそうです。

フレーム以外でもたくさんの改良を加え、「世界中のピアノの概念が変化した、といってもよいほどである」と著者の大宮眞琴氏は述べています。

バイエルの使ったピアノは今のピアノとは違っていたのです。

 

つい「ピアノ」とひとくくりにして考えてしまいがちでした。でも、楽器の改良を考えれば、時代によって違うのも当然ですし、今回、本を読んでみて、地域によっても違いがあったのだということも分かりました。

作曲者の持っていたであろうピアノのイメージが、よりはっきり分かってきた気がします。

それを理解した上で、現代のピアノの性能を生かしつつ、どう演奏していくのか。

楽譜を読み、実際に音に出してみながら、作曲者の思いをより多くくみ取って弾いていきたい、と改めて思う良い機会となりました。

2017.10.26

七十代の方のピアノ体験レッスン

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

 

今日は、体験レッスンに七十代の方がおみえになり、ご入会いただけることになりました。

お電話での予約の際に、ポピュラーをご自分のレパートリーとしてお弾きになりたい、とのご希望でしたので、楽譜をお持ちになるようにお話しました。

お持ちになった楽譜を見せていただき、お話をうかがいました。1ヶ月半ほど、「今日の日はさようなら」をお一人で練習なさっていたとのことです。

練習の成果で、譜読みはできていて音符はしっかり頭にはいっていて、かなり弾ける状態になっていらっしゃいました。

ただ、メロディーの音域がドレミファソよりも広いので、その時の指遣いで迷っておいででした。

昔バイエルをお弾きになったことがあったそうで、ドは親指で、レは人差し指で…とお考えになっていたのですが、今回は、手のポジションの移動をできるだけ少なくするように指遣いを考え、楽譜に書き込みました。

次に、手の脱力の練習をし、力を抜くことを意識していただきました。

力を抜くことで、指がずっと動きやすくなります。

今日の方も、指の動きやすさは実感なさったようで「あ、違いますね。」とおっしゃっていました。

この2点を中心に、レッスンさせていただき、何回か練習するうちに、ずいぶんスムーズに曲が流れるようになりました。

ピアノを弾く時には、楽譜を目で読む→読んだ楽譜の音を覚える→指を動かす→音を聴くというように、たくさんの器官を使うことになり、脳の活性化につながります。

今日の生徒さんも、「練習してきます。この本の中から、5曲くらいレパートリーにしたい。」とおっしゃって、お帰りになりました。

 

「もう○歳だから…」ではなく、ご自分で「こうしたい」という思いから、新しいことを始められたことに、尊敬の気持ちを強く持ちました。

ぜひ、レパートリーが増え、楽器を演奏できる=ピアノを弾けることの楽しさをたくさん味わっていただけるようにレッスンをしていきたいと思いました。

2017.10.25

ピアノのレッスンと歌

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

 

昨日は年中さんのピアノレッスンがありました。

おうちでも、いろいろな曲を弾いているそうです。

「ひげじいさん」を弾きたがって…ということがレッスンノートにあったので、「ひげじいさんを弾いたの?」と聞いたら「こぶじいさんも弾ける!」と答えてくれました。本人としては、知っている曲をたくさん弾きたいのだろうな、と思います。

その気持ちも汲みながら、一つ一つの音の質をしっかり聴き分ける耳も育てていきたいと考え、そのバランスをとるように工夫しています。

 

今は、教本では3の指を使って、支えを作る練習が中心です。

「音のしっぽまで聴こうね。」と1つの音がどのようになくなっていくのかを聴いたり、生徒さんの弾いた音に対しても「今度のほうがいい音だよ。」と、音の質に注意をはらうような声かけをしながら、レッスンしています。

同時に、歌がたくさん載っている「たのしいソルフェージュ・うたあそび」も使って、「歌う」(音程・フレーズ感)「リズム打ち」(リズム感)「視唱」(読譜)の力を養っていきます。

昨日は、左側ページのチューリップの歌と、右側ページに書いてある「ド」「レ」「ミ」の音符を見ながら歌いました。

慣れてくるにつれて、音符を読んでから歌うまでの時間が短くなっていきました。

 

先日の「バイエルの謎」の本の中にも、バイエルの教本には、彼にとってなじみ深い、賛美歌を元にしたメロディーを使った連弾がたくさんあるのではないか、ということが書かれていました。バイエル自身の書いた前書きにも、その思いが表れているように感じられました。

