学び

2018.01.30

オクターブを楽に弾くポイントは指の付け根の支えにある

こんにちは。

昨日は、少し寒さが緩んだ気がしますが、まだ、庭にもご近所の畑にも雪が残っています。

木曜日の雪の予報も気になるところですね。

 

今日は、指の付け根の支えについて書こうと思います。

私は身長154㎝。子どもの頃は、背の順に並ぶと、いつも2・3番目でした。

手も小さくて、1オクターブがやっとです。

ずっとオクターブの連続が上手に弾けなくて、困っていました。

奏法を変えて最初の頃、やはりオクターブの連続が出て来た時、つい「手が小さいから。」と言ってしまったことがありました。

それに対して、先生が「タチアナ・ニコラエワ先生の手も小さかった。オクターブがやっとだった。」とおっしゃって、ではどうしたら弾けるようになるのだろう?というのがずっと疑問でもあり、課題でもありました。

 

最近、オクターブの連続ではありませんが、トレモロを弾く時に、右手はかなり弾きやすくなっていることに気づきました。左手は前よりはずいぶん楽ですが、まだ思うように弾けません。

右手と左手で、何が違うのだろう?とよくよく考えてみると、手の内側、指の付け根の筋肉の強さであることに気づきました。

右手は指の付け根の支えがかなりしっかりしてきました。

手を開いた状態でも、また、開くことによって手首が少し下がったとしても、ある程度支えを意識して弾くことができるようになっています。

左手は、まだそこまでの強さがありません。手をあまり開かない音型の場合には、ある程度支えられているのですが、オクターブになると、どうしても薬指、小指を使いますから、思うように支えられていません。

そうすると脱力がしっかりできないので、移動も遅くなる。それを「弾きにくい」と感じるのだということが分かりました。

実際に「何だかバタバタしている」感じがします。同時に、音の質も固いというか、生の音が聞こえています。

 

手が小さくてもオクターブの連続がしっかり弾けるポイントは指の付け根の支えにある。

左手ももっと指の付け根で支えられるように、筋トレをし、練習をしていきましょう。

もし、オクターブの連続が弾きにくいという方がいらっしゃったら、一度、手をどのように使っているか、見直してみてはいかがでしょうか。

2018.01.23

レッスンで聞いてもらうことの大切さ

こんにちは。

写真は、昨日撮った御茶ノ水駅近く、湯島の聖堂です。昨日は本当によく降りましたね。

受験シーズンで、今日が試験日のお子さんも多いのではないでしょうか。

凍結して滑りやすくなっている所も多いと思います。お出かけの方は気をつけていらっしゃって下さいね。

 

私は、昨日は時間を早めてもらってレッスンに行ってきました。

帰りに池袋駅で入場規制にあって、有楽町線にまわり、ようやく高坂に着いてからも、駅近くの駐車場に止めた車を出すのに手間取り、家の駐車場に車を入れるために雪かきをして…と先生の家を出てから自宅玄関に入るまで4時間かかってしまいましたが、やっぱり「行ってよかった」

基本のポジションを意識していても、曲によって微妙に変わってしまっていることに気づけました。

デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲は、ある程度弾いているので、弾きやすいし、こちらは問題なかったのですが、ピアノソナタのほうは、16分音符の連続部分に弾きにくさを感じた状態でレッスンに伺いました。

ゆっくりと練習をしていたのですが、テンポを上げるとどうしても弾きにくくなってしまいます。

やはり、身体の使い方がぶれていました。

ひじが微妙に外にゆるみ、重みがかかりきっていない。手のポジションもほんのわずかなのですが、下がっている。結果として脱力が不十分になっている。

先生が「こんなものだと思う。」と弾いてくださって、その音を頭の中にイメージしながら弾くとずいぶん変わりました。

 

音型によって、曲によって、まだ少しぶれてしまうことにがっかりしましたが、すぐ修正できたので今回はよしとしましょう。

最大の反省点は、自分で気づいて修正できなかったこと。
弾きにくさを感じたときは、「ゆっくり練習」と「ポジションのチェック」
この2つをセットで考え、実行していこうと思いました。

やはり、練習→聞いてもらって修正する→練習

上達するには、これを続けることが大切だということを、改めて実感しました。

2018.01.16

作曲者はなぜここにこの音を書いたのか?と考える

こんにちは。

作曲者はどうしてこう書いたのか、考えてみること。大切だとわかっていながら、ついついおろそかになっていた「楽譜をしっかり読み込んでいくこと」について改めて考える機会がありました。

 

