学び

2019.04.16

身体の使い方をレッスンしてもらう

昨日は、都内までレッスンに行ってきました。新しい曲はまだ弾けていないのですが、身体の感覚を戻すために、先生に見ていただくことが最大の目的です。

このあたりのレッスンの受け方は、一般的なピアノのレッスンとは違い、むしろ声楽の、それも発声のレッスンに近いところですね。

手のポジションの修正

「ポジションが下がっていると思うのです。自分なりに修正してから来たのですが、まだ低いのではないかと思っていて…。」という話をしてからレッスンを受けました。

弾き始めてすぐ「惜しい。確かに少し下がっている。」とのこと。私自身も音の上がり方がいつもと違うと感じていました。

「基本は上にある感じ。弾く時に下りるイメージ。」と実際に弾いていただきました。聴きながら、手元も見て、手と響きの確認をしてから、もう一度弾き始めました。

「今だと、下部雑音がほとんどない状態になっていますね。」と言っていただき、ようやくリセットされた感じがしました。

小指の音が思うように上がらないと感じていた部分も、「もっと小指は引き上げる感じ。そうすれば、引き上げた瞬間に音が上に上がります。」と引き上げ方が足りなかったことを教えていただき、今度は響きがまっすぐ上に上がるイメージで弾けました。

良かった良かったと調子にのって、すぐ次の同じ音型を、同じタッチで弾いてしまいました。そこは「まったく同じ音ではないはずです。」ということで、修正。

自分では甘くなりがちな部分を、指摘していただき、耳の感覚もリセットされました。

椅子の高さ

姿勢との関係で、クッションを使ったほうが良いかもしれない、と言われ、クッションとそれでも足りずにひざ掛けも折りたたんで使いました。だいぶ高さが上がりました。

私は背が低いので、本当は、このほうが良いのですが、まさかステージのピアノ椅子にクッションを使うわけにもいかないので、本番の前には一般的なピアノ椅子の高さで練習をします。そうするとどうしても肘の高さが鍵盤よりも下がってしまうのです。

自宅のピアノ椅子は2種類あり、一つは普通の椅子。一つは小さいお子さんも使えるようにとかなり高くまで上げられる椅子。家でも、姿勢の確認をする時には、高い方の椅子を使います。

ここのところ、普通の椅子を使っていたので、それも全体として下がり気味になる原因だったかもしれません。

帰宅してから、高い方の椅子で弾いてみると、腕を自由に動かせる感じがしましたし、重さをしっかり鍵盤にのせられる感じがしました。やはり、椅子の高さは重要です。

自分の感覚そのものを進化させていく

今回は、自覚できていた部分が今までよりも大きかった、という意味で、自分自身の進化を感じることができました。

楽器が教えてくれた部分もたくさんあります。先生にも「ピアノが変わったから、自分で分かったんじゃないですか。」と言われましたが、ほんとうにそうです。

今のピアノだからこそ、細かい部分の違いを感じ取ることができた、ということは、確かに大きいと思います。

自分の感覚そのものを、少しの違いが感じ取れるように進化させていく、そのことが結果として自分の演奏に反映されていくのではないか。そんなことを感じながら、帰ってきました。

2019.04.14

第55回葵の会定期演奏会を終えて

昨日は、私が所属する葵の会の第55回定期演奏会でした。私達の演奏を聴きに来てくださった方々に、ほんとうに感謝しています。ありがとうございました。

今回は、平成最後ということ、55回という節目の年であるということから、第2部で「魔笛」「フィガロの結婚」のオペラの中から独唱・重唱・三重唱・合唱を取り上げました。

私自身は、「フィガロの結婚」の序曲と伴奏6曲・フィナーレの合唱の伴奏を弾くことになり、また、作品発表のピアノもお引き受けしたので、今までのピアノ独奏とは全く違う勉強をすることができました。

