その他

2018.11.01

「芸術の秋」を楽しんだ一日

こんにちは。

昨日は、以前から行きたいと思っていた「京都醍醐寺真言密教の宇宙展」と、葵の会会員でもある小菅泰雄さんが所属する「現代作曲家グループ『蒼』による新作書き下ろし演奏会」と2つ、行ってきました。

 

まずは、サントリー美術館へ。

私は、初めて行ったのですが、「東京ミッドタウン」というだけあって、とてもおしゃれな場所にありました。

とにかく行って良かった!の一言です。

もともと一番の目的は、チラシやチケットにも写真があった如意輪観音像。

如意輪観音像というのは、数がとても少なく、写真集などを見ても「如意輪観音といえば醍醐寺のこの仏さま」という感じでした。

ですから、ぜひ一度拝観したいと思っていたのです。

とにかく美しい。

6本手があるのですが、全体のバランスが良く、お顔も少し微笑んでいるようでもあり、角度によってまた表情が違って見えることもあり、とても魅力的な仏様でした。

 

他にも、たくさんすばらしい仏像がありました。

快慶作の不動明王坐像。

不動明王なので、忿怒相なのですが、どこか穏やかで、品があります。

醍醐寺に現存する仏像の中で最も古い、国宝の九世紀の虚空蔵菩薩立像。

彫りの切れ味の良さ、表情の凛とした感じが印象的。

 

国宝の五大尊像も魅力的です。

特に立っている金剛夜叉、降三世明王、軍荼利明王の動きのある姿が印象的です。十世紀の作なのだそう。

降三世明王が、人間を踏みつけていたのにも驚きました。

政治と密接につながっていた多くの記録、日記類が展示されていたことにも興味をひかれました。

室町時代の将軍をくじ引きで決めることを提案したことなどが日記に書かれているそうです。

 

早めの夕食にと、お麩と湯葉のあんかけ丼を美術館内のカフェでいただきました。

とても美しく、おいしく、「食欲の秋」も堪能。

 

その後、すみだトリフォニーホールへ。

小菅泰雄さんは、葵の会でもここのところ「現代能歌劇」ということで、お能の演目から台本もご自分でお書きになって発表しています。

昨日も世阿弥の長男である観世十郎元雅の「隅田川」から台本を作り、それをオペラにしていました。

日本語の語感と、日本的な音階が調和して美しく響きます。

昨日は、葵の会のときとは異なり、ピアノに加え、バイオリンとチェロも入っていたので、よりハーモニーに厚みが加わりました。

息子、梅若を人買いにさらわれ、それを追って旅をしている母、隅田川の船頭と旅人と登場人物は3人です。

船頭の話の中にあった、去年ここで亡くなった子供が探していた我が子と知って嘆く母の姿がとても悲しく、言葉と音楽でその悲しみを表現していました。

梅若の声をバイオリンで奏でていたのも印象的。

やはり弦楽器の音色は、人の声に近いですね。

 

お天気にも恵まれ、芸術の秋を楽しんだ一日でした。

 

2018.10.28

「戦場のメリークリスマス」の音楽

こんにちは。

「戦場のメリークリスマス」について、ここのところ気になっているので、すこし書いてみようと思います。

 

レッスンでこの曲を持ってきた生徒さんがいるのですが、私は映画を見ていないので、少し周辺情報を集め始めたところです。

動画で見ることもできるようになっているので、ここ数日の間に、見てみようとも思っています。

映画の音楽ですから、映画そのもののイメージを知っておくことは曲を作っていく上でも必ず必要だと思うのです。

改めて、調べてみると1983年の公開。

昭和58年ですね。

確かに記憶をたどってみると、当時、ビートたけしや坂本龍一の出演がずいぶん話題になりました。

 

映画も好き、坂本龍一さんの音楽も好きな息子なら、何か知っているだろうと思って話題にしてみたら、案の定 、

「Youtubeに、坂本龍一さん本人の解説動画があるよ。」とのこと。

さっそく見てみました。

 

動画は冒頭部分の和音の解説でしたが、メロディーの中に使われている音の日本的・ガムラン的な東洋の響き。

同時に下を支える和音の西洋的な部分。

全体を通しての進行の意図。

ドビュッシー、ラヴェル、サティからの影響を含めて語っていました。

西洋的なものと日本的なものの違い、でも共通する人としての思い。舞台はバリ島ということで、音楽の中にそれらの要素が含まれているということがよく分かる解説でした。

 