昨日は、大学時代の恩師のところで、いろいろお話を伺ったり、私の近況もお話ししたりして、とても楽しいひとときを過ごしてきました。

先生ご自身が「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲」をリサイタルでお弾きになったことがあるので、聞いていただき、アドバイスをいただきました。

例えば第3変奏曲の冒頭の音符の前についているアルペジオ、「これ、モーツァルトはどうしてここにアルペジオをつけたのかしら。ここから先、伴奏がアルペジオでしょう。これをさらっと弾くか。普通に弾くか。それともりっぱに弾くか。どうしたらいいのかしらね。」とおっしゃいます。

「モーツァルトはどうしてここにアルペジオをつけたのか」という発想で楽譜を見ていなかったので、「あ!」と思いました。

作曲者はどうしてこう書いたのか、どんな想いがそこにあるのか、それを楽譜からしっかり読み取ることの大切さ。

頭で分かってはいたつもりでしたが、それを実際に今弾いている曲で考え、楽譜を読み込んでいくことが足りていなかった。

ついついピアノの前に座っている時だけ、楽譜を見がちになっていた自分を省みてはっとしました。

 

今私は、9つある変奏曲の性格をどう弾き分け、さらに全体としてまとめていくのか、という構成について考えているところです。

特に後半をどうするか。第6変奏が短調で、四分音符と八分音符が多く、あまり細かい動きの連続はありません。第7変奏はトレモロが多用されて動きがあり、第8変奏はAdagio、最後の変奏はAllegroと書いてあります。

私は、第6変奏の短調で一つ一つの音を歌おうとするあまり、テンポを落として弾いていました。

一曲だけだったら、それでもよいかもしれません。

でも、「モーツァルトの書いたこと」に基づくと、最後の2つはあきらかに速度の指定があるわけですから、その前の短調でテンポを落としすぎないほうがいいかもしれない、と気づきました。

 

モーツァルトは、どうしてここにこの音を書いているのか?

今日から、楽譜だけを見る時間も作って、一つ一つ考えていこうと思っています。

2018.01.15

ピアノ(音楽)を学ぶとコミュニケーションにも役立つ

こんにちは。今日も寒いですね。

朝、ヒーターをつける前に温度計を見たら、室内で4.5度でした。二重窓にしていますから、これは相当な冷え込みです。

 

さて、「音楽を勉強すること」と、「話し手の言葉に込められた感情を理解しながら聞くこと」には関連性がある、ということをご存じですか?

ピアノを学ぶこと、音楽を楽しむことは、人生を豊かにすると昨日も書きました。

それだけでなく、コミュニケーションに大切な「話し手の言葉に込められた感情を理解しながら聞く」能力も高められるとしたら、人生をさらに豊かにする別の要素もはぐくまれることになりますね。

 

私は、中学校で教えていた頃、毎週末都内の大学に通って、カウンセリングを集中して勉強していた期間がありました。

そこで学んで以来、音楽を聴くときの感覚と、カウンセリングで相手の話を深い背景まで聞こうとするときの感覚がとても似ていると感じていました。

「ピアニストの脳を科学する」という本の中で、そのことについて述べられている部分を見つけたとき、「あ、やっぱりそうなんだ。」と納得しました。

これは国内外の脳科学の研究論文をもとに、ピアニスト(時にはもう少し広く「音楽家」)の脳がどのように働いているかを解説している本です。

シカゴのノースウェスタン大学のクラウス教授の研究結果をもとに説明していますので、ちょっと紹介しますね。

クラウス教授は、音楽家とそうでない人に、2種類の赤ちゃんの泣き声を聞かせ、そのときの脳幹の活動を調べました。1つは普通の声で、もう一つは赤ちゃんが何かを表現しようとしているときの声です。(中略)この2種類の声を聞かせた結果、赤ちゃんが何かを表現している声のときのみ、音楽家の脳幹は(音楽家でない人に比べて)より強く活動することがわかりました。つまり、感情を伝達しようという声に対しては、音楽家の脳は敏感に反応するということです。

余談ですが、この一連の研究をおこなったクラウス教授は、音楽教育は、言語能力や、他人の感情を理解する能力を発達させることに密接に関係していると確信し、アメリカで現在起こっている、初・中等教育から音楽の教育を減らそうとする動きに対して、反対の意見を表明しています。

