その他

2019.02.14

久しぶりの文楽

ほんとうに久しぶりに文楽を見てきました。

大学3年生の時に日本音楽の課題で見て以来、その魅力にひかれて、20代の頃、国立劇場の文楽公演に年2~3回行っていました。

語りと三味線というシンプルな組み合わせ。その中で、登場人物を語り分け、場面の描写がなされます。その伴奏にのって人形がお芝居をしていきます。

最初に見たのは、「生写朝顔話しょううつしあさがおばなし 宿屋の段」。人形が琴を弾く場面で、本当に弾いているかのような動きに驚きました。まさに生きているかのようでした。

同時に太夫さんの語りと三味線の「場」の作り方に感動したのでした。

今回の演目は鶊山姫捨松ひばりやまひめすてまつ檀浦兜軍記だんのうらかぶとぐんき。私がよく行っていた頃、素晴らしいと思っていた吉田簑助さんという人形遣いが鶊山姫捨松に出演するので、ぜひ見たくて、夜の部にしたのです。


前半の鶊山姫捨松ひばりやまひめすてまつ 中将姫雪責ちゅうじょうひめゆきぜめの段。お話自体は、継母が継子である中将姫を雪の中で責める場面に多くの時間が割かれる話です。

最後に父親が本心を語り、娘との別れを惜しむ場面。雪がはらはらと降るなか、お付きの女性二人と姫、父親の姿が、1つの絵のようになっていて、様式美を感じました。

期待通り、吉田簑助さんの中将姫の美しいこと。ほんの少しの心の動きが、人形の身体の動きに表れ、心から「来てよかった!」と思いました。

後半の檀浦兜軍記。こちらは、鎌倉時代初めという設定で、畠山重忠が、平家方の平景清の居場所を阿古屋という女性に聞くという話です。

知らないと言う阿古屋に琴、三味線、鼓弓を弾かせ、その音色から畠山重忠が阿古屋が本当に知らないことを聞き分けるという筋です。

こちらは、語りの太夫さんが5人並びます。役ごとに違う人が語るのです。

最初、三味線の人の右側が空いていて、どうしたのだろうと思っていたら、途中から、もう二人、出てきました。一人は三味線、もう一人は琴を用意しています。

次の三味線の時には、さっき琴を弾いていた人が今度は三味線を弾き、胡弓の時は胡弓を弾いています。後でプログラムを見直したら、三曲となっていて、鶴澤貫太郎さんという方でした。

文楽の三味線は太棹なのですが、阿古屋が三味線を弾く場面でその方が弾いた三味線は、棹の部分が細く、音色も少し違っていました。

こちらは「とにかく楽しい」演目でした。私が初めて文楽を見た時、琴の演奏に驚きましたが、今回の琴、三味線、胡弓の3つも、まるで弾いているかのよう。手の動きと音の変化がぴったりで驚きました。

畠山重忠の隣で一緒に聴いている岩永左衛門という役の人形のコミカルな動きも楽しくて、場内には時々笑いが流れました。

日本の伝統文化は、とかく敷居が高く思われがちですが、文楽は字幕もついていて、わかりやすい。イヤホンガイドもあります。ここ10年ほど、人気が上がってチケットが取りにくくなっているということも納得できました。

改めて日本の文化の素晴らしさを感じ、心から楽しんだ一時でした。

2019.01.25

ロシア・ピアニズムとの出会い

今日は、今、私が師事している先生のご著書の発売日。予約しているので、送られるてくるのを楽しみにしているところです。

個人的なことですが、今日は、私自身のロシア・ピアニズムとの出会いを書きますね。

さかのぼれば最初の出会いは、高校生のころ。父の友人からもらったホロヴィッツのレコードです。ショパンのソナタを聞いたのですが、とにかくあの迫力に圧倒されました。

そのときは「ホロヴィッツの演奏」であり、ピアニズムとしての意識はありませんでしたし、まさか、その奏法を学ぶことになろうとは全く予想できないことでした。

大学時代

次の出会いは大学時代。松原正子先生にレッスンをしていただくことになり、「響きを聴きなさい」といつも言われました。ところが耳のできていない私は、「響き」って何だろう?と疑問のまま月日が過ぎていきました。

