「2019年 1月」の記事一覧

2019.01.31

左右の手が別々の動きをする時、脳はたくさん活動している

ピアノは、左右の手が別々の動きをします。その時、脳はたくさん活動しています。

今、左右の手が別々の動きをする段階に入った生徒さんがたくさんいます。この段階に入ることはピアノを学ぶ上で、1つ大きなステップを上がることになるので、脳もそれに対応していかなくてはなりません。

両手を動かす時、脳は多く活動している

両手を動かしている時の脳の活動を見ると、左右同じ動きのときよりも、左右反対の動きをするときのほうが、運動に関連する脳の領域が、より多く活動しています。つまり、左右別々の動きをするときのほうが、脳にとって「大変」なわけです。

古屋晋一 ピアニストの脳を科学する(春秋社) P.27,29

右手を左側の脳が、左手を右側の脳が動かしているというのは、よく知られています。

ただ、それがバラバラに動いているわけではないのは、間につなぐ橋があるからです。

その橋を通して、左右の脳の間に情報が行き来します。ですから、別々に動かすときには、つられないように脳もはたらく必要があるわけです。

ピアニストの脳は「余力」がある

ところが、ある研究で、左右別々の動きをしているピアニストの脳活動を測ってみたところ、驚いたことに、左右同じ動きの時の」脳活動と差がありませんでした。(中略)

ピアニストの脳は、両手を独立して動かしても、複雑な情報処理をする必要がないということで、もっと複雑で素早い動きをする「余力」を残しているとも言えます。

古屋晋一 ピアニストの脳を科学する(春秋社) P.29~30

子供の頃からずっと訓練をしているピアニストの脳には余力があって、左右別々の動きにも対応できる、ということなのです。

慣れるまでは練習が必要

最初からどんどんできるわけではありません。慣れるまではやはり練習が必要です。

今、ちょうどその段階にきている生徒さんたちも、それぞれ「弾きにくい」「つられる」と言いながら、練習しています。

でも、それは「ピアノらしい」動きにつながっているので、楽しみでもあるようです。知っている曲もメロディーと伴奏で弾けるようになっていきますから、頑張って練習しています。

お子さんの場合には、この段階がスムーズです。しばらくすると、上手に左右違う動きができるようになってきます。

人間の脳というのは、ずいぶん柔軟性のあるものであると感心するとともに、ピアノを弾くことで、能力そのものが変わっていく、向上していくということを改めてうれしく思いながら、生徒さんの成長を見ています。

オーディションにチャレンジすることの意味

昨日は、小学校の伴奏オーディションに向けて、最後のレッスンをしました。

小学校の伴奏のオーディションは、今までも、何か行事などでピアノ伴奏を弾く機会があるごとに行なわれてきました。今回は、卒業式の合唱の伴奏です。

コントロールできることに意識を向ける

その生徒さんは、今までも何回もチャレンジしてきました。選ばれて実際に伴奏したことも何度もありますし、残念な結果だったこともありました。

オーディションは、当然のことながら、「結果として選ばれる」ためにチャレンジします。そのために練習を重ねていきます。

でも、選ばれること「だけ」を目標にすると「選ばれなかった私」は否定されてしまった気持ちになります。

オーディションにチャレンジする時は、自分でコントロールできることとできないことに分けてとらえること、コントロールできることに意識を向けて最善を尽くすこと、をいつも言っています。

国際コンクールでさえ常に意見は分かれ、時には「あの人が1位でないのなら帰る」と審査員が怒って帰ってしまうこともあるくらい、演奏者を「選ぶ」ということは難しいもの。