残念ながら、日本でも、学校での音楽や美術の授業時間は以前に比べて減っています。

そして、本来芸術は「こういう役に立つから」ということで学ぶものではありません。

でも、目に見えない「大切な何か」がその中にあるからこそ、今まで様々な芸術が受け継がれてきました。

脳科学の発達で、今までは目には見えなかった「大切な何か」がだんだんと分かってきた。

この「音楽の勉強」と、「話し手の言葉に込められた感情を理解しながら聞くこと」の関連性は、その一例ではないかと思います。

2018.01.13

楽譜の版による違い

こんにちは。

同じ曲でも楽譜の版によって違いがあります。頭では理解しているつもりなのですが、ついつい複数の楽譜を比較して…まではせずに弾いてしまいます。

モーツァルトばかり練習しているので、たまには少し違うものも弾いてみたくなり、先日からショパンのノクターンを少し弾いています。

ちょうOp.9-2をレッスン中の生徒さんがいるので、まずそれから練習し始めています。

この曲は私も発表会や友人の結婚式などで何度も弾いたことがあり、頭に入れていたつもりだったのですが、それは全音版。今回パデレフスキ版を見ながら改めて弾いてみると、ところどころニュアンスが違って感じられる部分がありました。楽譜そのものはどうなっているのだろう、と比較してみました。

残念ながら、自分の思い込みによる間違いがいくつかありました。クレッシェンドのタイミングなど、細かい部分で思い込みがあったのです。やはり常に楽譜に戻ることが重要だという自分自身の大きな反省点です。

もう一点は楽譜そのものに実際に違いがありました。アクセントの位置がところどころで異なっています。これは何ヶ所もありました。

それから11小節目。この11小節目から12小節目にかけての音型は、この曲の中で2回でてきますが、全音版は11小節目後半にだんだん弱くという記号が入っています。パデレフスキ版は11小節目にはなく、同じ音型が19小節目にはついています。

32小節目のオクターブの部分。ここが全音版ではCes(ド♭)からB(シ♭)になるところにかけて、段々弱くするように書いてあるのですが、パデレフスキ版ではその記号がありません。

これでは、ニュアンスが違って感じられるのも当然ですね。

全音版の新しいショパンピアノアルバムの前書きには、ペータース社版をもとにしていること、それから「これらの版を参考として比較、研究しながら学習していくことをすすめたい。」という文が入っています。

当然のことではありますが、やはり、1つの楽譜を絶対的なものと考えるのではなく、比較・研究しながら自分自身でよく考えていこうと改めて思ったノクターンでした。

2018.01.11

腕の重みを100%ピアノの鍵盤にかける練習

こんにちは。

先日のレッスンで学んだことを生かし、今、「とにかくゆっくり練習する」ことを心がけています。16分音符が2分音符くらいになるように2小節くらいをひとまとまりに何回も弾くようにしています。

そうすることで、ピアノの鍵盤に腕の重みを100%かけた状態を作っていくわけですが、その過程でいろいろ気づくことがありました。

100%の重みをかけるためには、肩やひじで重みをささえてしまわず、手首、手のひらの内側まで重みが伝わるようにしていく必要があります。これが意外に難しいのです。

まず、私の場合は、どうしてもひじで支えてしまうくせがあります。これは、今の先生のところに行くようになってから意識して直そうとしている部分で、できてきた「つもり」でした。確かに以前よりは良いと思います。でも、ゆっくりと弾いているいるうちにまだ不十分であることがわかってきました。

同時に、「ひじ」を意識すると今度は肩に力が入って、肩で重みが止まっていることにも気づきました。肩ももっと内側に入れる感覚で重みをかけていくと、今までよりも、手に重みがかかってきます。

結局のところ、100%という基準そのものが、姿勢によって大きく変わってくる、ということを改めて意識することになりました。今まで100%だと思っていたものが、実はそうではないということ、それが分かった訳です。

 

もう一つは、そうやって100%腕の重みをのせようとすると、今度は、力をどの方向に抜いていくのか、ということも重要になってきます。

ついつい力が外に抜けていることにも気づきました。もちろん音型にもよるのですが、もっと鍵盤の奥の方向に力を抜いていくほうが重みがのりやすいことにも気づきました。特に親指の時がそうです。

外に力が抜けると、ひじが開き、ひじが開くと重みはひじで止まってしまう。全部つながっています。

 

きちんと重みをのせた練習の後に本来のテンポで弾くと、確かに安定してきます。トリルもきれいに入るようになってきます。

まだまだ課題は無限にでてくるわけですが、「ゆっくり練習」を積み重ねて、今の私なりに軽やかに、優美に、繊細に、モーツァルトの良さが生きる演奏にしていきたい。昨日のメナヘム・プレスラーの言葉、「演奏者は音楽の言葉を聞かなければならない。」を胸に、モーツァルトの言葉に耳を傾ける意識をもちつつ、練習していこうと思います。