先生の演奏が非常に魅力的で、「モーツァルトの音、ショパンの音、ベートーヴェンの音は、それぞれ違う」とよくおっしゃっていましたし、確かに先生の演奏では、違いがありました。

手の使い方も独特で、それまで学んできたものとは全く違っていました。「ホロヴィッツと似ているよね。」という話は学生の間でされていましたが、当時はよくわかりませんでした。

「私の師匠はロシア人でね…。」というお話を伺ったのは、卒業した後のことです。卒業後もしばらくご自宅にレッスンに伺っていて、その時初めてそんなお話をされたのです。

ピアノを本格的に再開して

仕事をしながらの、育児・介護に忙殺されていた時期を経て、少しだけ余裕が出てきた40代後半、ようやく近くの先生について、ピアノのレッスンを再開しました。

指が少しずつ動きを取り戻した頃、自分の演奏の録画を見たとき、「これは違う!」と強く思いました。ドビュッシーを弾いていたのですが、私のイメージする音ではなかったのです。

現在、師事している大野眞嗣先生がブログをはじめたのは、ちょうどその頃でした。

ロシア・ピアニズムという言葉は、それまでも「知識」としては知っていました。ただ、それがどんなものであるか知らなかったので、「ロシア生まれのピアニスト」たちのものだと思いこんでいたのです。

1ヶ月、大野先生のブログをずっと読んで、「やってみたい!」と強く思いました。勇気を奮ってメールを書きました。「専門的」に学んでいる人を対象にレッスンしている先生ですから、ピアノ科出身ではない私が、果たして教えていただけるかどうかも分かりません。

ずいぶん長文のメールを送ったように思いますが、幸いなことに、先生にレッスンしていただけることになり、本格的に「ロシア・ピアニズム」を学ぶことになったのです。

ロシア・ピアニズムの魅力

まさか、自分の感覚そのものがこれほど変わっていくとは思いませんでした。弾いた時の音の響き。音色の変化。

「響きで音楽を作る」ことの楽しさ。それらを味わいながら練習しています。

ホロヴィッツの映像を見て、こんなふうに身体を使っているんだ、ということが、理解できるようになってきました。

どこに、どんな出会いがあるかは分かりませんが、その出会いが人生を変えていくことがあるのだな、ということをつくづく感じています。

2019.01.22

調律をしていただきました

昨日は、調律をしていただきました。調律師さんは、名古屋から、関東に住む私も含め、同門の方々のピアノの調律をするために出張していらっしゃっています。

大野ピアノメソッドの先生のところで、ピアノのレッスンを受けているので、響きの感覚もとてもよく分かっていて、丁寧に調律してくださいました。

まずは、落としてしまった鉛筆を拾っていただき、ほっとしました。

スタインウェイの場合には、ふたがはずれないので、納品の時に「鉛筆を落とさないように気をつけてください。もし落としたら調律師に連絡してくださいね。」と言われていたのに、先々週、うかつにも落としてしまったのです。

大して気にも止めていなかった、前のヤマハのときには、鉛筆を落としたりしなかったのに、なぜか「気をつけよう。」と思うようになってから、あっという間に落とすとは。

その後、考えて、芯の太いシャープペンシルを買って、ホルダーに紐を通して、書き込むときには紐を手首に通してから書くことにしました。

それはそれでひと手間かかるので、面倒ではありますが、落としてしまうよりは良いでしょう。

前回、12月末の納品時に調律してありましたが、強い音、弱い音、いろいろに変えながらだいぶ長い時間をかけて調律していただきました。

終わって弾いてみると、今までよりもずいぶん響きが上に上がるようになっていました。響きがとらえにくくて、ここのところ先生の言う「弾きすぎ」「指を使いすぎ」という傾向にあったので、ほんとうにうれしく思いました。