いったん納得して、なるほどと思ったのですが、一方、坂本龍一さん御本人の言葉としてウィキペディアには次のような解説もありました。

映画自体のある種の非現実感から影響を受けて、西洋から見ても東洋から見ても“どこでもないどこか”、そして“いつでもない時間”をコンセプトに作られた

坂本自身は「西洋でも東洋でもない、他のなんでもない、わけのわからないもの」として“東洋+西洋”という単純な考え方自体を否定している

戦場のメリークリスマス (サウンドトラック) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

いろいろ、読んでいるうちに逆に見えにくくなってしまった気もします。

やはり、映画をまず見ることが必要なようです。

その上で、曲の中の音楽を感じていく。

もともとが、「ピアノのための」曲ではないので(映画のサントラ盤ではシンセサイザーを使い、音程も微妙に違えていたり)、様々な要素が含まれています。

またピアノ曲を演奏するのとは違う感じ方、捉え方ができそうで、これはこれで楽しんでみようと考えています。

2018.09.04

スタインウェイセンター高崎に行ってきました

こんにちは。

以前から一度行ってみたかった「スタインウェイセンター高崎」に出かけてきました。

 

教員時代(私は国語の教員だったので、直接関わっていなかったのですが)に、吹奏楽部の楽器の修理のためによく出入りしていた楽器屋さんと、たまたまピアノについて話したことがありました。

その時に、「ピアノ弾くんだったら、こういうところがありますよ。」とスタインウェイセンター高崎のパンフレットをいただいて、頭の片隅にその存在はずっとあったのですが、行く機会がないままになっていました。

でも、今回、思い切って行ってみることにしました。

発表会の時に、その時その場にあるピアノへの対応力というのは、演奏の質向上の為に欠かせないと感じたからです。

 

同じスタインウェイと言えども、先生のところのピアノと、発表会のホールのピアノとはずいぶん違っていました。

ホールのピアノも弾きやすかったのですが、自分の中で、出している音とイメージする音の差がなくなるまでに時間がかかってしまった、というのも反省の一つなのです。

 

とりあえず、その場にあった中古のスタインウェイ4台と2階にあったB-211の3台を弾かせてもらいました。

確かに、1台ずつ全く違うタッチ、音がします。

中古の中には、とても古いピアノもありました。

それは、中の部分はすべて新品に取り替えてあるのだそうです。

サイズもS-155→O-180→B-211と順番に弾かせてもらいましたので、パワーが違うのかも実感できました。

 

新品の3台の弾き比べをして、その違いには本当に驚きました。

1台はちょっと「鳴りにくい」という印象。たぶんもう少し「しっかり」弾く必要があるピアノだと思います。

1台は「とても反応が良いけれど、音色が好みと少し違う」

1台は「反応はまずまず、音色はとても好み」

ということで、これほど違うのか、ということを実感してきました。

 

いろいろなピアノを弾かせていただいて、とても勉強になり、そして本当に幸せな一時を過ごすことができました。

 

2018.08.17

小澤征爾指揮のラプソディ・イン・ブルー

 

こんにちは。

父の新盆だったので、息子が帰ってきました。

久々にいろいろ話す中で小澤征爾の指揮したラプソディ・イン・ブルーがすばらしいという話を聞かせてくれました。

動画はこれ。

https://youtu.be/vjeBX9S8iMo
確かに。

常々、ジャズの即興には感心させられていますが、今回のこれも「すごい!」の一言です。

どうしてこんなふうに弾けるし、周囲もどうしてこんなふうに合わせられるのだろう?

