学び

2019.01.20

指遣いを決めながら楽譜を読み込む

バッハのフランス組曲2番についている装飾音、特にジーグの部分について、ピアノで演奏する場合、どうしたら良いかを考えつつ、いろいろな演奏を聴き比べていました。

カツァリスの楽譜に書き込まれた指遣い

その中にカツァリスの演奏があったのですが、その動画に驚きました。楽譜が使われていて、御本人のチャンネルなので、御本人の楽譜でしょう。そして、そこに指遣いがたくさん書き込まれていたのです。

カツァリスは「世界的なピアニスト」(Wikipediaの紹介文)であり、私も名前は知っていましたし、今までにもYouTubeやCD等で演奏をきいたこともあります。

そのようなピアニストが、フランス組曲の楽譜にこれほどまでに書き込み、指遣いを研究していることに驚きました。装飾音にまで、すべて書き込まれているのですから。

ところどころ、修正している部分もあります。弾きながら指遣いを変更すると、それもその都度書き込んでいるんだろうな、と思われます。

指遣いを書き込むと音に対する意識が変わります

以前、私自身もすべての指遣いを楽譜に書き込むことについて下の記事を書きました。

この中でも、指遣いを決める過程で、一つ一つの音に気を配れるようになったことを書いていますが、それは書き込んでみると、よく実感できることです。

手の使い方を意識しつつ楽譜を読む

先日のレッスンの反省で、手の使い方にも、今まで以上に意識をしていこうと考えていた矢先のこと。

このカツァリスの動画を見て、改めて指遣いを決めることの大切さと楽譜を読む時間をしっかりとることの意義を再認識しました。

 

2019.01.11

中世・ルネサンスの音楽

こんにちは。皆川達夫さんの著書「中世・ルネサンスの音楽」を読みました。学生時代に、確かに音楽史の講義で勉強したのだけれど、このあたりはみんなひとまとまりになってしまっていました。

改めて読んでみるといろいろ新しい知識を得ることができ、西洋音楽の流れについてなるほど、と思うことがありました。

日本と中世・ルネサンス音楽

西洋音楽は明治以降に取り入れられ、発展してきた、ということしか、私自身は認識していませんでした。

世界遺産に「長崎・天草の潜伏キリシタン関連遺産」が登録された時に、たまたま、皆川達夫さんの書かれたこの文章を読みました。

オラショとグレゴリオ聖歌とわたくし

生月島のオラショ。年月を経て、日本的な節回しになっていても、奇跡的に原型が残っていたことに私はとても驚きました。それだけ大切に大切に守り続けていたものなのだということが伝わってきました。

そして、皆川さんの、元の聖歌をたどろうとする熱意。長年の研究の結果、蓄積されている知識の厚み。

そういうものがあったからこそ、元の聖歌にたどり着けたということに感動し、非常に印象に残っていました。

今回の、この本の最後の章に、日本とヨーロッパの音楽のつながりが書かれていて、オラショとグレゴリオ聖歌のことが書かれていました。

そればかりではなく、日本の箏曲、八橋検校の「六段の調べ」との関連の可能性についても述べられていました。

音楽が人の心の深いところを動かすからこそ、残っていく「何か」があるのかもしれません。

ギョーム・デュファイについて

確かにこの人物についても「勉強した」ような気がします。でも、内容は覚えていませんでしたし、実際にどんな曲があったか、全部忘れていました。

バッハと比較して述べている内容を読んで、時代の節目にはこういう人物が現れ、次の時代の扉を開くのだ、ということを改めて思いました。

 このようにして、それまでフランス、イタリア、イギリスなどで、それぞれ独自の展開をみせていたもろもろの音楽技法が、ブルゴーニュおよびその属領のフランドルで、総合化、国際化をみせることになった。その総合化の仕事を、もっとも著しく、もっとも精力的に果たしたのが、ギョーム・デュファイであった。

 彼は、その後のモンテヴェルディあるいはバッハと同じく、前の時代のもろもろの音楽技法を彼一身のうちに摂取し、同化し総合し、しかもその作品のすべてに彼自身の強烈な個性をきざみこんでいった、巨人的なスケールの作曲家であった。