それだけに、チャレンジするときは、その過程に最善をつくすこと、自分なりに納得できる演奏ができること、その部分に意識を向けるようにしていくことが大切なのです。

練習の過程で上達する部分に意識を向ける

最善を尽くそうと努力する中で、ピアノそのものも、上達していきます。一度本番を経験すると、ぐんと上達することは、よく言われます。

今回、オーディションを受ける生徒さんも、今まで何度もチャレンジする中で、読譜の力がつき、短期間で弾けるようになりました。

細かく和声の変化を感じ取って、表現していく力もついてきました。逆に、曲全体を大きくつかんで、表現していく力もついてきました。

これらは、オーディションという本番を何回も経験したからこそ、短期間で大きく進歩することができたのです。

あとは本番で自分の最善を尽くすだけ

昨日のレッスンで聞かせてもらったところ、前回のレッスン時から、だいぶ弾き込んだとのことで、さらに上手になっていました。

もともと細やかな感性をお持ちのお子さんなので、練習をしっかり重ねてとても美しく弾くことができていました。

メトロノームでのテンポの確認。体育館で弾くとのことなので、音を遠くに飛ばす意識とそのための身体の使い方の確認。

そして、本番前にチェックするべきポイントをいくつかアドバイスしました。

「もうここまでやってあるから、大丈夫。本番も上手に弾ける。結果は待つしかないからね。」と話すと、「はい。選ぶのは、先生たちですから。」と今までに何回も言っていることなので、そんな答えが返ってきました。

本番で、自分の納得にいく演奏ができることを信じて、教室からエールを送りつつ、報告を待つことにします。

2019.01.28

「響き」に革命をを起こす ロシアピニズム

昨日、ようやく先生のご著書が届きました。さっそく読んでみました。

「第1章 響きの正体」から始まって「第6章 芸術をつくるということ」まで、幅広いテーマで、ロシアピニズムに関するさまざまな内容が書かれています。

今回は、特に第1章・第2章に書かれている内容を中心に、私が再認識したこと、私自身が体験したことをもとにご紹介できたらと思います。

何を目指すのか

 私自身がピアノを演奏することで、何を表現していきたいのだろう?ということを深く考えるようになったのは、ロシアピアニズムを学ぶようになってからのことです。

それ以前も、もちろん考えなかったわけではないのですが、感覚が違ってきたように思うのです。

まだ大野先生のレッスンに行き始めて間もない頃。「その1音に、人生が表れている?」と聞かれ「え?そんな大げさな…。1音で?そんな無理なことを…。」と思ったことを覚えています。

 音楽はただ弾いただけでは聴こえてこない「何か(Something)」を聴衆に聴こえるように演奏する芸術だ。そのために倍音の果たす役割は大きい。 

 その「何か」がなくては、演奏家と聴衆の真のコミュニケーション、作曲家と演奏家の真のコミュニケーションは成立しない。(中略)

 演奏家の使命は、作曲家の書き残したものを手掛かりに、書かれてある以上の「何か」を再現し、聴衆に伝えることなのだから。

「響き」に革命を起こす ロシアピアニズム p.26

当時の、私の演奏には「何か」が感じられなかったのでしょうね。意識もしていなかった。今、この本を読むことで、改めて当時を思い出しました。

今は、少なくとも「何か」を「意識」はしています。それは、倍音で音楽を作っていく重要性を認識できたからこそのことです。

演奏時の感覚について

この本には次のようなことが書いてあります。

 以前は「何かしよう。」という意識が働いていたが、今はまったくそのような意識は持たない。無我の境地に非常に近い。それは、奏法を変えたことにより、どう演奏するかを響きが自然に教えてくれるようになったからだ。それにより頭で考える必要はなくなり、心の赴くままに演奏ができるようになった。

 響きがイマジネーションを豊かにしてくれるのだ。


「響き」に革命を起こす ロシアピアニズム p. 64

 先生のように、無我の境地とはなかなかいかないのですが、「考える」より「感じる」要素が大きくなっていくのも確かです。

ここは、どんな響きで弾いていくと、より美しいだろう?ここは、こういう響きを使ってみたい。

演奏しているときに、そんな感覚になることが増えてきました。そうすると、いつも同じ響きではなくて、その時々によっても変わっていきます。

今日はこんな感じ。今はこんな感じ。日によって、時によって自由度が高まっていきます。「ねばならない」が少なくなる分、自由に自分の心に忠実になる感じがします。

原点を思い出す

今回、このご著書を読むことで、自分の音楽への原点を、また思い出した感覚があります。

今回は、ほんの一部のご紹介ですので、またこの後、取り上げていきたいと思っています。

「鍵盤は『叩かない』んですね。」体験レッスンの方の言葉

昨日、大人の生徒さんが体験レッスンにお見えになって、入会を決めてくれました。

子供の頃、習っていて、「バイエルとブルグミュラーまでやってやめました。その後、小学校の教員免許を取る関係で、バイエルをまた弾きました。」とのことでした。

一通りお話して、私の奏法についてご説明すると、とても興味を持ってくださって、「鍵盤って『叩かない』んですね。何だかピアノは、指で鍵盤を叩くイメージがありました。」とおっしゃるのです。

