奏法・響き

ピアノの音を聞き分ける

こんにちは。

少し風が冷たいけれども、春らしい陽射しです。

ふと気がつくと、庭のクリスマスローズが咲いていました。

「クリスマス」という名前が付いているのですが、これは、今の時期に咲く品種のようです。

買った当時は意識していなかったので、品種名が分からないのが残念ですが、けっこうよく増えて庭に何株もあります。

 

人間は言葉でものを考えますので、同じようなことは色々な場面で起こります。

花の名前を知らないと、「木に咲いているピンク色の花」になりますが、知っていると「梅」なのか「桜」なのか「桃」なのか区別できるようになります。

さらにもっと詳しく知ることができれば、「桜」のなかでも「ソメイヨシノ」なのか「ヤマザクラ」なのか区別できるようになっていくわけです。

 

ピアノの音も同じです。

認識していないと「ピアノの音」

ですから、時々「猫が弾いてもピアノの音がする」などと言われることがあります。

でも、実際には色々な音色を出すことができます。

柔らかい音、かたい音。

細い音、太い音。

澄んだ音、濁った音。

遠くまで飛ぶ音、近くで落ちる音。

高く上がる音、ピアノの周辺にとどまる音。

 

ただ、花と同じく、それを区別できるかどうか、というのがとても大切です。

「咲く時期」や「色」や「形」のはっきりした花は、ある程度分かりやすいと思います。

音の場合には、最初は難しく感じるかもしれません。

でも、今の音は言葉で言うとどんな感じかな?と表現してみることをくり返し、合わせて身体の使い方をいろいろ工夫していくことで、少しずつ分かってきます。

音楽をつくる上で耳の訓練は、本当に重要だと考え、レッスンしています。

 

2018.02.08

さらに細かいニュアンスを感じる

こんにちは。

今日も寒いですね。

先日のレッスン以来、モーツァルトの響きについて考えながら練習しています。

今日はそのことについて書きます。

 

速い部分も、1音1音を感じながらゆっくり弾いていく。

拍感、前後の音との関係、単音であっても和声を感じるように…。

自分でどうしたいのか?というのをよくよく自分に聞きながら。

響きの質、響きの上がる高さも意識していく。

 

先生からは、「フレーズの終わりで音が下がる傾向があります。」という指摘をされているので、フレーズの終わりは特に気をつけていきます。

確かに、よく聞きながら弾いていくと、指先の一点に力が集中し、しかもよく響いている時には、微妙に音が高めに、散漫になっている時は低めに聞こえます。

これは、不思議です。確かに以前にもソ♭とファ♯は音が違う、という話を、先生から聞いたことがありました。

確かにその通りです。私の音だとソ♭に聞こえます。楽譜に書いてあるのはファ♯です。

指遣いも少しずつ変えてみるようにしています。

私の場合、親指を使うとどうしても音程が下がります。

親指を使った時に音程が下がらないように練習しつつも、指遣いを変えられるときは、変えることを検討することにしました。

左手の伴奏音型も、特に意識したい音が変わってくると、指遣いを変えていく必要がでてきました。

 

1音1音の確認をしながら弾いていくと、モーツァルトの作った曲の微妙なニュアンスを今までよりももっともっと感じられるようになりました。

明るい中にふっと影が差すときがあります。

その影にも濃淡があります。

モーツァルト自身の中にある悲しみというか、寂しさというかそういうものを感じます。

でもまた何事もなかったかのように、明るさを取り戻している。

人生の一側面を表しているような気がします。

そんなふうに感じられるのは、年齢のせいかもしれませんね。

 

若ければ若い感性で、年齢を重ねれば年齢を重ねた感性で表現していくことができます。

それも音楽を表現することの楽しさなのかもしれません。

2018.02.06

もっと1音1音の響きにこだわる

こんにちは。

今朝、ゴミ捨てに行ったら、日の出前の空の色、そしてそこに見える木々のシルエットが美しかったので、思わず写真を撮りました。

私のカメラと腕前では、人間の目で見るほどの美しさは、とうてい切り取れません。でも、本当に美しい空でした。

 