「まだ、新しい音がしますね。たくさん弾いて、調律して…を繰り返して、ピアノを育てていく感じです。」と言っていただきました。

やはり良い音、良い響き。うれしいですね。あらためて「たくさん弾こう!」と思いました。

2019.01.17

ルーベンス展を見に行きました

昨日は、久々に上野の国立西洋美術館に行きました。「ルーベンス展」を見るためです。

今年は、行きたい所には行ってみよう、見たいものは見てみよう、というのを目標に入れてみたのです。

ついつい日常の様々な物事にかまけて、美術館にもしばらく行っていなかったので、とても楽しいひとときを過ごすことが出来ました。

子どもへの優しい視線

最初の展示室は、肖像画が展示してありました。有名な自画像もありましたが、私は、ルーベンスが5歳の長女を描いた「クララ・セレーナ・ルーベンス」という画にとても心引かれました。

髪の毛の柔らかい感じ。赤いほほ。ルーベンスは、この子のことが本当にかわいくてたまらないのだろうな、と、その気持ちが伝わってくるような絵でした。

その隣にあった、兄の子供たちをモデルにしたらしいという、「眠るふたりの子供」。幼い子供二人が眠っているところを描いた絵からも、優しさが漂ってくる感じがして、子供への優しい視線が現れていました。

ギリシャ神話の題材の多さ

今回は、ギリシャ神話に題材をとった作品がたくさん展示されていました。

ルーベンスは、フランドル(今のベルギー、フランス)出身ですが、イタリアに行ったこともあります。当時のヨーロッパの文化は、ギリシャ神話の影響が大きかったのだろうと いうことが伺えました。

ルーベンスはイタリア、主にマントヴァに1600年~1608年の間、滞在しました。音楽史のほうでは、同時代1600年に、フィレンツェで現存する最古のオペラも上演されています。それも、ギリシャ神話から題材をとった「エウリディーチェ」でした。

そして、ルーベンスを宮廷画家として雇っていたマントヴァ公の同じ宮廷には、モンテヴェルディが音楽家として仕えていて、ペーリの「エウリディーチェ」と同じ題材の「オルフェオ」を作曲して 1607年に初演しています。

ルーベンスがモンテヴェルディのオペラを見ているかもしれない、面識もあった可能性は高いと思うと、とても興味深く感じられましたし、ギリシャ神話由来の題材で多くの絵が描かれていることも、当時の流れから自然なことなのだろうと思いました。

工房としての制作

ルーベンスは多作でしたが、工房として制作していたからこそ、それだけ多くの作品が描けたのだそうです。

弟子たちが描き、仕上げにルーベンスが手を加える。それで「ルーベンス作」となるのだそうです。

工房の外の画家とも連携し、樹木を描くのが得意な画家に背景の樹木を描いてもらう、等の分業も行っていたのだとか。

そこまでとは思わなかったので、ちょっと驚きました。今とはその辺りの感覚は大きく違うのでしょうね。

美を発見し、表現すること

以前、絵を学んでいた人から、「デッサンでは、そこにあるものの美しさをどれだけ見つけて表現できるか、ということが問われる」という内容のことを聞いたことがあります。

ルーベンスの絵の中からは、人間の身体の美しさが伝わってきました。肌のなめらかさ、筋肉の動き、身体の厚みなど。

宗教画のキリストの死を扱ったものなどからは、逆に生命の失われてしまった身体の痛々しさと、周囲にいた者の悲しみが伝わってきました。

「表現」は様々な要素を含んだ言葉ではありますが、このあたりは、音楽とも深く関わっています。その様々な要素を自分の中に蓄積していく、という意味でも、またいろいろな絵にも、音楽にも触れていきたい、と改めて感じたひとときでもありました。

2019.01.03

オペラでわかるヨーロッパ史―読みながら世界史の勉強をしました

こんにちは。

ここ数日は、読書の時間がいつもより多く取れました。

ピアノも大好きですが、オペラも大好き。「オペラでわかるヨーロッパ史」という本を読みました。

新書なので、さらっと読めます。

読みながらヴェルディが多いな、とは思ったのですが、後書きに「筆者がヴェルディを偏愛しているせいもあり、またヴェルディの作品に大河ドラマ的なものが多いため、彼の作品が多くなってしまった」という記述があり、納得。

日本史は好きだったのですが、世界史は知らないこと、覚えていないことが多く、そういえばそうだっけ?と1つ1つ「学習」した状態でした。

印象に残ったことをいくつか書いていきます。

検閲との闘いがあったこと

オペラへの検閲があったことは、知っていました。例えば、この本にも取り上げられている「ドン・カルロ」が検閲を通すために、話の舞台をアメリカに変えて、人物の設定も変えた、ということ。