そう言われてみれば、そうかもしれません。私も子供の頃に言われた(楽譜に先生の書き込みが残っていました)ことは、「指を上げて鍵盤の底までしっかり弾く」でしたが、指を上げてから「しっかり底まで」下ろせば、叩く感じに近くなります。

「そんなに指を使わなくて大丈夫です。ピアノは、音が出ますから。」と言うと「何だか今までと違っていて、おもしろそうです。」とのこと。

その後、私が弾いているところを見ていただきましたが、「確かに、叩いていないですね。手の使い方が、子供の頃、自分が習ったのとは違います。」とおっしゃっていました。

身体を前傾させ、腕の重みが鍵盤に伝わるように、肩、肘、手首の使い方も従来の奏法とは違います。

指ももちろん、手の内側の筋肉や虫様筋は使いますが、指そのものを上げる、という動きはありません。

ですから、自然で無理なく弾くことができます。

まずは、中指を使って、指の支えのイメージをつかむところから、始めることにしました。子供の頃に習っていたので、しばらくすると、指の感じも戻ってくるでしょう。

そうすれば、より楽に、そして豊かな音色でピアノを楽しむことができます。これからがとても楽しみです。

拍を感じながら弾こう

小学校6年生の生徒さんが、あいみょんのうたう「マリーゴールド」を弾きたいということで、練習を始めました。

クラシックとは違う部分もあって、楽しみながらも「難しい~!」と言って、レッスンに持ってきました。

私も、歌を聞いてみて(楽譜を見ながら歌ってみて)弾いてみて、生徒さんの弾くのを聞いて、なるほど、と感じた部分があるので、それについて書いてみます。

シンコペーション

やはり、なんと言ってもシンコペーションの多さ。

歌を聞いていると、それがとても自然で、だからこそ、音楽が前に進んで魅力的なのですが、それを楽譜にタイをたくさん使って書き、さらにそれを音にするとなると、話は違ってきます。

生徒さんも「右と左を合わせようとすると、すごく難しくなる。」と言っていましたが、その原因はこのシンコペーションを使ったリズムにあるのです。

歌の場合には、歌う人が拍を感じてバンドの演奏に合わせて歌えば良いのですが、右手と左手とで別々にリズムを刻むことは意外に難しいのです。

左右それぞれをリズムを感じながら練習する

伴奏の練習をたくさんしていたために、どうしても、他の曲の練習時間が少なくなりがちです。

片手ずつまず弾いてもらったのですが、4拍子を感じながら弾けるところまでには、あと一歩でした。

それを少し練習して、前奏部分の両手を合わせてみると、なんとか合わせることができました。

右手は右手で、歌のイメージを持ちながら、でも1234の拍子は常に意識する。左手は左手で、同じく1234の拍子を意識する。

それができてから、両手の練習。この手順を確実に踏むことが結果的に早道のようです。

ポピュラー音楽に限らない

もっとも、これはポピュラー音楽に限りません。どんな曲でも同じです。拍感、拍子感は常に大切です。

そして、その上にフレーズ感。特に歌詞のあるもの、伴奏を弾くときには、言葉と音との関係もしっかり見ていく必要があります。

「また、練習してきます。」と言って帰っていく生徒さん。夏のマリーゴールドの花のように元気で明るく、私も元気と明るさをたくさん分けてもらいました。

2019.01.25

ロシア・ピアニズムとの出会い

今日は、今、私が師事している先生のご著書の発売日。予約しているので、送られるてくるのを楽しみにしているところです。

個人的なことですが、今日は、私自身のロシア・ピアニズムとの出会いを書きますね。

さかのぼれば最初の出会いは、高校生のころ。父の友人からもらったホロヴィッツのレコードです。ショパンのソナタを聞いたのですが、とにかくあの迫力に圧倒されました。

そのときは「ホロヴィッツの演奏」であり、ピアニズムとしての意識はありませんでしたし、まさか、その奏法を学ぶことになろうとは全く予想できないことでした。

大学時代

次の出会いは大学時代。松原正子先生にレッスンをしていただくことになり、「響きを聴きなさい」といつも言われました。ところが耳のできていない私は、「響き」って何だろう?と疑問のまま月日が過ぎていきました。