皆川達夫 中世・ルネサンスの音楽 第五章 ルネサンス音楽を作った作曲家たち p.135

聞いてみたのですが、残念ながら、その前後の音楽をしっかり把握しているわけではないので、「同化・総合・個性」をはっきり感じ取れたわけではありません。

ただ、それまでのグレゴリオ聖歌と違い、3度の響きが多く聞こえ、そうするとずいぶん今につながる響きになる、という印象は残りました。

ヨーロッパというまとまり

全体を通して、強く感じたのは、ヨーロッパという陸続き(イギリスは島国ですが)の地域のまとまりの強さ、つながりの深さです。

例えば、フランドル楽派の人々は今のベルギー・フランスからヨーロッパ各地に行って活躍し、故郷に戻ってくる。

王室どうしの結婚によって、宮廷の文化も移動していき、影響しあっている。

このあたりは、日本という島国で生活している日本人の感覚とは大きく違うのかもしれません。

その中で、音楽も混じり合い、結果的に発展していったのだ、ということがとても良くわかりました。

皆川達夫さんには、「バロック音楽」という著作もあるので、続いて読んでいこうと思います。今度は鍵盤楽器もきっともっとたくさん取り上げられているでしょうから、よりピアノにつながるさまざまな学びがあると思います。

2018.12.06

ピアノのレッスンを通して、自分の身体の感覚に意識を向けていく

こんにちは。昨日は、自分のレッスンに行ってきました。

私は、自分の教室では教える立場にある反面、先生のところでは教えていただく生徒の立場になります。

レッスンの受け方について考える機会でもあるので、その部分を含めて、昨日のレッスンで気づいたことを書いていこうと思います。

身体の感覚をしっかりつかむ

私の先生は、ご自分で美しい響きをいつも研究しています。

そこで気づいたことの、言わばエッセンスを教えていただいている訳ですが、生徒である私はは身体の感覚を言葉を通して聞いていることになります。

実際に自分自身の身体の感覚をしっかり持っているかどうか、というのは意外に重要なことです。

今年に入ってから、私も筋トレをして、身体の筋肉のつけ方やその筋肉が動いている感覚、力を入れる感覚がつかめるようになってきました。

実際に、昨日のレッスン時、姿勢について教えていただいたのですが、手の幅を狭くした腕立て伏せをするときの筋肉の使い方ととても似ていました。

その筋トレをしていなければ、なかなかイメージがつかめなかったでしょう。

自分の身体の使い方に意識を向けることの重要性を改めて感じました。

常に注意深く音を聴く

先生の弾いている姿を見ると、常にバランスが取れています。

例えば、手首のポジション一つとっても、上げているときもあれば、下げているときもあります。

肩回りの位置についても、柔軟です。

ただ、それを言葉を通して、レッスンで学んでいると、どうしても固定した狭い感覚でとらえてしまいがちです。

結果として、音型によって弾きにくかったり、響きが思うように出なかったりします。

そこをうかがったところ、結局、自分の求める音が出せるかどうか、ということに収束する、というお話をしてくれました。

先生の音についての研究は、先生の耳が基準。私が、その音に少しでも近づく方向の音が出せているかを聞き分けていくのが私の耳、ということになります。

その1音がどんな性格を持っているか。集まっている音なのか、散漫な音なのか。

集中して聴いていく。それに尽きることになります。

学び取るのは自分自身

先生が教えてくれたことを、学び取り、自分のものとして消化していくのは自分自身ということ、これも重要です。

昨日のレッスンでは、ピアノと自分自身との位置関係について、改めてお話がありましたが、何年か前に伺っていたことと重なる部分がたくさんありました。

ただ、私自身がその間に成長しているので、捉え方も変わってきますし、身体の使い方も、以前よりは意識してできるようになっています。

音を聴き分ける耳も、進歩していると思っています。

その中で、より上の段階の感覚で先生の言葉をとらえ、具体化していく。

これが、レッスンを継続して受けていることの最大のポイントなのです。

昨日よりも今日、今日よりも明日、またよりよい響きを見つけて練習していきます。

2018.12.04

ピアノについての経験の幅を広げる

こんにちは。

ここのところ、ピアノについて今までとは違う新しい経験をいろいろしているので、今日はそれについて書いていきます。

気づくことがたくさんあり、自分自身の勉強にもなりましたし、レッスンに生かせる部分もありそうです。

日本歌曲を通して日本語の美しさを感じました

1つ目は合唱の伴奏を録音したことです。

葵の会の先輩から頼まれたもので、上田真樹編曲「女声合唱のための 日本抒情歌~さくら さくら~」という曲集の中から4曲「朧月夜」「我は海の子」「赤とんぼ」「野菊」の4曲と、「小さな世界(It’s a small world)」「私の太陽(’O sole mio)」の計6曲。