 

2018.01.10

94歳のピアニストの言葉

こんにちは。

1月7日のクラシック音楽館の後半で、94歳のピアニスト、メナヘム・プレスラーのマスタークラスとインタビューが放送されました。

自宅にはテレビはないのですが、録画したものを見せてもらうことができ、その音楽に対する姿勢に感銘を受けました。

まず、ドビュッシーの「月の光」の演奏が紹介されていたのですが、弱音の中にある表現の繊細さ。1音1音に対して「こういう音を出したい、こういう音楽を伝えたい」と思いを込めて演奏している様子が伝わってきました。

番組全体から学ぶべきことがあまりにも多かったので、いくつかに絞ってご紹介します。

シューベルトのピアノ三重奏第1番をレッスンしている様子があったのですが、ある部分で、プレスラー氏はピアニストに対して、そこについている強弱記号を質問し、「ピアニッシモです」との答えの後、もう一度弾くように言いました。ピアニストは細心の注意を払ってピアニッシモを弾いたと思います。

それに対して「その音はピアニッシモじゃない。アタック音が入っている」との指摘。続けて「ピアノをなでるように。」と手の使い方を示していました。プレスラー氏の手は、手の内側の筋肉を使ってピアノの鍵盤をなでるように動いていました。

ただ、その動かし方は日常的にそこを使う習慣があって、筋力がないと難しい。やはりその後も、頑張っているのだと思いますが、ピアノからはコツンという固い音が聞こえてきてしまいます。「ピアノをたたかないで。なでるように。」と重ねて言っているプレスラー氏。

ピアニッシモは強弱を示すだけではなく、さらにその中の音色のイメージを伴うもの。そこの弾き分けはやはり難しい。でも、だからこそ、ピアニッシモに限りませんが、1音1音の質を意識していくことの重要性を改めて思いました。

 

インタビューからも彼の音楽に対する姿勢が伝わってきました。

「音楽が語らなければならない。演奏者は音楽の言葉を聞かなければならない。音楽で語ってほしいのです。細心の注意を払って。」

「ただ音符を弾くだけでは意味がありません。座って音を弾くだけなら誰でもできる。」

「指で語る、それでこそ意味のある演奏なのです。」

 

ご自身が自分に対する一番厳しい批評家だと言っていたプレスラー氏。5歳でピアノを始め、94歳まで厳しい姿勢でピアノに向き合い続けている生き方。ただただ「すごい!」としか言いようがありませんでした。

同時に、私自身も音楽に関わる以上は、私なりの「指で語る」を目指していこう、という勇気も持てた番組でした。

2018.01.09

いかに持ち上げるか

こんにちは。

昨日は、今年最初のレッスンに行きました。

モーツァルトのソナタを弾いたのですが、響きのある音をつくるために、手全体をいかに持ち上げるか、という意識で弾くことが重要だと言うことを学んできました。

前回の暮れのレッスンを受けて気づき、年末年始の間に自分なりに練習をして「今までよりも手のポジションを上げることが必要」と思って、上げたつもりではいました。

16分音符の細かい動きの中で、同じ音型が2度くり返される部分。1度目は強めに、2度目は弱めに弾きたい。ついつい、手は同じポジションに置いたままで、指先でコントロールしようとしていました。

先生から「指でコントロールするのではなく、手のポジションを上げることで強弱をつけてみて」「指(第2関節から先)は基本的にいつもかわらない、もっと弾かなくていいです」と指摘していただいて、同じ部分を弾き直してみると、響きに厚みが出て、上に上がってくる感じがします。

そうすると、今度は音が抜けてくる部分が出てきてしまいます。それは、「練習の時に、腕の重みを100%のせた状態でゆっくり練習する」ことが大切です。まず、100%のせた状態を身体に覚えさせ、そこから持ち上げていき、どこまで持ち上げられるか。それによって音の強弱の幅が決まってくるわけです。

その前の、「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲」のトレモロの音型の時にも、「まず下げる。そこからスタートしてどこまで持ち上げられるか。」ということを言っていただいたのですが、両方合わせて、目指すイメージがよく分かりました。

一般的な奏法だと、いかにピアノの鍵盤を押すか、ということに意識がいきますが、この奏法の場合は全く逆であり、まず一番下のイメージを作った上で、いかに持ち上げるかという意識で弾いて音を、響きを作っていく。