先生の演奏が非常に魅力的で、「モーツァルトの音、ショパンの音、ベートーヴェンの音は、それぞれ違う」とよくおっしゃっていましたし、確かに先生の演奏では、違いがありました。

手の使い方も独特で、それまで学んできたものとは全く違っていました。「ホロヴィッツと似ているよね。」という話は学生の間でされていましたが、当時はよくわかりませんでした。

「私の師匠はロシア人でね…。」というお話を伺ったのは、卒業した後のことです。卒業後もしばらくご自宅にレッスンに伺っていて、その時初めてそんなお話をされたのです。

ピアノを本格的に再開して

仕事をしながらの、育児・介護に忙殺されていた時期を経て、少しだけ余裕が出てきた40代後半、ようやく近くの先生について、ピアノのレッスンを再開しました。

指が少しずつ動きを取り戻した頃、自分の演奏の録画を見たとき、「これは違う!」と強く思いました。ドビュッシーを弾いていたのですが、私のイメージする音ではなかったのです。

現在、師事している大野眞嗣先生がブログをはじめたのは、ちょうどその頃でした。

ロシア・ピアニズムという言葉は、それまでも「知識」としては知っていました。ただ、それがどんなものであるか知らなかったので、「ロシア生まれのピアニスト」たちのものだと思いこんでいたのです。

1ヶ月、大野先生のブログをずっと読んで、「やってみたい!」と強く思いました。勇気を奮ってメールを書きました。「専門的」に学んでいる人を対象にレッスンしている先生ですから、ピアノ科出身ではない私が、果たして教えていただけるかどうかも分かりません。

ずいぶん長文のメールを送ったように思いますが、幸いなことに、先生にレッスンしていただけることになり、本格的に「ロシア・ピアニズム」を学ぶことになったのです。

ロシア・ピアニズムの魅力

まさか、自分の感覚そのものがこれほど変わっていくとは思いませんでした。弾いた時の音の響き。音色の変化。

「響きで音楽を作る」ことの楽しさ。それらを味わいながら練習しています。

ホロヴィッツの映像を見て、こんなふうに身体を使っているんだ、ということが、理解できるようになってきました。

どこに、どんな出会いがあるかは分かりませんが、その出会いが人生を変えていくことがあるのだな、ということをつくづく感じています。

ピアノの鍵盤の奥まで使う

ピアノの鍵盤は奥行き15センチほどあります。白鍵の手前から一番奥までの長さですね。

黒鍵は10センチですから、白鍵だけの部分が5センチということになります。

小さいお子さんにありがちな傾向

小さいお子さんの場合、手首を上下に動かして、その力で鍵盤を下げようとする傾向があります。特に最初のうちは、白鍵だけを使うので、そのほうが「弾きやすい」と思ってしまいがちです。

小さいお子さんにしてみれば、ピアノの鍵盤はとても重く、「なかなか音が出ない」という感覚なのかもしれませんね。そうすると白鍵の手前1~1.5センチくらいのところを使って弾きたくなってしまうのです。

いざ、5センチ分奥にある黒鍵を使うようになると、その時にかなり奥に手を動かすことになり、今度はとても弾きにくくなってしまいます。

ロシア・ピアニズムならではの手の使い方

ロシア・ピアニズムならではの手の使い方に旋回があります。左右の旋回とともに、奥に向かって入っていく方向の旋回もあります。

ですから、黒鍵を使うときには、かなり鍵盤の奥まで手が入っていきます。

黒鍵と白鍵の混ざっている曲の場合、かえってそのほうが移動が少なく、弾きやすい場合が多いです。

同時に、旋回することによって手の重みのかかり方が違ってきて、響きも音によって変わり、とても細やかな表現ができてくるのです。

鍵盤の奥まで使う

ですから、小さいお子さんの場合にも、「全部の指が鍵盤の上に乗っている状態を意識する」「手首の旋回を使う」ことは、意識して指導するようにしています。

小さいお子さんの場合には、音が出にくいと感じることもあり、なかなかその感覚がつかめないこともあるのですが、「この(白鍵の手前5センチの真ん中) あたり を使って弾こうね。」「手首を、こういうふうに回して弾こう。」ということを繰り返し言っています。

