「2018年 2月」の記事一覧

2018.02.07

お味噌を仕込みながら、ピアノについて考えました

こんにちは。

今日は、お味噌作りをしました。

毎年この時期に、お味噌を仕込みます。お味噌を作りながら、何だかピアノの練習と似ているところがあるな、と思ったので、そのことについて書きます。

お家でお味噌を仕込む人も多くはないと思うので、一応、手順を紹介しておきますね。

 

18時間水に浸した大豆です。今回は、緑色の強い豆を使っています。

これを柔らかく煮てから、熱いうちにつぶします。湯気が出ています。

麹と塩を混ぜます。塩切り麹と言います。

つぶした大豆、塩切り麹、種味噌を混ぜます。白っぽい色をしています。

これを、漬け物容器に入れ、約1年冷暗所に保存しておくと、お味噌になります。

 

この状態では、色も香りもまったく「味噌」らしくありません。ただ「大豆を煮たものに麹を入れた」だけ。

そして、この状態では、お味噌を想像することもできません。

でも、毎日毎日、麹菌が少しずつ少しずつ発酵して、1年経つとお味噌の味と香りがするようになります。

私がピアノと似ている、と思ったのはこの部分です。

 

習い始めて間もないころにやっていることは、イメージしていた「ピアノを弾く」こととは違っていることが多いのではないでしょうか。

特に、お子さんや、ご自分がピアノを弾いた経験のない保護者の方は、そう思われると思います。

音符を読むこと、手の形に気をつけて弾いていくこと。

でも、その一つ一つを積み重ねていくことで、少しずつ少しずつ進歩していく。

ある程度弾ける場合に、奏法を変えようと思った時も同じですね。

手のポジションを変える。手の内側の筋力をつけるためのトレーニングをする。曲を弾くときも、1音1音確認しながら…。

自分のやっていることとイメージしているものが本当につながっているのか、見えないことも多い。

でも、一つ一つをずっと積み重ねていくことで、少しずつ変わっていく。

 

今日仕込んだお味噌が、明日に食べられるようになる、ということがないように、上達が実感できるようになるには、少し時間がかかります。

あせらず、でもあきらめずに進んでいく、ピアノを学ぶということは、そういうことなのかもしれない、とお味噌を仕込みながら改めて思いました。

2018.02.06

もっと1音1音の響きにこだわる

こんにちは。

今朝、ゴミ捨てに行ったら、日の出前の空の色、そしてそこに見える木々のシルエットが美しかったので、思わず写真を撮りました。

私のカメラと腕前では、人間の目で見るほどの美しさは、とうてい切り取れません。でも、本当に美しい空でした。

 

さて今日は、もっと1音1音の響きにこだわる、ということについて書いていきます。

昨日はレッスンに行ってきました。

相変わらずモーツァルトなのですが、先生からこんなことを言われました。

「基本の発声(音の出し方のことを先生はこう言います)はいいと思います。ハーモニーも感じているのはわかります。

でも、特に速い動きの中で感じていることが間に合っていないので、表現できていない時があります。

1音1音を音の質、響きの方向まで感じられる、表現できる速さにテンポを落としてゆっくり弾いてみて。」

 

確かに、「それなり」になってきてはいます。一応「弾けている」状態です。

でも速い部分は「ちゃんと弾く」ところに意識が向いていた気がします。

ということで、最初からゆっくり弾いてみました。

最初の3つの音を弾いただけで、その3つの音それぞれの響きの質があまりにも違っていました。

これは、良い意味での「変化がついている」ということではなく、コントロールしきれていないために、響きの質や響きの上がる高さがあまりにも違っているということです。

小指を使うと響きが少ない。親指を使うと響きが上がらない。うーん、となってしまいました。

左手の伴奏音型はもっとです。どうしましょう、という感じ。

 

先生が同じフレーズを弾いてくれました。

「僕だったら、伴奏は長三和音だから、根音はもちろんだけど真ん中のこの音が聞こえるように弾く。こんな感じ。」

右手もそうです。最初のラはこんな響き、次のレをこういう響きで弾いて、ファ♯はさらに違う響き。

弾いてくれた4小節の美しいこと。たった4小節でありながらその4小節の1つの1つの音が磨きぬかれ、大きな音楽の世界になっています。

 

ということで、次の2週間後のレッスンまでに、どこまで1音1音の響きの質にこだわる演奏ができるようになるか。

ゆっくり練習することで、少しでも自分の感じているものを明確にし、表現していけるようにしたい。

これは終わりがありませんから、また練習ですね。

2018.02.05

とりあえず始めてみる

こんにちは。

昨日の午前中、この辺りでは少し寒さが緩んだ感じがしました。

受験シーズンでもあり、インフルエンザの流行がおさまってくるかな、とちょっと期待しました。

今日は、ピアノの練習にも、学習にも関係する「とりあえず始めてみる」ということについて書いていきます。

 