でも、実際は私が事前に知っていたことよりも、はるかに多くの厳しい検閲がありましたし、土壇場になって上演が流れてしまったこともあったそうです。

しかし、ゲネプロ(最終リハーサル)後、ナポリを治める両シチリア王国の国王から横やりが入り、初演は流れてしまう。シラーの戯曲が許容されたミラノや北イタリアと違い、シチリア王国は保守的で、舞台で王族の処刑を扱うことに待ったがかかったのだ。

オペラでわかるヨーロッパ史 第二部 二 弾道台の女王―マリア・ストゥアルダ p.139

「マリア・ストゥアルダ」の初演は1835年のミラノ。ナポリでは上演できずに、ミラノでということからもわかるように、地域差も大きかったようです。

それから20年以上たってからヴェルディが作曲した仮面舞踏会も、ナポリでは初演できず、1859年、ローマに変わって初演になりました。

《仮面舞踏会》は、ナポリで初演されるはずだった。それがローマに変わったのは、「検閲」のためである。ナポリの検閲当局は、実在の国王の暗殺事件と、フィクションとはいえ、「不倫」を盛り込んだ物語を許さなかった。


オペラでわかるヨーロッパ史  第三部 三 「検閲」の向こう側―仮面舞踏会 p.187

識字率が低かった当時、劇場の影響力は強く、小説では許された表現も舞台にかけるオペラでは許されなかったことなど、そのあたりの事情も詳しく書かれていました。

作曲家の姿勢が反映されていること

台本作家が作った台本に曲をつけてオペラを作るものの、作曲家の姿勢が台本そのものにも大きく反映されている様子が伺えました。

「トスカ」の中の有名なアリア「星は光りぬ」の歌詞についても、台本作家の歌詞が気に入らず、プッチーニが歌詞を書き換えてしまったエピソードが紹介されています。

このあたりも、ヴェルディとの違いが書かれていました。

また、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」の部分でも、歴史に対する作曲家本人の姿勢について詳しく書かれていて、興味深く思いました。

オペラを見る楽しみの一つの視点として

「『史実』と言われているもの」それ自体、様々な見方があり、様々な捉え方があるものです。

さらにそれを、劇場で上演する形にしていけば、さらに様々な要素が入ってくることは当然です。

今回、「歴史作品は、題材になっている時代と成立した時代という、二重の歴史を反映していると思う」という筆者の意見に共感しつつ この本を読むことで、オペラを見る楽しみに、また一つ違う視点が持てるようになりました。

2018.12.07

トロンボーン、大きい!

こんにちは。

16日のクリスマス会に向けて、準備中です。

昨日は、中学校で吹奏楽部に所属している生徒さんが、トロンボーンを持ってきてくれました。

(写真を撮り忘れました!残念です。上の写真は昨日の実物ではありません)

クリスマス会で、吹いてくれることになっているからです。

 

見て、その大きさにちょっと驚きました。

考えてみると、いつも吹奏楽部の演奏中に吹いている姿を見ていたわけで、実物をこんなに間近でしっかりと見ることは初めてでした。

以前「ふるさと」を吹いたことがあるとのことだったので、当日も「ふるさと」にしましょう、と以前に決めていました。

ところが、トロンボーンは主旋律を吹くことが少なくて、吹いたことのある「ふるさと」もメロディーはほとんどないとのこと。

いろいろ相談の末、小さいお子さんも多いので、「きらきら星」に変更することにしました。

 

「『ド』の音を出してね」と言って確認すると、シ♭。

調号はヘ音記号をつかうというので、大急ぎでその場でハ長調の楽譜を書いて、これでどう?と試してみたのですが、どうも音が安定しません。

「何の音を出すか分からなくなる。」と言うのです。

「あれ?」と思って、「譜面上で、ドの音は、第何線とか第何間とか、分かる?」と聞くと、「第2線」。

うっかりしていました。「トロンボーンは実音表記」でした。

実際に出てくる音を楽譜に書く。

だから、変ロ長調で書く必要があったわけです。

そして、意識としては、それを「ドドソソ~」と思いながら演奏している、ということですね。

 