さて今日は、もっと1音1音の響きにこだわる、ということについて書いていきます。

昨日はレッスンに行ってきました。

相変わらずモーツァルトなのですが、先生からこんなことを言われました。

「基本の発声(音の出し方のことを先生はこう言います)はいいと思います。ハーモニーも感じているのはわかります。

でも、特に速い動きの中で感じていることが間に合っていないので、表現できていない時があります。

1音1音を音の質、響きの方向まで感じられる、表現できる速さにテンポを落としてゆっくり弾いてみて。」

 

確かに、「それなり」になってきてはいます。一応「弾けている」状態です。

でも速い部分は「ちゃんと弾く」ところに意識が向いていた気がします。

ということで、最初からゆっくり弾いてみました。

最初の3つの音を弾いただけで、その3つの音それぞれの響きの質があまりにも違っていました。

これは、良い意味での「変化がついている」ということではなく、コントロールしきれていないために、響きの質や響きの上がる高さがあまりにも違っているということです。

小指を使うと響きが少ない。親指を使うと響きが上がらない。うーん、となってしまいました。

左手の伴奏音型はもっとです。どうしましょう、という感じ。

 

先生が同じフレーズを弾いてくれました。

「僕だったら、伴奏は長三和音だから、根音はもちろんだけど真ん中のこの音が聞こえるように弾く。こんな感じ。」

右手もそうです。最初のラはこんな響き、次のレをこういう響きで弾いて、ファ♯はさらに違う響き。

弾いてくれた4小節の美しいこと。たった4小節でありながらその4小節の1つの1つの音が磨きぬかれ、大きな音楽の世界になっています。

 

ということで、次の2週間後のレッスンまでに、どこまで1音1音の響きの質にこだわる演奏ができるようになるか。

ゆっくり練習することで、少しでも自分の感じているものを明確にし、表現していけるようにしたい。

これは終わりがありませんから、また練習ですね。

弱音の美しさに意識を向けて

こんにちは。

昨日は節分。今日は立春。寒いけれども日がずいぶんのびて光が明るくなってきたのを感じます。

昨日、豆まきをしたご家庭も多いでしょうね。

小さいお子さんのレッスンでは、「豆まき用のお面を作った話」や「福の神のお面の話」など、節分の話題もいろいろ出て、ほほえましく思いました。

福の神のお面は、昔はなかったので「福の神のお面があるの?」と聞いたら、実物を見せてくれました。おかめさんのお面で、なるほど、と思いました。

 

今日は、「弱音の美しさ」について書いていきます。

基本的にピアノの楽譜には強弱記号がついています。(昔作曲された、例えばバッハの曲などには、ついていない版もありますので、基本的にと書きました。)

レッスンをしていると、生徒さんの演奏には、「強い音を弾く方向に意識が向く」傾向があることに気がつきました。

これは、強弱をつけよう、という気持ちがあるからこそだと思いますが、音楽をより美しく仕上げるためには、「弱い音」をいかに意識して演奏していくか、ということはとても大切なのです。

 

私は、体格も小さく、手もピアノを弾く者としては小さくて、大きい音を出すのが不得意でした。そうすると強弱の幅が狭くなってしまう気がして、自分でもその部分が不本意でした。

今、奏法を変えてみると、「自分の中で強弱がつけばよい」ということに改めて気づくことができました。

自分が響きのある音で弾ける大きな音をffとして、弱い方の段階を増やしていけば、強弱による表現は十分つけることができます。

pの段階をたくさん作っていけば良いわけです。

このコントロールが、今、私の学んでいる奏法ではとてもしやすくなります。

さらに、響きそのものを変えることによって、強弱だけにたよらない、多彩な表現をすることができるようになります。

同じpでも、柔らかい音、細い音、深い音などさまざまな音色を作っていくことができるのです。

 

プレトニョフというロシアのピアニストのリサイタルに行ったとき、弱音の無限の段階があり、響きの違うたくさんの音色があることに、本当に感心しました。

また、ピアノではありませんが、かつて聞いたフレーニ、グルベローヴァなど、世界トップクラスの歌手の歌声からも同じことを感じました。

奏法は違っていても、まず、「弱音の美しさ」にぜひ、意識を向けてピアノを弾いてみてください。演奏が変わってくると思います。

 

2018.01.22

歌いたくなる

こんにちは。

今日は雪の予報が出ていますね。子どもの頃は、雪が降るのがとても楽しみでした。

雪合戦をしたり、雪だるまを作ったり。特別感がありましたね。

大人になると、いろいろな事情を考えてしまって、手放しでは喜べないのですが、今日は積もるかどうか。

 