 

小澤征爾さんが真剣にピアノを聴いている姿。

そしてここというところでオーケストラに指示を出す姿。

心の底から音楽を感じ、浸っているから音楽を共有できるのだろう、ということが伝わってきます。

後ろにいるオーケストラの人達の表情もなかなか興味深いところです。

オーケストラの人達もこの音楽を楽しみながら演奏している様子がよく見えます。

そして、聴衆の熱狂も伝わってきます。

 

演奏する人達が本当に「一期一会」のその瞬間を大切にしながら、1つの音楽を作り上げていく。

そして、その場にいるすべての人が音楽を通して幸せになる。

それがよく分かる素晴らしい演奏だと思いました。

2018.08.13

古いピアノが身近にあったら

こんにちは。

ピアノという習い事は自宅の練習が欠かせません。

もちろん、レッスンの間にもある程度弾きますが、それは基本的には「自宅で練習してきたことの確認」と「次に練習するためのヒント」という意味合いです。

ですから、始めるときには、楽器を用意していただくことになります。

 

先日、大学時代の友人から連絡が入りました。

「ピアノをもらってくれる人いないかな?自宅に古いピアノがあって、自分で弾こうかと思ったのだけれど、ちょっと難しいとあきらめたので。」とのこと。

1980年代のものだそうです。

ちょうどその数日後に調律師さんがきたので、お話を伺いました。

 

古いピアノの場合には、まず、すべての音が出るかどうか、そして、その音がとまるかどうか。

それが第一のポイントなのだそうです。

音が止まる、というのは、鍵盤が下がりっぱなしになっている状態にならないこと、音がボワーンと鳴りっぱなしにならないこと。

音が止まらない場合には、いろいろな原因が考えられ、簡単な修理で治ることもあるけれど、かなり大がかりな修理が必要になることもあるのだそうです。

 

確認してもらったところ、そのピアノは全部の鍵盤の音が鳴るし、音も止まるとのこと。

配送と調律の費用だけでピアノが手に入るとしたら、とてもありがたいこと。

実際に中古のピアノを買う費用の1/6~1/7位ですから。

そう思って、心辺りの方に声をかけてみたのですが、残念ながら今回は見合わせるとのことでした。

 

ピアノは楽器です。

そこからそのものの音を出すことができます。

電子ピアノは「再生装置」です。

録音した音を再生します。

ピアノを学べば学ぶほど、その違いを感じるようになっていきます。

 

住宅事情、周囲への音の配慮などでどうしても電子ピアノでなくてはならない場合もありますから、無理にと言うことはできません。

でも、もし使われていないピアノが身近にあったら、ぜひ電子ピアノではなくて「ピアノ」を使って練習してほしい。

今回のことでまたあらためてそう思いました。

2018.08.12

指遣いを「決める」

こんにちは。

昨日はリズムのことを書きましたが、今日は、指遣いについてです。

楽譜にふってある指遣い。

特に初心者のうちは、書いてある指遣いを守って弾く、ということがとても大切になります。

なぜなら「その時の自分が弾きやすいように弾く」ことは、初心者の場合、「指遣いが決まらない」ということにつながることが多いからです。

指遣いが決まるということは、音を指で覚えていくための第1歩です。

だからこそ、音と指を一致させていく、その過程はとても大切なのです。

 

また、基本的な指遣いの原則というのもあります。

たとえば、ドミソの和音は(右手なら)135を使う。

でも、シレソの和音は125を使う。

こういうものは、ピアノを学ぶ場合の大切な内容です。

ですから、「初心者は楽譜に書いてある指遣いを守りましょう」と言います。

 

もっと段階が進んで、例えばモーツァルトのピアノソナタを弾くとき。

この段階になると、楽譜の指遣いを見たとき、「これは私の手の大きさでは弾きにくい」という場合が出てきます。

あるいは、私の奏法の場合には、手の置き方、手の向きがドイツの奏法と異なるため、「これは弾きにくい」ということもあります。

実際、楽譜の版によって指遣いもかなり違いがあります。

 

そういうときには、迷わず、「自分で指遣いを決め」ます。

ただ、この時には常に「決める」という意識で自分の弾きやすい指遣いをさぐり、それを楽譜に書き込みます。

その都度変えるということはしません。

これもまたけっこう微妙な部分があり、片手ずつ弾いた時には弾きやすいと思っても、両手で弾くと弾きにくい、ということもあるので、一応指遣いをふってみて、何回か試します。

そして、最終的に決めたものは変えずに練習していきます。

 