歌詞を手がかりに音楽を理解していくこと

今回の伴奏を通して、私にとってこの「歌詞を手がかりに音楽を理解していくこと」が学べたのは大変大きな収穫でした。

詩の形式、詩のアクセントを理解して、音楽とのつながりを見ること。モーツァルトは、ほんとうにイタリア語を自分のものとして作曲していたことがよくわかりました。

基本的に詩のアクセントのある部分は、強拍にきています。その流れを生かすように演奏を考えていく。音楽がどこに向かっていくか、ということを意識するようになりました。

歌詞の内容を理解していく。久々にイタリア語の辞書を引きましたが、ありがたいことに、電子辞書は、入力途中で候補を出してくれるので、ずいぶん楽になりました。

ここからも、モーツァルトが歌詞のイメージを音楽に反映させていたことがよく理解できて、感動しつつ、練習していました。

作曲者のイメージを汲みつつ、自分の音楽を表現していくこと

作品発表の演奏では、「作曲者のイメージを汲みつつ、自分の音楽を作り、表現していくこと」を課題として練習してきました。

今回演奏した「AOI」という曲ですが、作曲者からは、「歌のイメージ」ということ、「対比」ということを何度も言われました。

聴いている人に「歌」を感じてもらうにはどうしたら良いのか?

ロシアピアニズムの奏法の場合、「歌う」ということをとても大切にしていますし、自分でもその部分を意識していたつもりではあったのですが、作曲者の方の「歌う」イメージとは違っていたようなので、そこの部分でずいぶん考えました。

音色を変える、息を意識してフレーズのつながりを考える、歌う感覚だとしたらピアノ曲と違うかもしれないことは何なのか、もう一度改めて、いろいろに検討しながら練習する良い機会になりました。

同時に「対比」を意識して音楽を作っていくこと。これも、私の感覚との違いを感じつつ、よくお話を伺い、イメージを共有しながら自分のものとして表現できるように練習をし、本番を迎えました。

幸い、ある程度は作曲者のイメージしていたものに近づけた演奏ができたようで、ホッとしました。

ふり返ることは次に学ぶための原動力

本番を終え、特に過程をふり返ることは、また次に進むための原動力となります。

会を創立した時から続けている先輩が「今年よりは来年、きっと良くなっている、そう思って続けてきたら50年以上たっちゃったのよ。」と言っていましたが、ほんとうにそうだと思います。

昨日は、うれしいサプライズもありました。私の大学時代のピアノの恩師、松原正子先生が聴きに来てくださっていたのです。

終演後、楽屋にいらっしゃって、私を含め、教えていただいた卒業生何人かでお話しすることができました。

私も「まだまだ進化することができるわよ。」と励ましていただき、また新たな力をいただきました。

さっそく今週は自分自身のレッスンが入っていますので、地道に、次の課題に取り組んでいきます。

2019.04.08

伴奏の難しさと楽しさ

昨日は、間近に迫った葵の会の定期演奏会のリハーサルでした。今回、私は作品発表の演奏と、「フィガロの結婚」から序曲の演奏とアリア・二重唱・合唱の伴奏です。

音量をコントロールする難しさ

伴奏もしばらくぶりなので、いろいろな意味で勉強になります。昨日のリハーサルでは、音量の確認をすることが重要な目的の一つになっていました。

伴奏のピアノの音量が大きすぎて、歌を邪魔してはいけませんし、かといって小さすぎると音楽そのものが縮こまって聴こえてしまいます。

自分の耳の感覚を使って、歌う人と自分の音量を捉えていくことが大切になってきます。

昨日の場合、前半の「魔笛」が終わった段階で、半開だったピアノの蓋を全部開けてみようということになりましたので、音量はよけいに気を使いました。

歌う人の立ち位置、ピアノを置く位置によって聴こえ方は大きく変わる

実際に弾いてみると、歌う人の立つ位置によっても、聴こえ方が大きく変わることがわかりました。リハーサル後に、ピアノの位置を動かし、歌う人もステージ上を動きながら歌って、一番良い位置を探りました。

歌とピアノの混ざった音を捉えやすい位置と、歌の声がわかりにくくなる位置があるということがよく分かりました。私にとってはある程度ピアノに近いところで歌ってもらえるとよく分かります。

ただ、歌う人によっては、ピアノにあまり近いと、ピアノの音量を意識しすぎて力んでしまうので離れたいという人もいました。このあたりも人によって感覚がずいぶん違います。