音楽の感じ方、作り方にもいろいろありますね。音色、構造、リズム、ハーモニーなど。何を重視していくか。そんなことを昨日は考える機会がありました。

昨日のブログで書いたピアノですが、イベントでいろいろな方に弾いてもらいました。

私は、会場ではなくて、それを配信したものをスピーカーで再生し、聞いていたのですが、皆さんそれぞれ熱演で、とても楽しく聞かせていただきました。

同時に、やはり奏法の違いが感じられてとても興味深く思いました。

私が今学んでいる奏法では、響きで音楽を作ります。本当に歌をうたっている感覚に近く、ドレミファソと弾いても、それぞれの音の響きが違います。

そうすると本当に「歌いたく」なるのです。

昨日の演奏を聞いていても、「私だったらここをもっと歌いたい」と思うことがありました。

 

先日から何回かご紹介したメジューエワの本の中にも、シューベルトのピアノソナタ21番をとりあげて、次のように書かれています。

一般的にロシア人の演奏家はゆっくり弾く人が多いですね。歌いたくなるんです。(中略)逆にオーストリア人やドイツ人によるシューベルトは、ロシア人の耳にはあっさりした感じが強いです。もっと歌えるはずなのに、みたいな(笑)

オーストリア人が弾くシューベルトはリズムが生き生きしています。構造、リズム、ハーモニーですね。ロシア人はやっぱろ音色から入る部分が大きい。(中略)オーストリア人はロシア人の演奏について、シューベルトはもっと軽やかなものですよって、向こうは向こうで思っているかもしれませんが(笑)

昨日、いろいろな方の演奏を伺って、シューベルトの曲ではありませんでしたが、ちょうど同じようなことを思いました。

音楽の感じ方、作り方の違いですね。響きで作るとほんとうに「歌いたく」なり、そして、どう歌うかを考えていくのがとても楽しいのです。

2018.01.21

「ピアノを信じる」ー調律師さんの思い

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こんにちは。

写真は、記事とは関係ないのですが、熊谷の「花扇」さんという和菓子屋さんのお菓子です。創作和菓子がとてもすばらしいお店で、飾ってある中に「ピアノ」があったので、写真に撮らせていただきました。

 

お若い調律師さんのお話にとても感心したので、ご紹介しますね。

先日もちょっと書きました、個人所有の小さいコンサートスペースのピアノ。

昨日、調律師さんがいらっしゃって本格的に調律をしていただきました。

もう35年前に買ったヤマハのC5。ただ、持ち主が声楽の方なので、ピアノは音取りに使うだけでほとんど放置された状態でした。

ここ3年ほどの間に、コンサートなどをする都合で何人かの調律師さんにお願いしていました。

ある調律師さんいわく「故障レベルです。」

私も、弾いてみるのですが、とにかく鍵盤が重くて重くて、「音が出ない」という印象でした。

 

今回、私のピアノの調律をしてくださった方が、快く調律を引き受けて下さり、まず12月に約3時間かけて調整してくれました。その段階でかなり音が出るようになってきました。

でも、まだくもった音です。本来、もっともっとクリアな音が出ていいはず。響きも、まだ上まではあがりません。

そして、昨日、5時間近くかけての本格的な調律です。

「とにかく、ブレーキのかかる部分を可能な限り減らしていきます。そうすればもっと音がクリアになるはずです。」とのこと。

時々のぞきに行ったのですが、途中の過程では、鍵盤を全部ばらばらにして、つなぎ目を磨いていらっしゃいました。

88鍵ありますから、何か1つの作業を始めると同じことを88回やらなくては終わらないわけです。地道な作業です。

終わって弾いてみたら、「このピアノからこの音が出るなんて!」というほど、クリアな音になっていました。鍵盤の動きもとても軽くなって、トリルもきれいに入ります。故障レベルと言われたのがうそのようです。

 

とても勉強熱心な方で、コンサートもたくさんいらっしゃっています。先日も、私の先生のところに行って、私たちの奏法で使うタッチを勉強していらっしゃいました。

最近行かれたコンサートで連弾を聞いた話もされ、ピアニストがどこで音を出そうとしているかが分かって、面白かったそうです。

「以前は、『いろいろやって』いたんですね。でも、今は、できるだけシンプルに、小手先で何かやるのではなく、できるだけ素の状態にするのが良いと思うようになりました。」