日本歌曲の美しさ。

小中学校で歌ったことのあるものばかり。

歌詞の中に歌われている風景が頭に浮かびます。

春のぼーっとした暖かさのなかに浮かんでいる月も、波が打ち寄せてくる海岸も、秋の夕暮のとんぼも、野菊の可憐さも。

昨日などは一日「きれいな野菊、薄紫よ」という歌詞が頭に浮かんでいました。

やはり、自分の感覚の中にしっかりあるものなのだな、という実感が持てましたね。

歌詞を味わいつつ歌う、ということを改めて体感しました。

12月にはフィガロの結婚の伴奏もあるのですが、こちらももう一度歌詞をしっかり読み込もう、と思いました。

録音の難しさ

しかし、伴奏の録音は難しかった!

現代の編曲なので、和音が細かく変化していく部分が多かったことと、手が小さいと弾きにくい部分が多かったのです。

同時に「録音」というのは、気に入らないと何度でもやり直しができます。

逆に言うと、いつまでたっても終わらない、ということになってしまいます。

グレン・グールドが納得できるまで取り直しができるということで、録音での演奏を選んだことは有名ですが、逆にそれは精神的にずいぶん大変なことだったのではないかと思います。

一方、アルゲリッチは、私の先生の話によると、2回弾いて、好きな方を使って、ということで録音を終わりにするのだそうです。

これも納得。

いきなり世界的ピアニストを頭に浮かべてしまいましたが、録音そのものにとても時間がかかってしまい、改めて録音の良さと難しさを感じました。

作品発表のための演奏に向けて

来年の葵の会定期演奏会では、私は小菅泰雄氏のピアノ作品を演奏します。

こちらの事前準備のため、先日大宮で聞いてもらいました。

日本的な音階が使われているのが特徴で、「AOI」という題名なので、「源氏物語」の「葵」なのかな?と思っていたら、そうではないそうです。

ただ、どことなく、不思議な世界が感じられたので、思い切ってペダルを踏みっぱなしで4小節弾いて響きを混ぜるなど、自分なりに工夫をし、聞いてもらいました。

作曲者ご本人にお話をうかがいながら曲を作っていく、というのもまた新しい体験でした。

rit.のタイミングや、曲の区切りなど、楽譜を読んでいるとはいえ、微妙に私の癖が出ているということも感じましたので、改めて、他の曲を弾く時にも、作曲者の意図を楽譜からしっかり読み込んでいくことの意義を再認識し、とても勉強になりました。