生徒さんにもそのあたり、お話しして意識してもらうようにしています。

指遣い、とても大切です。

練習のとき、ぜひ、意識を向けてみて下さいね。

2018.08.09

新しい習慣を作るときは、今ある習慣とくっつける

こんにちは。

今日は、習慣化について書いていきますね。

新しい習慣を作るときには、前にある習慣、すでにもう習慣となっていることとセットにすると作りやすくなります。

 

ピアノのレッスンを始めたとき、やはり「毎日ピアノを練習する」という習慣を作ること、それがとても大切です。

「習慣」になると、いちいち「さあ、ピアノの練習を頑張るぞ。」というエネルギーを使わなくてもすむようになります。

たとえば、歯磨きをするときに、「さあ、歯磨きをするぞ。」と「頑張る」人はいません。

食事が終わると「歯磨きしよう。」くらいの軽い気持ちで取りかかると思います。

逆に歯磨きをしないでいると「何だか気持ち悪いな。」となります。

習慣にはこのように「やるのが当たり前になる」「始めるのにエネルギーを使わなくなる」という側面があるのです。

 

習慣を作るときに一番早道なのが、「今ある習慣にくっつける」ということです。

ですから、ピアノの練習もお子さんの場合なら、「宿題をするという習慣」にくっつけるとか、「おやつを食べる」という習慣にくっつける等していくと、作りやすくなります。

また、最初はできるだけハードルを下げていくことも大切。

初めは5分から、そしてだんだん「習慣化」したら長くしていく。

そうすれば楽に練習出来るようになります。

 

もちろん、ピアノが楽しくて仕方がない、という場合には、そんな努力は必要ありませんよね。

そういう方もいます。

ただ、多くの場合、「ピアノを弾けるようになりたいけど、練習はちょっとめんどうくさい」というところからはじめるもの。

その時に「習慣化」がうまくいくと、面倒くささがぐっと下がり、練習することによって、進歩も早まります。

 

これは、ピアノだけに限らず、何か新しい習慣を作るときに役立ちます。

大人でも、生活を見直して新しいことを何か取り入れたい、習慣化したい、と思うときに意識してみてはいかがでしょうか。

2018.07.25

サメの歯の化石があった!化石と自然の体験館

こんにちは。

今日は、ピアノから離れ、近くの「東松山市化石と自然の体験館」のご紹介を。

夏休み中、小学生くらいのお子さんを連れて出かけるのにはぴったりの場所だと思います。

 

私が中学生・高校生の頃から「葛袋ではサメの歯の化石が出る」という話は知られていました。

私は行ったことがありませんでしたが、確か、妹は高校時代に化石を採りに行ったことがあったはずです。

葛袋地域の開発をするにあたり、化石が採取できる地層が調整池になってしまうので、地層をそのままそっくり掘り出して、体験館が出来たのだそうです。

1人あたりコンテナ最大2杯分の石・土をふるいにかけ、化石を探していきます。

 

「丁寧に見て、見逃さないように…」という言葉に、丁寧に見過ぎた私は、時間いっぱいかかってもコンテナ1杯分をふるいおわりませんでした。

ちょっと残念です。

でも、オオワニザメの歯の化石1つを見つけることができて、とても満足。

テーブルの向かい側でふるっていたお母さんと男のお子さん2人。

小学校1年生くらいと思われるお兄ちゃんは、次々に見つけて、全部で7つもの化石を手にしました。

弟さんが「お兄ちゃんばっかりどうして?」と、ちょっとがっかりしていたのですが、サメの歯一つを見つけると、がぜんやる気を出して、その後も一生懸命、土をふるっていました。

だいたい20人で体験して、27~28点(うろ覚えですが)くらいの化石が出たので、一人平均1~2点ということになります。

 

指導の方のお話ですと、だいたいコンテナ2杯にサメの歯1点くらいの割合で含まれているそうです。

石を割って化石を探す体験もできますが、私はふるっているだけで、時間が過ぎてしまったので、今回は体験できませんでした。

「体験する」ことで、昔のこの辺りの地層・生物などに、積極的に興味を持つことができる、とても素晴らしい施設だと思いました。

大人も、とても楽しめる場所でした。

体験をするには予約が必要です。

上記ページからリンクをたどるとインターネット予約のページもあるので、これも便利です。

2018.07.17

筋トレとピアノ

こんにちは。

以前にもちょっと書きましたが、1月から筋トレを始めました。

両親の様子を見て、筋力がいかに生活の質と関係しているか、ということを実感したこと。

本格的に運動した経験はなく、もともとの筋肉の量は少ないので、これ以上減ってしまったら大変という危機感はありました。

たまたまツタヤに行ったとき、目に入った「自宅筋トレ続ける技術」(有賀誠司著・日本文芸社)を見て、これならできるかなと買いました。

そして50代の今から少しずつでもやっておけば、まだ間に合うのでは?と始めたのです。

これが、ピアノの弾き方に大きく影響したのです。

 