変ロ長調に書き直して吹いてもらうと、1回で上手に吹けました。

さすが毎日練習しているだけのことはあります。

そして、当日、こんなに大きな管楽器を見せてもらえると、みんな大喜びだと思います。

また楽しさが一つ加わりました。

2018.11.27

音楽短大のライブ実践。若者の頑張りに感動しました。

こんにちは。

昨日は、中学校教師時代の教え子が、音楽短大に進学していて、ライブ実践ということだったので、聞きに行きました。

(写真撮影はできないとのことなので、上の写真は昨日のものではありません。)

人生初のライブハウスです。しばらく前、息子にライブハウスってどんなところ?と聞くと、お母さんが行くの?と笑いながら、飲食店扱いなので、ワンドリンク買うことが必要なことを教えてくれました。

あわせて「念のために、耳栓を持って行ったほうがいいよ。スピーカーの位置と音量によっては、後で耳鳴りが残ることもあるから。」とも言われ、耳栓も持って行きました。(全然問題ない音量で、使いませんでした)

 

若者達が、それぞれの持てる力を発揮して頑張っている姿はとてもキラキラして美しく、魅力的でした。

作詞作曲し、アレンジもそれぞれの学生さんがしたのだそうです。

ピアノやベース、ギター、ドラムは、それぞれのプロプレイヤーが担当していました。その演奏レベルの高いこと!

この方達に支えられて自分の楽曲を披露できる場というのは、学生さんたちにとって、とても幸せなことだと思いました。

 

ある学生さんは歌だけ、別の人は弾き語りをし、ドラムをたたきながら、歌っていた人もいました。

歌を歌い、さらに間奏でフルートを吹いていた人もいました。

歌詞にも、それぞれの個性が表れていて、音楽とあわせて、とても興味深く聞きました。

赤塚不二男さんの世界をモチーフに使っていたり、就活に向かう自分自身への応援歌を歌っていたり。

今の日常生活のことを歌っていたり。

私の教え子も、今まで色々な経験があったのですが、その中から感じたことを歌詞と音楽とで表現していました。

このステージに立つまでの経緯を知っているだけに、大きな成長を感じるとともに、本人の努力、お家の方の支えを思い、胸が熱くなりました。

 

案内でもらった手紙に、これからも音楽と関わり、発信していきたい、ということが書いてあったので、またそれを楽しみにしていこうと思います。

感動と、微笑ましさとで温かい気持ちになったひとときでした。

2018.11.24

埼玉県西部地区合唱祭に行ってきました

こんにちは。

昨日は、埼玉県西部地区合唱祭に行ってきました。

生徒さんのお一人が、この参加団体の一つで合唱をしていて、案内をいただいたからです。

 

まず、44回という回数にも驚きましたし、参加団体が46もあり、昨日の合唱祭にも44演目あったこと。

高校の音楽部も、松山女子高校と小川高校が出演していましたし、大学も城西大学のグリークラブが出演していましたが、あとは、一般の方の団体ばかり。

これに驚きました。

こんなに多くの人達が合唱の形で音楽を楽しんでいる!!

小学校での合唱練習の様子を、生徒さんから聞いたり、中学校では毎年合唱コンクールをしていたり、と義務教育課程での様子はよく知っていました。

ただ、これがどのように今後の生活の中に生きていくのかな?という思いもあったのですが、この合唱人口の数を知り、うれしくなりました。

 

私が会場に着いたのは16時ごろ。

休憩が終わり午後の第2部の中盤を聞いてきました。

衣装も鮮やかな赤いスカートの団体あり、素敵な色のロングドレスをお揃いで着ている団体あり、それぞれ美しく装って、それも含めて演奏を楽しんでいる感じが伝わってきます。

私達も、ステージに立つときには、ドレスを先に買って、「あのドレスのために頑張って練習しよう。」と思うこともありますから、それも大切なモチベーションアップのための一つの方策だと思います。

選曲も、オーソドックスな合唱曲あり、ポピュラー系の合唱あり、でバラエティーに富んでいました。

 