そのためには、手首の下・指の付け根の筋肉が、コントロール可能な、支えられるような状態になっている必要があります。

また手と指の筋トレをしつつ、100%腕の重みをのせてゆっくり練習し…と地道に取り組んでいきます。

言葉だけではこういう感覚は伝わりにくいのも確かです。実際に手がかわり、弾き方がかわり、響きがかわることを聞き分けていく、レッスンの中ならではの大きな学びでした。

2018.01.03

より音を響かせるための身体の使い方

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

前回レッスンに行った時に、先生が最近気づいたことを2点、教えていただきました。

そのうちの一つ「指の付け根の筋肉と、手のひらの筋肉を寄せる」は、意識しやすかったのですが、もう一つの「手首の下から脇まで1本の線が通っている感じ」は、言葉は理解できたものの、体感的にあまりはっきりは分かりませんでした。

昨日、弾きながら、いろいろ試しているうちに、ふと「こんな感じかな?」とつかめてきました。

この奏法だと、基本的にひじは身体に近い位置、そして、手はピアノの鍵盤に対して逆ハの字に構えます。

それは分かっていたつもりでしたが、「手首の下から脇まで1本の線が通っている感じ」を意識すると、今までよりももっとひじが身体に近づきます。逆ハの字の手の形も、今までよりももう少し外側を向きます。

その体勢で連続した音を弾くためには、手首をかなり柔軟に使う必要があるということも分かりました。

同時に、肩からあるいはひじからの重みが今までよりもかかっていきますから、音をコントロールするために、手のひらの内側の支えをさらにしっかりさせていく必要があります。

実際に音を出してみると、響きが上にもあがりますが、ピアノの鍵盤の下にも広がる感じがします。レッスンの時にもある程度はわかりましたが、昨日のほうが自分でも、もっとよくわかりました。

上にあがっていく軽い明るい響きと、上にあがると同時に下にも広がる深い響き。鍵盤のどこをねらうかによって音は変わってきます。

モーツァルトの変奏曲を弾くときに、変奏によって、あるいは一つの変奏の中でも、部分によって、もっとはっきりと聴き手にも伝わるように弾き分けをしていくことが課題ですが、昨日は少し前に進んだ気がしました。

変奏曲のほうは、大分長く弾いているので、実験するには分かりやすくて良い状態です。同時に練習中のピアノソナタ18番はまだまだなので、なかなかそこまでいっていません。そちらのほうがフレーズごとの音の変化をつけていくための良い教材になりそうです。

自分の音が変わっていく、より響くようになっていくことで、音楽のとらえ方も大きく変わっていきます。また一つそれを実感して楽しくなってきました。

2017.12.29

ペダリングを研究中

こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。

今、ペダリングをいろいろ研究中です。

「ペダルは耳で踏む」と教わってきましたが、これがなかなか難しい。

左のペダルの使い方も課題ですが(特にだんだん離していくという細かい足の動きがまだまだ)、右のペダルの使い方も、工夫の余地がたくさんあって、いろいろ試しています。

モーツァルトの場合、踏みすぎてしまうと何か違う?という感じになることが多々ありますし、かと言って全く踏まないとこれも違う、ということが多く、どのくらいの深さで踏むと、自分のイメージの音が出るのか、どのタイミングで踏みかえたらいいのか、ということを試行錯誤しています。

合わせて、変奏曲の場合、各変奏ごとのイメージを作っていく上で、軽やかな変奏、歌い上げる変奏などによって、指のタッチとペダルの組み合わせも工夫するところがたくさんあります。

 

一方で、今、大学時代の先生から借りたRay Lev先生の楽譜にも取り組んでいます。バロックから近代までの曲を選んで曲集になっているのですが、私は特に古い時代のものに魅力を感じて練習し始めているところです。

例えば、Martin Peerson(1580-1650) のThe Fall Of The Leafe(落ち葉)や、 Johann Matheson(1681-1722)の Sarabande With Three Variations (サラバンデと3つの変奏曲)など。

もとは、チェンバロのための曲を選び、Lev先生が強弱・ペダルを付けているのですが、このペダリングが難しい。

もちろん、最後は自分でペダルも決めるのが本当だとは思うのですが、Lev先生の感じているイメージを私も勉強して取り入れていこくために、まずは楽譜通りにすべてやってみようと考えました。

今まで拍の頭で踏むことが多かったので、この楽譜の中にある、八分休符のあとの八分音符に合わせてペダルを踏む感覚を難しいと感じてしまうのです。

いかに、「耳で踏む」といっても、自分のペダルの使い方が不十分だったかを痛感しつつ、深さ、タイミングなどなど、「耳」に意識を置きながら足を動かし、練習しています。