中学校で教員をしていた頃、いかに学習習慣をつけていくか、ということは常に課題でした。

やはり、中学生の学力向上のためには、毎日学習する習慣は欠かせません。

私は国語科担当だったので、学年の仕事分担に中で「学習担当」をすることが多くありました。

各教科のテスト範囲をまとめたり、学習習慣をつけるための取り組みを提案したり、長期休み中の学力向上のための教室を計画したり、という仕事です。

ですから、いかに生徒に学習する習慣をつけていくか、ということについては、いろいろ調べていました。

 

学習習慣のない生徒の多くが言う言葉は「やる気が出ません。」です。

ただ、最近の脳科学研究の成果によると、「やる気が出なくても、とりあえず始めることで脳を刺激する」のだそうです。

それを知ってからは、「やる気がなくてもとりあえず何かしましょう。」ということを言うようにしました。

その時に、「やりやすいものから始める」ということも付け加えました。

とりあえず「何か」やっているうちに、脳が刺激され、「アセチルコリン」という集中力を高める物質が出てきます。

「英単語を書いてみる」「漢字練習をしてみる」「教科書の音読をする」など、やりやすいものをやっているうちに、小さな達成感が生まれ、欲求が満たされたときに出る「ドーパミン」が出てきます。

 

ピアノの練習も同じですね。

最初の内は、やりたくて始めたはずのピアノ。でも、始めてしばらくすると、毎日の練習がついおっくうになってしまう時もあるかもしれません。

そんな時は、「ピアノの前に座る」「とりあえず何か始める」ということが大切です。

私が子どもの頃、だいたい最初に練習することになっていたのは、「ハノン」でした。これももしかしたら、「とりあえず指を動かすうちにやる気が出てくる」という「とりあえず」の何かという意味合いもあったのかな、と今になって思います。

弱音の美しさに意識を向けて

こんにちは。

昨日は節分。今日は立春。寒いけれども日がずいぶんのびて光が明るくなってきたのを感じます。

昨日、豆まきをしたご家庭も多いでしょうね。

小さいお子さんのレッスンでは、「豆まき用のお面を作った話」や「福の神のお面の話」など、節分の話題もいろいろ出て、ほほえましく思いました。

福の神のお面は、昔はなかったので「福の神のお面があるの?」と聞いたら、実物を見せてくれました。おかめさんのお面で、なるほど、と思いました。

 

今日は、「弱音の美しさ」について書いていきます。

基本的にピアノの楽譜には強弱記号がついています。(昔作曲された、例えばバッハの曲などには、ついていない版もありますので、基本的にと書きました。)

レッスンをしていると、生徒さんの演奏には、「強い音を弾く方向に意識が向く」傾向があることに気がつきました。

これは、強弱をつけよう、という気持ちがあるからこそだと思いますが、音楽をより美しく仕上げるためには、「弱い音」をいかに意識して演奏していくか、ということはとても大切なのです。

 

私は、体格も小さく、手もピアノを弾く者としては小さくて、大きい音を出すのが不得意でした。そうすると強弱の幅が狭くなってしまう気がして、自分でもその部分が不本意でした。

今、奏法を変えてみると、「自分の中で強弱がつけばよい」ということに改めて気づくことができました。

自分が響きのある音で弾ける大きな音をffとして、弱い方の段階を増やしていけば、強弱による表現は十分つけることができます。

pの段階をたくさん作っていけば良いわけです。

このコントロールが、今、私の学んでいる奏法ではとてもしやすくなります。

さらに、響きそのものを変えることによって、強弱だけにたよらない、多彩な表現をすることができるようになります。

同じpでも、柔らかい音、細い音、深い音などさまざまな音色を作っていくことができるのです。

 

プレトニョフというロシアのピアニストのリサイタルに行ったとき、弱音の無限の段階があり、響きの違うたくさんの音色があることに、本当に感心しました。

また、ピアノではありませんが、かつて聞いたフレーニ、グルベローヴァなど、世界トップクラスの歌手の歌声からも同じことを感じました。

奏法は違っていても、まず、「弱音の美しさ」にぜひ、意識を向けてピアノを弾いてみてください。演奏が変わってくると思います。

 

2018.02.03

相乗効果

こんにちは。

昨日の雪は、意外に早く溶けたので、雪かきをしないですんで助かりました。

 

今日は、昨日の続き、相乗効果についてです。

昨日の相乗効果は、楽譜を読むということでした。

特にお子さんの場合は、身体も脳も成長期で発達が著しいので、この部分はすぐ進歩・成長がわかります。大人としてはうらやましいほどです。

私自身はここのところ、モーツァルト、モーツァルトだったのですが、ちょっと気分を変えようと合間合間にショパンを弾いています。

今の奏法は、ショパンの奏法の流れをくむので、ショパンの音型とは相性が良いのです。

ノクターンを弾いて、響きを確認していたのですが、思いついてここ数日、久々にエチュードもを練習してみました。

六度の和音の連続や重音の半音階など、モーツァルトとは全く違う音型がたくさん出て来ます。

ショパンで、六度の和音の連続を練習しているとき、手の位置を今までよりも外に向けなくてはスムーズに弾けませんでした。何度もやっていてだんだんと弾きやすい位置がわかってきました。