やはり小さいお子さんにとって、「なじみ深い」「歌詞のついた歌」とピアノを弾くということを結び付けていくことは、豊かな表現力をつけていく上でも大切だと思います。

もう少ししたら、ピアノのレッスンでも歌を弾く活動を取り入れていこうと考えています。

2017.10.23

「バイエルの謎」と私のバイエルの思い出

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

台風が近づいていますね。明日の明け方あたりがピークでしょうか。

ここのところ、雨が続いた上での台風なので、浸水などの被害が心配になってしまいます。

 

今日の午後は、安田寛氏の「バイエルの謎」という本を読みました。これには副題がついていて「日本文化になったピアノ教則本」とあります。

この装幀が赤いバイエルそのものなので、思わず自分の持っていた本と見比べてしまい、ついでに中を見てみました。

私が5歳でピアノを始めたとき、使ったのは、当然のことながら「子供のバイエル」、赤いバイエルでした。

その1ページ目に先生が書いてくれたのが「けんばんのそこまでしっかりうつ」「ゆびを一本一本よくあげて」「手首あげない」

改めて見直してみて「こんなことが書いてある!」と驚きましたし、ちょっとおもしろく思いました。今の奏法は全く逆ですから。

 

この本には、バイエルが日本でどのように教えられてきたか、ということと、バイエルという作曲家がどのような人物であったのか、ということの2つが謎解きの形で書かれています。

 

私にとって、より興味深かったのは、バイエル本人についての謎が解かれていく部分でした。

著者はバイエルゆかりのドイツの都市を訪ね、当時の戸籍や、教会に残っている洗礼の記録に当たります。

ようやくバイエル本人の記録を見つけることができ、バイエルがどのように音楽を学んだのかも分かってきます。

バイエルの母方の祖父・曾祖父が教会のオルガニストであり、母も若い頃、時に祖父の代理でオルガンを弾くほどの腕前だったことから、バイエルが母親からピアノかオルガンを学んだらしいことも推測しています。

バイエルは母との幼い日々の思い出をバイエル第一部に再現したのだと思えてしかたない。バイエルの第一グレード(前半、六十四番まで)にバイエルは、きっと幼い日々の母との楽しかった、時には少しは苦しいこともあったお稽古の思い出をいっぱい詰め込んだのだ。

何だかバイエルさんに親しみがわいてきました。そう思って教本を見返すと、思ったより連弾がたくさんあります。

そして、私も、もうずっと昔の、最初に教えてくれた先生と、初めて連弾した時のことを思い出しました。自分一人が弾いている時と、音の厚みも動きも全く違って感じられたこと、とてもきれいだなあ、と思ったこと。私にとっても楽しい思い出です。

私の教室にレッスンに来ている年長さん。連弾が大好きです。きっとあの頃の私と同じように感じてくれているといいな、と思います。

年長さんのピアノレッスン

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

雨が続いていますが、近くの幼稚園や保育園でも、運動会や芋掘りなどの行事が、延期になったり、会場を変更したりと影響が出ているそうです。

台風も近づいているようですし、早く秋晴れの青空が見たいですね。

 

昨日は5歳のお子さんのレッスンでした。

まだピアノに触れてから日が浅い小さいお子さんの場合には、まず、音符と鍵盤と実際の音が結びつくようにと考えてレッスンしています。

飽きないように、さまざまな活動を入れていきますが、目指すところは同じです。

昨日も、

1 チューリップの歌をうたう→楽譜にあるドレミを見つける

2 音楽ドリル ドとレの音符のなぞり書き・ドとレの音符の色塗り・ドとレの鍵盤の色塗り

3 カードを使って 先生が出したカードの音を弾く

4 先生が弾いた音(ドかレ)のカードを出す

5 ドとレの音をピアノに合わせてうたう

6 ドとレの音で作られている曲を弾く

という内容を中心にレッスンしました。

合わせて、手の形を意識して、中指だけでピアノを弾く練習もしました。

昨日の年長さんも、どんぐりとレモンの絵の書いてあるカードが気に入って、にこにこしながら音あてのカードを出し、ドとレが全部聞き分けられました。

レッスンが終わってから、今日が保育園の運動会で、リレーをがんばりたい、とお話してくれました。

 

2017.10.20

ピアノを弾く手が小さくても

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

 

もともと手が小さい方や、成長期のお子さんがピアノでオクターブを弾くのは、弾きにくいですね。

私も手が小さいので、ずっとオクターブの連続は苦手中の苦手でした。

練習していると、手の上がすぐ痛くなってしまいました。

 

