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2018.02.08

さらに細かいニュアンスを感じる

こんにちは。

今日も寒いですね。

先日のレッスン以来、モーツァルトの響きについて考えながら練習しています。

今日はそのことについて書きます。

 

速い部分も、1音1音を感じながらゆっくり弾いていく。

拍感、前後の音との関係、単音であっても和声を感じるように…。

自分でどうしたいのか?というのをよくよく自分に聞きながら。

響きの質、響きの上がる高さも意識していく。

 

先生からは、「フレーズの終わりで音が下がる傾向があります。」という指摘をされているので、フレーズの終わりは特に気をつけていきます。

確かに、よく聞きながら弾いていくと、指先の一点に力が集中し、しかもよく響いている時には、微妙に音が高めに、散漫になっている時は低めに聞こえます。

これは、不思議です。確かに以前にもソ♭とファ♯は音が違う、という話を、先生から聞いたことがありました。

確かにその通りです。私の音だとソ♭に聞こえます。楽譜に書いてあるのはファ♯です。

指遣いも少しずつ変えてみるようにしています。

私の場合、親指を使うとどうしても音程が下がります。

親指を使った時に音程が下がらないように練習しつつも、指遣いを変えられるときは、変えることを検討することにしました。

左手の伴奏音型も、特に意識したい音が変わってくると、指遣いを変えていく必要がでてきました。

 

1音1音の確認をしながら弾いていくと、モーツァルトの作った曲の微妙なニュアンスを今までよりももっともっと感じられるようになりました。

明るい中にふっと影が差すときがあります。

その影にも濃淡があります。

モーツァルト自身の中にある悲しみというか、寂しさというかそういうものを感じます。

でもまた何事もなかったかのように、明るさを取り戻している。

人生の一側面を表しているような気がします。

そんなふうに感じられるのは、年齢のせいかもしれませんね。

 

若ければ若い感性で、年齢を重ねれば年齢を重ねた感性で表現していくことができます。

それも音楽を表現することの楽しさなのかもしれません。