聴いていた方の話では、音量は大丈夫だったとのこと。また、録音を聴いてみる限りでも、特に違和感がなかったので、ほっとしました。

ともに音楽を作り上げていく楽しさ

先日のムーティのリハーサルで「オーケストラは『伴奏』ではありません。ともに音楽を作り上げていくのです。」という言葉がありました。

ピアノであっても、意識はそうありたいと思っています。「伴」奏という気持ちではなく、ともに音楽を作り上げていく感覚。

本番のステージの上で、歌う人が自分の一番良い歌を披露でき、私もともに一つの音楽を作りあげることができた状態。

それを理想として頭に置きながら、あと一週間、練習をしていきます。

2019.04.04

ムーティの「リゴレット」リハーサルを聴講してきました

昨日は、上野の東京芸大で今行われている、リッカルド・ムーティ「イタリア・オペラ・アカデミーin東京」のリハーサルを聴講してきました。

午後からレッスンがあったのですが、知った時期が遅く、この日しか空いていませんでした。午後からレッスンなので、1日聴講券なのに、午前中のみで帰ってきたのは残念でしたが、それでも、「行ってよかった!」と心から思いました。

慌てて帰ってきたので、写真がないのですが、上野は桜もきれいでした。

作りたい音楽のイメージが明確

もちろん、出来上がった音楽を聴いてもそれはよく分かることであり、当然のことでもあります。

確かに、オーケストラのたくさんの楽器とそれを演奏する人すべてを一つにまとめ上げていくわけですから、自分の頭の中にはっきりとしたイメージが描けていないとそれができるはずもありません。

でも、実際にリハーサルを聴いていると、いかに細かい部分まで、音楽のイメージが明確に意識できているかが、伝わってきて、まずそのことに「すごい!」としか言いようのない思い出した。

例を挙げると、歌手の発音の一つ一つ、すべての楽器の音色、音の出るタイミング、音の長さ、同じ1拍をどう感じていくのか。書ききれないほど、まだまだたくさんありました。

そういう細かい部分が集まって、フレーズとなり、そのフレーズが集まって曲になり音楽になっていく。

細かいところまではっきりとイメージができているからこそ、美しい音楽の流れができているのだということ、何かをおろそかにしてはいけないのだということ、それがよく分かりました。

その背景に、ムーティのオペラに対する考え方・ヴェルディに対する考え方があるのは言うまでもありません。ものすごい量の楽譜を読み込み、文献にあたり、その結果として今、そこにある1フレーズの表現が明確になっている、その厚みが直に伝わってくる感じでした。

伝える力の素晴らしさ

そのイメージを伝える力の素晴らしさも感動するほどでした。さまざまな比喩表現の巧みさ。歌を歌い、リズムを取り、具体的に「こうではなくてこう」と示していきます。

私でもわかるくらい、その対比がはっきりしていましたし、「蛇のように」と言われると、その音形の持つイメージがよりはっきり分かりました。

時にユーモアをまじえ、時に厳しい言葉が出ることもあります。18世紀の歌手の話が例にあがってきたこともありました。

そういう指摘を受け、オーケストラの演奏も、歌手の演奏も変わっていきます。楽譜に書き込む時間もない中で、それを自分のものにしていかなくてはならないオーケストラの人たち。これもまたすごい、と思いました。

それにしても音楽はすばらしい

改めて、「音楽はすばらしい」と思います。歌手の方たちはいろいろな国から来ています。オーケストラは今回、特別に編成された日本人によるもの。イタリア人の指揮者のもと、一つの音楽を作り上げていきます。

聴いている私達にとって、イタリア語はなじみのない言語。それでも、歌を通して、音楽を通して「何か」が心に直接伝わってきます。

もともとオペラが大好きで、だからこそ今回「絶対に行きたい」と思って行ってきました。結果として、ほんとうに素晴らしい時間となり、とても多くの学びを得ることができました。

今度は、それを自分の音楽に、演奏に生かしていく番です。昨日の感動を胸に、また練習していきましょう。

2019.03.24

「『響き』に革命を起こす ロシアピアニズム」出版記念セミナーに行ってきました

私のピアノの師匠、大野眞嗣先生の出版記念セミナーに行ってきました。本が出版されて2ヶ月。増刷を重ね、楽器店の書籍コーナーには平積みされています。

それだけ、「響き」で音楽を作っていくピアニズムが注目されているということでしょう。

響きで音楽を作る

前半は、大野先生と川村文雄先生との対談でした。

響きで音楽を作っていく最大の特長として、「どの楽器の奏者も声楽のように歌わせる」「もっと人の声のように、血の通っているように弾いてほしい」という部分に尽きるのではないかと改めて思いました。