経験の幅を広げる

今までしたことのない新しい経験には、とまどうこともある反面、自分自身を振り返る良いきっかけにもなりました。

小さいお子さんの場合には、ピアノ教室で学ぶ内容の多くが「新しい経験」。

きっとこんな感覚なのかな、と思う部分もありました。

経験の幅が広がることで、今まで学んだこともより深く学び直す要素もあります。

新しい経験を楽しみつつ、今まで学んだこともより深めよう、と考えています。

2018.12.03

ピアノレッスンに取り入れるために、リトミックの講習に行きました

こんにちは。

昨日は、横浜に出かけ、1日、リトピュアリトミックの講座に参加してきました。

3歳以下のお子さんの場合、さまざまな面で個人差が大きく、ピアノの前段階として、リトミックの要素を入れていけたら良いな、と以前から考えていたからです。

参加者10人。和気あいあいとした雰囲気の中で、リトミックを学んできました。

音感を育てる工夫

絶対音感そのものが果たして音楽を表現する上で必要なものか?直接の影響はありません。

現に私の先生も「僕は絶対音感ないからね~。」と言っています。

私自身は、ピアノの音を基準にして音の高さを捉えることができますが、実はこれはかなり大雑把です。

自分で音を作っていく、例えばバイオリンの人などの耳は非常に細かい音の違いを聞き分けられるのです。

ただ、ある程度、音のイメージが頭の中にあることはプラスにこそなれ、マイナスにはなりません。

絶対音感をつけるために、というのではなく、楽しみながら、結果的にある程度身に付けることができた、というのは意味のあることでしょう。

「おへんじのうた」。お返事をしながら、音の高さをとらえていきます。交代で先生役も生徒役もやりましたが、楽しいものでした。

リズム感を育てる工夫

動物キャラクターカードというのを使って、リズムを学んでいきます。

動物の鳴き声でリズムを感じていくので、小さいお子さんでも分かりやすいでしょうね。

0歳、1~2歳、3歳のクラスがあるとのことで、段階によって、さまざまなバリエーションがありました。

自然にリズムが取れるような工夫には感心しました。

このカードを使ったリズム打ちも、先生役・生徒役ともに体験しましたが、これもとても楽しくできました。

集中力が必要なので、その訓練にもなりそうです。

まだ、音符に慣れていない小さいお子さんのレッスンに取り入れていこうと考えています。

個人レッスンのピアノ教室の良さを生かして

グループレッスンにはグループレッスンの楽しさがあります。

一方、ピアノ教室の最大の特徴は個人レッスンであるということ。

一人ひとりの生徒さんに合わせて内容を考えていくことができます。

ピアノという楽器に、自然につなげられるように、今回学んだリトミックの内容をアレンジして、レッスンに取り入れていきます。

先日も、今、レッスンに来ている生徒さんのお母様から、弟さん(年少)の入会について、ご相談をいただき、年中さんになったタイミングで始めることになりました。

小さい生徒さんが、「音楽は楽しい」と思っていただけるように、工夫をし、レッスンを進化させていきます。

2018.11.11

調性で読み解くクラシック/吉松隆/yamaha music media 読みました 

こんにちは。

先日の「クラシック音楽の世界」を読んで、展開部の転調の性格が気になりだしたこと、以前「平均律クラヴィーア曲集」のレッスンの際、「この調のイメージは?」と聞かれ、「調のイメージってなんだろう?」という状態だったことから、「調性で読み解くクラシック」という本を読みました。

一言で言うと、とてもおもしろかったし、ためになりました。

ためになることだらけだったのですが、いくつかのポイントだけ、ご紹介します。

 

楽器には得意な調、苦手な調がある。

ピアノ中心思考なので、まずこれを読んで「なるほど……」と思いました。

確かにピアノについて書かれていることや、私の乏しい弦楽器(大学時代に弦楽器の授業があって、チェロをほんの少しだけ弾いたことがあります。)管楽器(同じく、ほんの少しだけクラリネットを吹いたことがあります)経験からしても、なるほど、です。

ピアノは一見、全部白鍵のハ長調が弾きやすそうですが、手の形からすると、黒鍵が混ざっていたほうが弾きやすい。

変イ長調の部分に「黒鍵駆使のピアノ曲でショパンがお気に入り」とありましたが、確かにそうなのですよね。

 

弦楽器は、ヴァイオリンが例にとってありましたが、開放弦との関係で♯系が得意。

確かに学生時代のみんな初心者の合奏で、唯一音程がピタッと合うのが開放弦、などということもありました。

管楽器。特に金管楽器の涙ぐましい持ち替えの話なども、知識として今までに聞いたことはあっても、調性との関連でこのようにまとまっていると、なるほどそういうことか、と実感がわいてきました。

クラリネットがB管であるように、♭系が得意。(本にはもっと詳しく書いてあります)

作曲家はこういうことが全部分かって作曲しているわけで、すごいな、と改めて思いました。

 

もう一つは、バッハについてです。

この発想で作曲されたバッハの〈平均律クラヴィーア曲集〉(全2巻で、第1巻が1722年頃に完成)が有名だが、実際に西洋クラシック音楽界で一般的になるのは19世紀から。(p.104)

彼(J.S.バッハ)は、決して斬新な視点で何か創造的なことを成し遂げたわけではなかったが(実際、生前は「古くさい学者みたいな音楽家」とsれていたらしい)、「対位法」を声楽および器楽のあらゆる組み合わせで実践し、フーガの形を極限まで洗練させ、「平均律」という発想を駆使してすべての「調性」に対する「作曲」への道を開いた。(P.127)