「このピアノも、汚れをとって、動きをよくして、本来の姿に戻そうと。楽器を信じるという感じでしょうか。」

「そうすれば、後はピアニストさんが音を作っていくことができますよね。」

「まだまだこのピアノはよくなりますよ。」

 

信じてくれた調律師さんの思いに、楽器も応えてくれた感じがします。このピアノで、今日は小コンサートがあります。どんな音を聞かせてくれるか、とても楽しみです。

2018.01.02

歌声とピアノの音色

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

ロシアのピアニズムは、「歌う」ということをとても大切にします。メジューエワの本にも、よく出て来ました。

ピアノでも「歌う」、という言葉。

 

紆余曲折を経て、私がロシアピアニズムに魅力を感じるのは、私が声楽、特にオペラが好きだからかもしれません。

 

これは、最初にオペラを見たときの体験が大きいです。

私が実際にオペラの舞台を初めて見たのは、大学1年生の時。ミラノのスカラ座の引っ越し公演。フレー二がミミを歌う「ボエーム」でした。まだ、字幕もない頃で、行く前に何度も何度もレコードを聴き、対訳とボーカルスコアを見比べ、時に訳を楽譜に書き込んで、一生懸命予習をして行きました。

もう、その舞台のすばらしいこと。ロドルフォたちの住むアパルトマンのわびしさと、クリスマスの広場の豪華さ。一転して3幕の別れの場面のシンプルな美しさ。

歌手たちの声の美しさ。演奏のすばらしさ。もう、とにかく圧倒され、本当に感動し、世の中にこんな美しい、すばらしいものがあるのかと思いました。

特にフレー二の歌声は圧巻でした。特に弱音には、こんな小さい音がどうしてここまで(5階一番はじの学生席でしたから)聞こえるのだろう?という思いでいっぱいでした。しかも、その弱音のなかに表情がありました。

あれほどの感動は、人生の中でもそうはない、というくらいのものでした。今でも、私にとって一番好きなオペラは、やっぱりボエームなのです。

 

弱音でも届くというのはピアノも同じで、響く音であれば、弱い音でも通るのです。

そのことを学んだのは、今の奏法に変えてからでした。

最初の頃、よく「もっと小さい音で。」と先生から言われていました。「今くらいの音でも、十分客席の後ろまで届くから。」とも。

ピアノではあっても、フレー二のミミのあの歌声、あの表現のイメージに少しでも近づきたい、一つの遠い目標ではあります。

 

 

2017.12.25

ヤマハのピアノを弾いてみて

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

一昨日に、葵の会のミニコンサートがありました。これは、葵の会のメンバーだけに、次回4月14日(土)の定期演奏会で演奏する曲を披露する会です。

私は、モーツァルトの「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲」を弾きました。

当日は父の四十九日法要と納骨等を済ませて駆けつける、という状態だったので、ピアノには事前に触れることができず、いきなり弾くことになりました。

ピアノはヤマハ。幸い、先日一般的な調整のしてあるヤマハのピアノをほんの少しだけ触っていたので、その感覚に近い、ということはじきにつかめました。「底までしっかり弾く」ことで音が出る、という感じです。

ですから、今の奏法ですと、音が抜けてしまうことがあります。今回も、いきなりテーマの部分で「あれ?出なかった。」ということがありました。

ここ数年、自宅にあるヤマハC3のピアノは一般的なヤマハのピアノよりも、音のなるポイントが上になるように調整してもらっています。

調律師の方が「一般的なヤマハの調律師はここは触らないんですよ。」と言う部分も触ってもらい、できるだけ響きが上がるように、タッチの違いが音に反映されるようになっています。

その分、日本の一般的な調律のヤマハピアノだと今回のようなことになる場合があります。

奏法を変えた最初の頃は、それがとても不安でした。一般的なピアノだと弾けない、困ったと思ったのですが、最近は少し変わってきました。

音のなるポイントが深くても、手の支えの筋肉が以前よりしっかりしてきたので、それで支えながら位置を微調整していくことができるようになったからです。

もちろん、自分の意図した響きが出ているか、という点では、不本意な点はあります。でも、音抜けに関しては、ポイントさえつかめれば、何とかなるという自信がついてきました。