ベルカント唱法も話題になりましたが、大きな声で歌うのではなく、小さくてもホールの隅々まで響く音。

フレーニの歌声が頭の中に浮かんできます。ピアノであの歌声、特にピアニッシモの響きが再現できたら、それはなんと素晴らしいことでしょう。目指していくべきはそこにあります。

川村先生のお話の中からは、「倍音をコントロールしていく」という言葉が印象に残りました。

確かに、今、私にとっての最大の課題である、音色の弾き分け。まさにこの部分であると思います。いかに倍音を生み出し、コントロールし、響きを調和させていくか。

より音楽を感じ、より美しいものを自分自身で発見していく。そのために、響きをコントロールしていく感覚をもっと強く持っていきたい、そんな思いになりました。

25のタッチ

後半の公開レッスンでは、甲賀先生が姿勢の基本を確認し、25のタッチの弾き分けを説明なさいました。

改めて姿勢・軸・肩甲骨から腕の意識など、整理していただいて、確認することができました。

タッチは、前回の私のレッスン時よりも増えていました。ブログで25に増えていたことを知っていたのですが、ひとつずつ解説していただけたのは、ありがたく思いました。

それぞれのタッチについて、大野先生ご自身から、「アルゲリッチが16分音符を弾く時に多用しているタッチ」とか「ガブリーロフがよく使うタッチ」「ホロヴィッツがこういう場合に使っているタッチ」などの補足説明もあり、音楽の中でどう使っていったらよいかのイメージが持ちやすいご説明でした。

モーツアルトのピアノ・ソナタ大4番。冒頭の1フレーズ、右手部分だけでも、一音ずつタッチを変え、音楽を作っていく、その実例を見せていただくことができました。

大野先生の演奏も聞くことができて、その豊かな響き、多彩な音色は心に直接伝わってくる感じがしました。

音楽の中にどう生かしていくか

結局、大切なことは、そのタッチを、響きを演奏者がどう生かしていくか、追求していくことにあると、自分自身を振り返る機会になりました。

一音ずつ、タッチを変え、響きを変え、音楽を作っていくこと。つい流れの中で、安易に弾いてしまいがちな「一音」の性格を自分なりにどうとらえていくか、楽譜とピアノと向き合っていくこと。

大野先生との出会いからまる7年。新たな節目に、またたくさんの課題を教えていただくことができた、そんな深く、有意義な時間となりました。

2019.03.14

新しいタッチを学ぶ

昨日は、自分のレッスンに行ってきました。レッスンに行くたびに、新しい学びがたくさんあります。昨日も、また新しいタッチを学び、いろいろ考えつつ帰ってきました。

タッチの種類を増やす

ここのところ、先生がご自分のタッチの見直しをしています。無意識に弾き分けていたものを意識化して、「こんなタッチを使っている」ということを整理し、体系化しているところなのです。

ですから、行くたびに「新しいタッチ」が増えていきます。ブログで8種類と紹介があったのですが、前回のレッスンのときに伺ったら11種類ありました。

今回も、ブログで、15種類とのご紹介があったので、あと4種類。それをレッスンで伺ってきました。

手の小さい私にとって最大の課題の一つである、オクターブや、手を開いた状態でのトレモロの弾き方などがありました。

奏法に慣れているので、手の使い方を頭で理解することはスムーズにできました。ただ、実際に音を出してみると、右手はすぐにできたのですが、筋力がまだ弱めの左手は、思い通りの音色が出るまでに少し時間がかかりました。自由にそのタッチを使えるようになるためには、練習を積み重ねていく必要があります。

タッチの種類が増えると音色のレパートリーが増える

タッチが変わると、音色が変わっていきます。芯の太い音、細い音、軽めの音、重めの音、上に上がる音、広がりのある音。

タッチの種類が増えるということは、音色のレパートリーが増えるということです。ですから、タッチの練習の時には、必ず、音色の違いを繊細に聞き分けようという意識を持つことが重要になってきます。

先生がよく「楽器から教わることがたくさんある」というのは、そのことです。楽器がその繊細なタッチの違いを反映できる状態であれば、練習の時にも、自分のタッチが意図しているものかどうかを、音色の変化によって楽器が教えてくれるのです。

音色のレパートリーを増やして彩りある演奏を目指す

音色のレパートリーを増やすことは、演奏の質を高めていくためのものです。「発声は良いのだけれど、全部同じ音が続いている。」と言われ、先生、アシスタントの先生が、同じフレーズを「こういう弾き方もある」「こういう弾き方もある」と例を挙げて見本を見せてくれました。