筋トレで、筋肉の量が増えたか?というとこれは微々たるものかもしれません。

でも、大きく変わったのは、筋肉に対する自分の意識です。

筋トレのメニューは、本に載っているものをそのまま使っています。

そこには、例えば、上半身の日には「上腕二頭筋」「上腕三頭筋」「広背筋」など、その時に鍛える筋肉が書いてあります。

やっているうちに、この動きの時に使っているのが「上腕二頭筋」なのだ、ということがわかってきました。

 

ピアノのレッスンで、先生から腕の下側の筋肉が…という話を伺って実際に弾いた時、「上腕三頭筋を使っている」という意識が持てるようになってきました。

同時に、上腕三頭筋の筋トレメニューである「ナロープッシュアップ」(手を肩幅について、ひじを身体に近づけたまま曲げる腕立て伏せ)がピアノを弾くときに、鍵盤に腕の重みをかけるイメージとつながりました。

同時に、背中の使い方は、その時とは違っている、ということも分かりました。

この「身体の使い方が意識できるようになった」というのが、私の中ではとても大きく、先生が比喩でおっしゃっていることが自分の身体の実感として持てるようになったのです。

 

結果として、音の響きも変わってきています。

「筋トレをしたら、音の響きが変わった」

自分の中で、予想もしていなかった大きな成果にとてもうれしい思いで、暑さの中、汗をかきながら腕立て伏せをしています。

2018.07.01

2018年前半をふり返る

こんにちは。

気がつくと2018年も半分が終わりました。

この半年間、いかがだったでしょうか?

 

私自身は、けっこう頑張った!という感覚を持っています。

プライベートでは、父の死後のあれこれの手続きをしました。

一人の人を送るということは、とても大きなことだと実感しました。

遺品の整理をする中で、父の考えていたこと、私自身の子ども時代のことを思い出し、見つめ直すことができました。

 

本当にうれしいことに、ピアノ教室の生徒さん達も、だんだんと増えてきています。

来てくださっている生徒さんお一人お一人に合わせて、教材を選んだり、レッスンの内容を考えたり。

もともと教えることは大好きですし、レッスンの内容を考えることは、自分自身の勉強にもつながります。

生徒さん達と、いろいろお話するのも楽しいし、保護者の方も、皆さんとても良い方々で、とても恵まれていると思っています。

そろそろ、クリスマス会に向けての準備も始めていくところで、これもまた楽しいことです。

 

同時に、自分自身の演奏面。

4月までは、葵の会定期演奏会に向けて「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲」を中心に練習していました。

同時に、モーツァルトのソナタを勉強していました。

本番後のここ2ヶ月は、約2年、集中的に弾いていたモーツァルトから離れ、いろいろな作曲家のものを学ぶ方向にしています。

 

2ヶ月でヘンデルのシャコンヌとフォーレのノクターン。

まがりなりにも「一応弾ける」ところまでもっていきました。

今までの私からすると、これはかなりのハイペース。

4月の本番で学んだことが、とても多く、それを生かすことができています。

先生からは、「次はベルクにしましょう。」と言っていただき、そのつもりでいます。

 

今までの自分のいた場所は、心地良い。

でもそこにいると、進歩はゆっくりになります。

そこを出ると、また次の新しい「何か」が見えてきます。

フォーレも新しい挑戦でしたし、ベルクに至っては、自分が演奏すると考えてもいませんでした。

フォーレを弾くことで見えてきたものもたくさんありますし、ベルクを弾くとまた違ってくると思います。

 

多くの人との関わり、支えがあったからこそ、充実した生活を送ることができる。

皆さんに心から感謝しつつ、2018年の前半をふり返ってみました。