実際に、録音を聞いてみると、テーマと第一変奏までは、多少の音抜けがありましたが、途中からは気になるほどではありませんでした。

今回の会場の場合、実際に演奏する小ホールはスタインウェイのフルコンですから、これも大丈夫です。

ピアノそのものも、奏法と関連が深いな、と改めて実感する機会となりました。

でも、与えられた中で、できるだけ自分の意図する響きが出せるように、自分の音楽を少しでも伝えられる演奏ができるように、本番までまた練習していきます。

 

2017.12.12

響きで弾く和音の変化の美しさ

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

昨日は、自分のレッスンに行ってきました。

前回のレッスンは、11月下旬。父の葬儀や自分の体調不良で、思うように練習できないまま「とりあえず響きの確認だけしていただこう」と思って受けたものですから、やはり音の上がり方が不十分でした。

先生からも「筋力が落ちて、少しポジションが下がっているのかもしれない」と言われていました。

今回は、それから2週間。改めて指の筋トレを毎日しました。あわせて調律でタッチも音も良い状態にしていただいたので、ピアノの鍵盤の底よりほんの少し上に、よく響くポイントが見つかりました。そこに触れて16分音符を弾くと、とても滑らかに聞こえます。もう少し深い位置を狙うと、輪郭のはっきりした音が出ます。練習の時から注意して弾き分けるようにしていました。

また、今回は腕の下側の筋肉で支えて弾くことと、それから体重が腕にのるような姿勢も意識して弾くようにしました。前回、手首が下がっていたのは、腕の下側の支えがあまくなっていたからだと思ったのです。実際、その意識を持つだけでも響きが変わって来るのが分かりました。

先生のレッスン室のスタインウェイを2週間ぶりに弾きましたが、ありがたいことに自宅のピアノとの差が以前よりも小さくなっている感覚で弾くことができました。

「デュポールのメヌエットによる変奏曲」。音も、まずまず上がっていたと思います。前半、特にテーマと第1変奏~第3変奏くらいまでは少しタッチが深くて、あれ、と思いましたが、何とか途中から修正でき、後半の方がよく響いた感じを自分では持ちました。

今回はもう一曲、モーツァルトのピアノソナタ18番の1楽章も持っていったのですが、この展開部が本当に美しくて、和音が次々に変化していくのが魅力的です。ほんの少し深く弾いたり浅く弾いたりして、響きの変化を聞いていると弾いていて幸せになります。

何とか元に戻りつつあることにほっとしつつ、レッスンを終えました。

響きで音楽を作っていくと、ほんとうにさまざまな変化をつけられる、そこがこの奏法の最大の魅力だと思っています。

最初は響きの違いを聞き分けにくい人もいますが、時間をかけて聞いていけば聞こえるようになります。そうすれば自分の表現の幅がとても広がるのです。

音楽を感じ取る力と響き

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

先日、クラシック音楽をとてもたくさん聞いている方とお話しする機会がありました。

作曲家についても、演奏家についても、とても詳しくて、ピアノに限らずいろいろな曲を多くの演奏者の演奏で聞いている方です。

その方ご自身も、ピアノを習っていて、今はベートーベンの月光の1楽章を練習中とのこと。

ゲンリヒ・ネイガウス、リヒテル、ヴェデルニコフなどの演奏もよくご存じで、ロシアピアニズムにもともと興味があったそうです。私と話していて、「ここでネイガウスの名前を聞くとは思わなかった。」と言っていました。

ピアノのレッスンでは、曲をどのように弾いていくとよいかという、いわゆる「解釈」とでも言うべきものを教えてもらうことが多いように思います。

でも、大人の、特にとても音楽が好きでたくさん聞いている方は、頭の中にはもう音楽が流れていて、自分はこう弾きたいというイメージを持っている方が多いのではないでしょうか。

そういう方にここはこう弾いて、こっちはこう弾いたら…と細かく言うのは何か違う気がします。

それよりも、レッスンでは「そう表現したいなら、こういう音色がより効果的に表現できる」ということをお話できたらと思います。

もともと音楽を自分自身で感じ取り、作る力のある方は、音色を弾き分けることでますます多彩な表現ができるようになっていきます。音色が増えれば増えるほど、楽譜から自分自身で音楽を感じ取る力はさらに増していくということも実感できるようになっていくでしょう。

響きで弾いていく奏法というのは、表現の幅を広げる大きな可能性をもっているのです。