同じフレーズでも、音色の使い方が変わると、全く違うものになります。次は、その部分を自分なりに研究していく段階です。

まず、最初は頭でよく考え、聴き分けながら。そして、だんだんと「考えなくても」「自然に」できるようになっていくことを目標にしていきます。

音色を増やすことは、より良い演奏をしていくための手段です。目的と手段をしっかり見極め、彩りある、より良い演奏を目指していくことがとても大切であると、昨日もまた改めて思いました。

2019.02.25

同門の会に参加

昨日は、同門の方たちとピアノを弾き合う会に参加してきました。

7人のメンバーが集まり、それぞれの曲を弾き合います。昨日はバッハ、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ショパン、リストと多彩な作曲家の曲が並びました。

響きのある音色をいかに出すか、皆さん、それぞれその部分を考えながら練習してきています。

味わいのある演奏が続き、聴いていると、「また私も頑張ろう」と元気がもらえます。

私は、昨日はバッハのフランス組曲2番を演奏しました。

今回の自分の課題は、「左のペダルを効果的に使うこと」「右のペダルを長く踏み、音を濁らせずに混ぜること」「舞曲によってタッチを変えること」でした。

「舞曲によってタッチを変えること」はある程度の期間、練習していたことなので、自分なりにできました。

「左のペダル」と「音を混ぜること」については、先週のレッスンから始めたことなので、まだ課題がたくさん。

左のペダルを踏むために左足を動かすと、「頭」を使うことになり、今までの流れが何か途切れてしまう感じがします。

「音を混ぜる」つもりが、時々、長く踏みすぎて音がにごります。そこのぎりぎりのところをねらうには、まだもう少し、慣れが必要です。

両方とも自宅で練習している時には、ここまで感じませんでした。やはり、人前で弾く時は、緊張感が違うので、いつもとは感覚が変わってきます。そのための貴重な機会です。

方向性は分かっていることなので、とにかく回数を練習していって慣れていくしかありません。

合間のおしゃべりも楽しく、今弾いている曲の練習上の苦労や、こういうことを意図しながらこうしている…などの情報交換もあります。

「練習は孤独なのよね。」「そうそう。」「結局、一人で向き合っていくしかないものね。」

皆、感じていることは同じです。だからこそ、このように、会って、演奏を聴きあって、話をする時間を持つことがとてもうれしく、楽しい。ほんとうに貴重なひとときでした。

2019.02.24

歌詞と音楽の結びついた「歌」の楽しさ

私が所属する葵の会の定期演奏会が4月に行なわれます。今回、私はフィガロの結婚の中から、序曲と二重唱・独唱の伴奏を弾くことになっています。

ピアノ独奏曲とは違う、歌詞のついている音楽。歌詞を読み、音楽を見ていくと、いろいろな発見があって楽しく、また改めて「モーツァルトはすごい!」と感心することしきり。

同時に、フィガロの結婚の台本を書いたダ・ポンテという人の力にも目が向くようになりました。

詩のアクセントと音楽の流れ

まず、オペラアリアの歌詞は、基本的に定型詩になっていて、アクセントの位置も決まっていますし、韻もふんでいます。例えば、有名な、「もう飛ぶまいぞこの蝶々」のアリアも、きれいに韻をふんでいます。