でも、ふと気がつくと、最近は以前よりはずっとらくに弾けるようになった気がします。

この奏法に変えて間もない頃、先生から「タチアナ・ニコラエワ先生の手はちいさかった。」と伺った時には、あれほどのピアニストが、と信じられない思いでした。

でもその後、同じ奏法の若い女性ピアニストの方に手の大きさを比べてもらったら、私よりも小さいのです。

あんなに何でも弾ける方なのに、とそこでも思いました。

それ以来、「手が小さいから」というのが言い訳にならない、と実感し、それまではどこかで言い訳にしている部分があったと反省しました。

 

最近になって、以前よりオクターブが弾きやすくなったのはどうしてかと考えると、最大の理由は手の内側の支えが強くなってきたことにあると思います。

手の内側の、指の根元、てのひらと指の境の辺りの筋力がついてきて、そこで支えられるようになったからです。

同時に、オクターブを弾く時でも、ピアノの鍵盤を前よりも短い時間でとらえて、すっと力を抜く感覚がわかるようになってきました。

最初の頃、オクターブの連続のある曲を弾いた時「鍵盤をわしづかみにしようとするのではなくて、点でとらえる感じ」と言われても、その感覚は分からなかったのですが、ようやくそれが分かってきました。

今、レッスンに来ている幼稚園や保育園のお子さん達の、かわいい小さな手を見ながら、これからの成長を楽しみに思うとともに、たとえ手が小さくても十分弾くことができる奏法を伝えられるということもうれしく思います。

2017.10.18

レッスン室内のソファを移動しました

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

今日は、レッスン室内のソファを移動してみました。

付き添いでいらっしゃる保護者の方やご兄弟のためにと思って置いたのですが、位置が悪くて使いにくかったのです。

こちらの壁際なら、座っていただけるかな、と思います。

あわせて、ハロウィングッズもちょっと買ってきて、壁に飾ってみました。

私が中学生の頃は、ハロウィンはまだ全く知られていなくて、英語の教科書か参考書に書かれた解説を読んだ記憶があります。

それでも何だかよくはわからず、アメリカでは、こういうお祭りがあるのね、という認識でした。

今振り返って考えてみれば、全く知らないものを、言葉の説明だけでイメージするのはとても難しいということだという例でもあります。

約30年前、私が教員になりたての頃でも、留学経験のある英語の先生が手作りでいろいろなグッズを作って生徒に見せていましたから、まだそれほど知られていなかったのではないでしょうか。

それがいつの間にか日本でも一般的な行事になって、ハロウィングッズも8月下旬くらいから見かけて、逆にそのことに驚きました。

 

ハロウィンに限らず、季節の巡りがどんどん前倒しになっている感があって、数日前に寄ったスーパーマーケットではジングルベルが流れていました。

さすがに早すぎますよね。

稲荷林公園のハナミズキの実があんまりきれいだったので、思わずスマホで写真を撮ってしまいました。まだもうしばらく秋を味わいたいものです。

 

2017.10.16

「ピアノの歴史」を読み直しました

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

2年ほど前に読んで、その時も、とても面白いと思ったのですが、あらためて読み直してみました。

今回、読み直したきっかけはチェルニーの練習曲です。

いったい当時はどんなピアノだったのだろう?

前回は、「ピアノの発達と奏法の関係は深いんだな。」(当然すぎますが)くらいで、さらっと読み飛ばしていたのですが、もう少し今回は丁寧に読んでみました。

こんにちのピアノにつながる楽器が作られたのは1709年のイタリア。

その後、ヨーロッパ各地で影響しあいながら改良が進みます。18世紀、モーツァルトのいた時炊きのウィーンでは、ウィーン式アクションのピアノが製作され、これは明るく澄んだ響きが特徴だったそうです。

ベートーヴェンはウィーンアクション式のピアノ・イギリス式アクションのピアノ、両方を使ったとか。イギリス式のほうが音量は大きかったそうです。

ピアノも発展途上だったため、音域が広がっていた時代。この本の中には、ベートーヴェンの曲の最高音・最低音からどの楽器を使っていたかを分析しる記述があって、これも興味深く思いました。

19世紀になって、職業ピアニストが演奏会で弾く機会が増えてきました。当然、大きな音量が望まれます。音域をひろげたい、という要望もあり、そのためには、フレームの強度をあげることが必要で、ウィーン式のアクションはそれに対応できず、衰退していったとのこと。

そして次第に、アメリカ・ドイツのピアノが職業ピアニストに弾かれることがふえていったのだそうです。

やはり、チェルニーの時代のピアノは、音を出す仕組みそのものが現代のものとは大きく違っていたことがわかりました。

鍵盤は今よりも軽く、音量もずっと小さい。チェンバロに近い音。

当時のピアノはそのような楽器だったようです。