なかなか凝った演出をしている団体もありました。

伴奏者だけ出てきてお辞儀をして、「?」と思いながら見ていると、いきなりピアノを弾き始めます。

すると合唱団員が歌いながら出てきて、段も含めてステージ全体を一つの舞台のように使い、ミュージカルのように動きをいれつつ歌っている団体もありました。

 

伴奏者の方は、皆さんどなたも上手で、これも感心。

今、葵の会のメンバーから頼まれて、練習用のピアノ伴奏を録音していて、やや難航していたので、こちらも頑張ろうと励みになりました。

とても楽しいひとときを過ごすことができました。

2018.11.22

ウォーキングは気持ちが良い

こんにちは。

今日はピアノとは関係のないお話です。

ここのところ良いお天気が続いています。

週2~3回の有酸素運動が脳にも身体に良いということは、知識としては知っていて、できるだけ自転車に乗るようにしていたのですが、なかなか定期的にはできていませんでした。

 

今週はゴミ捨て場の掃除当番。

思い立ってゴミ捨て場の掃除に歩いて出かけ、そのままウォーキングをすることにしました。

ですから、昨日で3日目。だんだん慣れてきました。

九十九川の土手をずっと歩いていきます。

 

かつて中学生の頃(何十年も前になってしまいましたね)には、当時飼っていた犬を連れてのジョギングコース。

まだ高坂ニュータウンもできる前のこと。

この川で近所のおじさんが魚を取っていたことがあったな、とか、白鷺がたくさんいたな、とか昔のことも思い出され、風景の変化も楽しみつつ歩きました。

土手には桑の木が何本かあります。

その木にカラスウリがからみついていて、青い空に赤い実が映えて、とてもきれいだったので、思わず止まって写真に撮りました。

秋らしい風情です。

 

東上線の線路周辺には、新しい家がたくさんできていました。

このあたりも、車で通ってしまうと分からなかったことです。

どんぐり山公園という公園では、幼稚園の子どもさんが遊んでいて、そばにお母さんたちの姿もありました。

住んでいる地元である、高坂も変わってきているのだな、と改めていろいろ気付かされたウォーキングでした。

身体のためにも、少なくとも週に2~3回は続けていこうと思っています。

2018.11.13

新しいパソコンが来ました

こんにちは。

今まで使っていたノートパソコン、9年前に買ったもの。

さすがに動きも遅く、息子にも「動いているのが奇跡」と言われ、とうとう新しいパソコンを買うことにしました。

最大の動機は、もっと動画を自由に扱えるようになりたいこと。

前のパソコンで、自分の撮影した動画をDVDに保存しようとしたら、「メモリが足りません」と出てしまい、再起動してようやく存保で、というこきたともありました。

撮影した動画を編集したり、DVD化してお教室の生徒さんにお渡ししたりできるようになりたいので、今後は動画ソフトも扱えるように、またチャレンジです。

 

私がパソコンを使い始めたのは、比較的早くて、初代のパソコンはWindows3.1でした。

最初のセットアップはコマンドを打ち込まなければならない時代で、自力ではできず、詳しい人にお願いしてやってもらい、その後何十枚ものフロッピーディスクを入れたり出したりしながら1日かけて使えるようにしました。

1997年に買った2台目のWindows95機からは、自動セットアップになり、ずいぶん楽になりました。IBMのデスクトップ機で、モニターがとても大きく、箱から出すのにも一苦労でした。

当時は、インターネットへに接続するためには、すべてを手で打ち込まなければならず、これもまた使えるようになるまでに1日がかりでした。

昨日は、スイッチを入れるとあっという間に初期セットアップが始まり、1クリックでwifi経由でインターネットに接続してくれるのですから、本当に感心しました。

 

一方で、どこかにログインする機会も多く、例えばこのブログを書くに当たってもログインパスワードが必要ですし、何か一つするたびに「新しいデバイスから〇〇へのアクセスがありました」とスマホに通知が来るし、これはこれで時代の流れを感じてしまいました。

まだ、データの移行が残っていますし、新しいパソコンにどんなソフトが入っているのかも、よく分からない状態なので、当分は古いパソコンとの併用になります。

新しいパソコンに早く慣れて、いろいろ機能を生かして使っていこうと思っています。