これを作るというのは、言葉をほんとうにたくさん知っていて、イメージに合った単語を選ぶ力が必要です。

モーツァルトがその詩につけた音楽は、アクセントが小節の最初の拍になるように作られています。ですから、詩の流れがそのまま自然に音楽になっているのです。

詩の音節数と音楽

「もう飛ぶまいぞこの蝶々」の場合、それに加えて詩の内容と音楽が本当に一致していることが理解できてきました。

フィガロの歌うこのアリアは、ケルビーノという登場人物(少年なので、メゾソプラノの歌手が歌います)が軍人になるために出発するのを送る、という場面で歌われます。

曲が大きく3つに分かれているのですが、最初の部分と真ん中の部分とは歌詞の1行の音節数が違っていて、音楽そのものの雰囲気がガラッと変わります。

最後の部分はまた最初の歌詞が繰り返された上で、真ん中の部分の音楽に素早く切り替わり、第1幕の終曲にふさわしい盛り上がりがあって終わります。

単語の意味と音楽

さらに、単語の持つイメージが曲に反映されています。

いくつか例をあげると、楽語にもなっているbrillante(輝く)という言葉が使われているフレーズにはトリルが使われていて、きらきらした感じがします。

銃を肩にかつぎ、サーベルを腰に下げ、兜をかぶった軍人の姿を描写した部分になると、歯切れの良い和音の伴奏が続きます。

行進を表すmarciaという単語が出てくると、行進曲を思わせるリズムになります。

題名にもなっている「もう行けまいぞ、愛の蝶よ」(小瀬村幸子訳)という歌詞の部分は音階の下降形が続き、まるで蝶々が落ちていくようです。

歌詞と音楽の結びついた歌の楽しさ

歌詞を細かく見ていくことで、言葉と音楽の結びついた歌のすばらしさが分かりました。これを知って改めて曲を弾いてみると、さらに楽しく、毎回弾くたびに実によく作られていることに感心しています。

いつもと違う音楽を、いつもと違う側面から学ぶことができ、良い経験になりました。モーツァルトのピアノ曲を演奏する時にも、この経験を生かすことができそうです。

2019.02.04

空間を考えてピアノ伴奏を弾く

昨日は、大学時代の友人といっしょに、伴奏者として声楽のレッスンを受けに国立まで行ってきました。歌のレッスンは、自分がかつて受けていた大学時代以来ですから、新鮮な体験でした。

今回は、オペラ「フィガロの結婚」の中の、ケルビーノの「Voi, che sapete]」(恋の悩みしる君は)というアリアです。

オーケストラの音をピアノで表現することの難しさ

事前準備として、実際に弾き始める前に歌詞を音節に分け、アクセントの位置を確認すること、オーケストラで行なわれているオペラでの演奏をいろいろ聴き比べることはしていました。

オーケストラでの伴奏(という言い方は違う気がするのですが)を聴いていると、出だしはクラリネットです。その木管の響きをピアノで出すのが難しい。

左手にはスタッカートがついていて、それは弦楽器のピチカート。ペダルを踏むと管楽器の響きには少し近づけるものの、今度はピチカートの雰囲気は出ないし…。

その都度その都度、木管楽器と弦楽器のピチカートのどちらを優先するのかを考えながら、ペダルの踏み方を変えていくことにしました。

無料楽譜サイトでフルスコアをダウンロードできるので(なんてありがたいことでしょう!)、それも見ておいて、持って行くことにしました。

楽譜の違い

友人が使っていて見ている楽譜が、私の伴奏で使っている楽譜と違うことは、練習の時に知っていました。友人が先生にコピーして渡したのは、友人自身が使っている楽譜と同じ。

伴奏者の私だけが、違う楽譜を見て弾いている、ということになります。

途中で、「伴奏の、そこのソの音をもっと出して」と先生がおっしゃったのですが、ピアノで弾いている私としては、左手の低い音をあまり大きく出すことに、違和感があります。

「このソですか?」と弾いてみて確認すると、先生がそこで、「あれ?伴奏譜、僕の見ているのと違う。」ということで見比べることに。

バイオリンが弓を使って弾く部分です。友人の楽譜は、オーケストラの出す音で右手で弾く伴奏になっています。それなら、違和感はありません。

「モーツァルトは特に。楽譜が違うと、変わってくるよ。」とおっしゃっていました。確かにそうですね。歌とピアノを一つに考えた時に、違ってくると思います。それがよく分かりました。

空間を考える

もう一つ、「この部屋と、ホールとでは空間の大きさが違っていて、音の響き方が違うので、それを意識していくことが大切です。」という先生の言葉を聞いた時、「やっぱり」と思いました。

これは、ピアノ独奏でも同じですから、よく分かります。できるだけ、空間に響いている音を聞こうとする意識を持つこと。

ピアノと歌が一緒になった音が客席でどのように聞こえるかを意識しながら聞くこと。

実際に、ホールでのリハーサルは回数が少ない上に、客席に人が入ると響き方が全く違ってきます。その中で、いかに空間の響きをとらえられるようにしていくかが問われますね。