繰り返していくうちに、なんとなく身についてくるものです。

先日も、ヘ長調の音階に入り、黒鍵を使っての練習が始まった生徒さんがいました。やはり「もっと奥で弾こうね」と言い続けているうちに、だんだん弾く時の手の位置が変わっていきました。

鍵盤の奥行きいっぱいを使って、弾きやすく、豊かな表現を目指して指導しています。

2019.01.22

調律をしていただきました

昨日は、調律をしていただきました。調律師さんは、名古屋から、関東に住む私も含め、同門の方々のピアノの調律をするために出張していらっしゃっています。

大野ピアノメソッドの先生のところで、ピアノのレッスンを受けているので、響きの感覚もとてもよく分かっていて、丁寧に調律してくださいました。

まずは、落としてしまった鉛筆を拾っていただき、ほっとしました。

スタインウェイの場合には、ふたがはずれないので、納品の時に「鉛筆を落とさないように気をつけてください。もし落としたら調律師に連絡してくださいね。」と言われていたのに、先々週、うかつにも落としてしまったのです。

大して気にも止めていなかった、前のヤマハのときには、鉛筆を落としたりしなかったのに、なぜか「気をつけよう。」と思うようになってから、あっという間に落とすとは。

その後、考えて、芯の太いシャープペンシルを買って、ホルダーに紐を通して、書き込むときには紐を手首に通してから書くことにしました。

それはそれでひと手間かかるので、面倒ではありますが、落としてしまうよりは良いでしょう。

前回、12月末の納品時に調律してありましたが、強い音、弱い音、いろいろに変えながらだいぶ長い時間をかけて調律していただきました。

終わって弾いてみると、今までよりもずいぶん響きが上に上がるようになっていました。響きがとらえにくくて、ここのところ先生の言う「弾きすぎ」「指を使いすぎ」という傾向にあったので、ほんとうにうれしく思いました。

「まだ、新しい音がしますね。たくさん弾いて、調律して…を繰り返して、ピアノを育てていく感じです。」と言っていただきました。

やはり良い音、良い響き。うれしいですね。あらためて「たくさん弾こう!」と思いました。

2019.01.21

「バロック音楽」を読みました

先日読んだ皆川達夫さんの「中世・ルネサンスの音楽」が良かったので、「バロック音楽」も読んでみました。

やはり、いろいろと学ぶことが多く、特に、バッハにつながるさまざまな流れがよく分かりました。

この本の最初のほうに「声楽から器楽へ」と書かれているように、このあたりから、鍵盤楽器も発達し、ピアノでも演奏されるような曲が作曲されるようになってきます。

演奏の自由度が高い

バロック音楽の特徴として挙げられている内容がいくつかありました。今、私が勉強中のフランス組曲で装飾音について、いろいろ考えつつ試していることとの関連で印象に残っていることとして、「演奏の自由さ」が挙げられます。

楽譜は、いわば建築の設計図、ないしは見取図程度のものである。この時代の作曲家には同時に名演奏家であった人びとが多く、したがって楽譜に多くのことを記す必要がなかったということもあったが、しかしそれ以上に、楽譜の簡略な表示法というものがバロック音楽にとって本質的な意味合いをもっている。

バロック音楽   2 バロック音楽の魅力  即興性と瞬間の芸術 P.65

これを読んで、ある意味、納得もしましたし、逆に、だからこその難しさを感じました。この後、ジャズとの比較で、装飾音についても述べられています。

トリルとかモルデントといった装飾音にしても、通奏低音にしても、それを演奏するための一定の枠があるにせよ、その枠の中での無限の可能性はその場その場の演奏家の選択にまかされていた。(中略)彼らは、その席のお客の顔ぶれを見定めた上で、装飾音の双方やニュアンスを考慮したといわれている。高座に上がって当夜の客の様子や反応をうかがい、おもむろに話の枕を決める日本の落語家などにも共通した、この徹底した職人意識がバロック演奏家の心構えであった。