その練習をしてからモーツァルトを弾いてみると、弾きにくく感じていたトレモロ部分の手の動きが、かなりスムーズになりました。

モーツァルトだけ弾いていたときにも、トレモロを取り出して練習してはいたのですが、手の外方向への向け方がまだ、不十分だったようです。

ショパンの六度の和音の連続を練習することで、強制的にその部分が修正されることになりました。

 

ついつい練習時間の制約から、レッスンで見てもらう曲、次の定期演奏会で弾く曲、と曲数をしぼりこんでいたのですが、いくつかの曲を並行して練習することの相乗効果を感じました。

ここ2年ほど、モーツァルトを丁寧に弾くことで手のポジションが安定し、音の響きが大きく変わりました。基本的な部分を作るために、とても良かったと思います。

今回、モーツァルトを弾くことでポジションや響きを確認しつつ、合わせてショパンを弾くことで、手の向き、開き方、手や腕の移動などを改めて学ぶことができました。

相乗効果を実感したので、しばらくはモーツァルトとショパンを並行していこうと思います。

ピアノ練習での相乗効果

こんにちは。

昨夜は、みぞれだったので、大丈夫かと思ったのですが、朝になってみたら雪が積もっていますね。

お出かけになる方は、くれぐれも足元にお気をつけ下さい。

 

ピアノ練習では相乗効果というのがある、と感じたお話です。

学校での伴奏オーディションに向けて、短期間で譜読みを頑張った生徒さん。

同時にショパンのノクターンも練習中なのですが、左手の伴奏音型の譜読みがちょっと大変そうでした。

原因は、和音がどんどん変わること。さらに、もともと♭3つがついている上に臨時記号がたくさん使われていること。

 

昨日のレッスンでは、1ページ分、両手で合わせて弾けるようになっていました。

伴奏練習に集中していたことを考えると、本当に驚くほどの大進歩です。

お迎えに来たお母さまに伺ったところ、「伴奏の練習が多くて、時間的にはそれほど弾いていなかったのですが。相乗効果でしょうか。」とおっしゃっていました。

それを伺って思い出したことがあります。

「ピアニストの脳を科学する」という本によると、初見が上手なピアニストは、今弾いている音の4~8音くらい先を見て弾いているのに対して、初見が苦手なピアニストは2音くらいしか先を見ていない、という研究があるそうです。

短期間に伴奏の譜読みを集中して行った経験から、今弾いている音の先を見て弾く、という力が伸びたのではないのかと思うのです。

プロのピアニストのレベルになると、ある程度以上は先天的な能力による部分があるようですが、先ほどの本の中に、初見の力は、15歳までの初見演奏の練習量によって変わってくるとの研究結果が紹介されていました。

 

そうだとすると、やる気パワーを出して集中的に取り組んだことは、ピアノを弾く力全体を伸ばしていく良い機会になったということですね。

インフルエンザの影響で、学校の伴奏オーディションそのものは延期されているそうですが、積極的に取り組むと自分自身の力を伸ばすことにつながる、という良い例ではないかと思います。

2018.02.01

あえて基礎を学ぶ

こんにちは。

ゆうべは、皆既月食でしたね。

デジカメでシャッタースピードが変えられないのですが、三脚を使い、夜景モードで望遠にして写真を撮ってみたら、思っていたよりよく撮れてうれしくなりました。

これなら全部欠けている状態のものも撮れるかな、と思い、10:30頃もう一度チャレンジしました。

そちらは、暗いのでシャッタースピードがさらに遅くなったのと、画質の設定が不適切だったのが原因かと思いますが、輪郭がぼやけてしまい、残念な写真になってしまいました。

 

今日は、「あえて基礎を学ぶ」ということについてです。

自宅にはテレビがないのですが、時々、録画したものをアルバイト先で見せてもらうことがあります。

先日も、NHKプロフェッショナルの録画を見せてもらいました。この番組は、トップレベルの方達を取材して紹介しているだけに、生きる姿勢、プロフェッショナルとしての心構えなど、学ぶことがたくさんあります。

戌年なので犬に関係した仕事に就いている複数の方を取り上げている回でした。

その中のお一人に、日本でもトップレベルのトリマー、小島さんという方が取り上げられていました。

犬の毛を丁寧に2時間かけてカットしていく。それぞれの犬の年齢、体型に合わせて工夫をこらし、かわいく見えるように仕上げていく。まず、その様子に感心しました。

さらに、25年トップトリマーとして活躍し続けているにもかかわらず、ここで「あえて基礎を学ぶ」ということで、もう一度先生について基礎を学び直している様子が紹介されました。

それをしなくても、お客さんはたくさんいらっしゃるのに。その「基礎を学んだ」からといって、今の仕事に直結するわけではないのに。

「みんなをハッピーにしたい。」だからこそ「あえて基礎を学ぶ」というチャレンジをしている、と言っていた姿を見て、本当にすごいな、と思いました。

むしろ、トップにいる人だからこそ「あえて基礎を学ぶ」ということの本当の意味がわかるのかもしれない、とも思いました。

 

ふり返って自分はどうしたらいいかな?と改めて考えるきっかけになり、「あえて」を入れられない領域の私だからこそ「基礎を学ぶ」練習をしていこうと思った番組でした。