これは、今回、私が伴奏を弾く上での課題です。歌う人がいかに歌いやすく、そして、客席で聞いてくださる方により良い音楽が届けられるように、また、練習をしていきます。

2019.01.21

「バロック音楽」を読みました

先日読んだ皆川達夫さんの「中世・ルネサンスの音楽」が良かったので、「バロック音楽」も読んでみました。

やはり、いろいろと学ぶことが多く、特に、バッハにつながるさまざまな流れがよく分かりました。

この本の最初のほうに「声楽から器楽へ」と書かれているように、このあたりから、鍵盤楽器も発達し、ピアノでも演奏されるような曲が作曲されるようになってきます。

演奏の自由度が高い

バロック音楽の特徴として挙げられている内容がいくつかありました。今、私が勉強中のフランス組曲で装飾音について、いろいろ考えつつ試していることとの関連で印象に残っていることとして、「演奏の自由さ」が挙げられます。

楽譜は、いわば建築の設計図、ないしは見取図程度のものである。この時代の作曲家には同時に名演奏家であった人びとが多く、したがって楽譜に多くのことを記す必要がなかったということもあったが、しかしそれ以上に、楽譜の簡略な表示法というものがバロック音楽にとって本質的な意味合いをもっている。

バロック音楽   2 バロック音楽の魅力  即興性と瞬間の芸術 P.65

これを読んで、ある意味、納得もしましたし、逆に、だからこその難しさを感じました。この後、ジャズとの比較で、装飾音についても述べられています。

トリルとかモルデントといった装飾音にしても、通奏低音にしても、それを演奏するための一定の枠があるにせよ、その枠の中での無限の可能性はその場その場の演奏家の選択にまかされていた。(中略)彼らは、その席のお客の顔ぶれを見定めた上で、装飾音の双方やニュアンスを考慮したといわれている。高座に上がって当夜の客の様子や反応をうかがい、おもむろに話の枕を決める日本の落語家などにも共通した、この徹底した職人意識がバロック演奏家の心構えであった。

バロック音楽  2バロック音楽の魅力 ジャズとの共通性P.66~P.67

なるほど、これを読むと演奏者の役割がとても大きいということが分かります。音楽の専門教育を受けた人の数が少なかった当時、楽器が演奏できる人は、作曲もできる。それから、職人としてその道を深く学んだ者だけが演奏している、という背景がよくわかりました。

イタリアでの誕生・発展

もう一つ、印象に残ったのは、バロック音楽の誕生・発展の中心はイタリアだったということです。

バロック音楽の場合、最後の集大成としてのバッハ・ヘンデルの存在が大きく、二人ともドイツ人であったために、私もつい、ドイツが中心のようにとらえていました。

バロック音楽の誕生の国、そして展開の中心舞台は、ほぼ終始してイタリアであった。その他の国々は、イタリアで開拓され展開した要素を受け入れ、その影響にもとに、それぞれの民族色を反映した独自の音楽を作り出していたのである。その意味で、バロック音楽史とはイタリアの奏する主題と、それにフランス、ドイツ、イギリスなどが付加する変奏曲から成るといういうことができようか。


バロック音楽   2 バロック音楽の魅力  バロック音楽の展開 P.50

バロック音楽の始まり、展開がイタリア・オペラと密接に関連していること、器楽もイタリア中心に発展してきたこと。音楽用語もイタリア語で書かれていることからも、なるほど、と思わせられます。

また、ヘンデルの「シャコンヌ」を以前、勉強した時に、「シャコンヌというのはどんな音楽なのだろう?」と調べてみたことがありました。

そのときには、あまりよく分からなかった部分がここに取り上げられています。フレスコバルディ(1583-1643)の時代に「変奏曲の一種として、低音に主題を置いて繰り返し、そのたびごとに上声を多様に変奏してゆく『シャコンヌ』あるいは『パッサカリア』という楽曲が行なわれていた」とのこと。

これも、イタリアでのことです。そして、フレスコバルディの弟子であるフローベルガーを通じてドイツのバッハ、ヘンデルへとつながっていくのです。

本を読む楽しみ

文字で音楽に「ついて」知ることが、演奏の上でどれだけ役に立つのか。確かに知識だけでは、役に立ちません。ただ、流れが分かることで、今まで「何となく」だったものがつながっていく楽しさがあります。

今回、この本を読んだことで、特に装飾音について今まで「どうしてだろう?」「どう弾いていったらいいだろう?」と考えていたことへの自分なりの考え方のヒントがありました。

そういうものに巡り会えるのも、読書の楽しみです。