バロック音楽  2バロック音楽の魅力 ジャズとの共通性P.66~P.67

なるほど、これを読むと演奏者の役割がとても大きいということが分かります。音楽の専門教育を受けた人の数が少なかった当時、楽器が演奏できる人は、作曲もできる。それから、職人としてその道を深く学んだ者だけが演奏している、という背景がよくわかりました。

イタリアでの誕生・発展

もう一つ、印象に残ったのは、バロック音楽の誕生・発展の中心はイタリアだったということです。

バロック音楽の場合、最後の集大成としてのバッハ・ヘンデルの存在が大きく、二人ともドイツ人であったために、私もつい、ドイツが中心のようにとらえていました。

バロック音楽の誕生の国、そして展開の中心舞台は、ほぼ終始してイタリアであった。その他の国々は、イタリアで開拓され展開した要素を受け入れ、その影響にもとに、それぞれの民族色を反映した独自の音楽を作り出していたのである。その意味で、バロック音楽史とはイタリアの奏する主題と、それにフランス、ドイツ、イギリスなどが付加する変奏曲から成るといういうことができようか。


バロック音楽   2 バロック音楽の魅力  バロック音楽の展開 P.50

バロック音楽の始まり、展開がイタリア・オペラと密接に関連していること、器楽もイタリア中心に発展してきたこと。音楽用語もイタリア語で書かれていることからも、なるほど、と思わせられます。

また、ヘンデルの「シャコンヌ」を以前、勉強した時に、「シャコンヌというのはどんな音楽なのだろう?」と調べてみたことがありました。

そのときには、あまりよく分からなかった部分がここに取り上げられています。フレスコバルディ(1583-1643)の時代に「変奏曲の一種として、低音に主題を置いて繰り返し、そのたびごとに上声を多様に変奏してゆく『シャコンヌ』あるいは『パッサカリア』という楽曲が行なわれていた」とのこと。

これも、イタリアでのことです。そして、フレスコバルディの弟子であるフローベルガーを通じてドイツのバッハ、ヘンデルへとつながっていくのです。

本を読む楽しみ

文字で音楽に「ついて」知ることが、演奏の上でどれだけ役に立つのか。確かに知識だけでは、役に立ちません。ただ、流れが分かることで、今まで「何となく」だったものがつながっていく楽しさがあります。

今回、この本を読んだことで、特に装飾音について今まで「どうしてだろう?」「どう弾いていったらいいだろう?」と考えていたことへの自分なりの考え方のヒントがありました。

そういうものに巡り会えるのも、読書の楽しみです。

2019.01.20

指遣いを決めながら楽譜を読み込む

バッハのフランス組曲2番についている装飾音、特にジーグの部分について、ピアノで演奏する場合、どうしたら良いかを考えつつ、いろいろな演奏を聴き比べていました。

カツァリスの楽譜に書き込まれた指遣い

その中にカツァリスの演奏があったのですが、その動画に驚きました。楽譜が使われていて、御本人のチャンネルなので、御本人の楽譜でしょう。そして、そこに指遣いがたくさん書き込まれていたのです。

カツァリスは「世界的なピアニスト」(Wikipediaの紹介文)であり、私も名前は知っていましたし、今までにもYouTubeやCD等で演奏をきいたこともあります。

そのようなピアニストが、フランス組曲の楽譜にこれほどまでに書き込み、指遣いを研究していることに驚きました。装飾音にまで、すべて書き込まれているのですから。

ところどころ、修正している部分もあります。弾きながら指遣いを変更すると、それもその都度書き込んでいるんだろうな、と思われます。

指遣いを書き込むと音に対する意識が変わります

以前、私自身もすべての指遣いを楽譜に書き込むことについて下の記事を書きました。

この中でも、指遣いを決める過程で、一つ一つの音に気を配れるようになったことを書いていますが、それは書き込んでみると、よく実感できることです。

手の使い方を意識しつつ楽譜を読む

先日のレッスンの反省で、手の使い方にも、今まで以上に意識をしていこうと考えていた矢先のこと。

このカツァリスの動画を見て、改めて指遣いを決めることの大切さと楽譜を読む時間をしっかりとることの意義を再認識しました。