今、ちょうどバッハのフランス組曲を弾いていますが、フランス組曲に限らず、バッハの転調は本当に美しく、自由自在に調性を操っている感じがします。

また、実際に調性に対する感覚が大きく変わってきたのが、19世紀というのも、実感できました。

 

日本の音階についても取り上げられていたり、巻末には、調性ごとの性格やその調で作曲された主な作品も掲載されていたりして、とても勉強になりました。

まずは、いくつかに絞ってご紹介しましたが、またじっくり読み込んでいきたい本です。

2018.11.06

一音ずつ響きを確認していく

こんにちは。

昨日は、御茶ノ水にレッスンに行ってきました。

 

今、バッハのフランス組曲を弾いているのですが、虫様筋の使い方、鍵盤への指の下ろし方で、響きが大きく変わることを改めて実感しました。

一音ずつ、指の使い方、音の響き方を確認しながら弾いていると、結局1時間かかって、最初のALLEMANDEの、しかも半分で終わりました。

先週、レッスンを受けたピアニストの方も、バッハのインベンション1番で、同じことをおやりになっていたそうです。

ひたすら「この音かな?この響きかな?」と確認しつつ、その時の自分の指の状態、身体の状態を認識していく。

一音ずつの確認ができたら、16分音符なら1拍分、4つをまとめて弾いた時、それができているか、できていなかったのなら、どの指に原因があるのか、なぜなのかを探りながら、もう一度弾く。

それの繰り返しです。

 

どうしても、薬指、小指の筋肉は、力が弱く、音量が小さくなりがちです。

その音だけ「音量が小さい」ともう少し音量を上げようとすると、虫様筋が支えきれずに、指が鍵盤に落ちてしまいます。

そうすると、今度はその音だけ、いきなり音量が大きくなります。

筋肉が以前よりはついてきたとはいえ、やはり指により、コントロールのしやすさは大きく違います。

薬指、小指は特に、まだまだ指の筋トレが必要だと改めて感じました。

 

先生のレッスン室のスタインウェイ。

本当に微妙なタッチの差まで、実にはっきりと再現してくれる楽器です。

あるポイントがあって、そこに適切に触れると、実に良い響きが出ます。

でも、少しでも深かったり、浅かったりすると、全く違う響きになります。

深すぎると雑音のような濁りが感じられます。

浅いと「浮いた音」になり、しっかり響きが上がりません。

 

先生も「まさに薄氷の上にいるようだよね。ほんの少しのちがいで響きがまったく違ってくる」と言っていましたが、特に薬指と小指では、何度も薄氷が割れて、水中に落下した気持ちでした。

また次回のレッスンまで、一つずつ一つずつ、丁寧に確認しつつ練習していきましょう。

2018.11.05

フィガロの結婚六重唱で「ソナタ形式」について学ぶ

こんにちは。

今日は、面白い本を見つけたので、そのご紹介です。

田村和紀夫著「カラー版徹底図解 クラシック音楽の世界」(新星出版社)

 

音楽史、確かに勉強しました。

大学時代に講義を取り、さらにその講義で指定された「バロック以前の音楽」「弦楽四重奏」「現代音楽」の3つのコンサートに行ってレポートを書き、試験を受ける。

当時学んだ内容が断片的には頭の中にあるのですが、今ひとつ体系性に欠けている部分があるのも確かで、もう一度、振り返ってみようと思い、この本を手に取ったのです。

さらに、この本を読もうと思った理由に「『フィガロの結婚』の六重唱でソナタ形式を説明する」という説明文を読んだことも大きいですね。

ピアノを弾いていると、どうしても、頭の中の音楽史もピアノ曲にかたよりがちです。

ソナタ形式というと、すぐにモーツアルトやベートーベンのピアノ・ソナタが浮かんできます。

それが「フィガロの結婚」とは。

六重唱も知っていますが、あれもソナタ形式なの?という感じでした。

 

この本ではソナタ形式の基本として、次のように書かれています。

1 全体は「提示部」「展開部」「再現部」の3つの部分からなる(最後に「コーダ」がつくことがある)。

「提示部」には「第1主題」「第2主題」が置かれ、反復記号で閉じられる。

「展開部」は絶え間なく転調を繰り返す部分で、最後に再現を準備する部分となる。

「再現部」は提示部が再現される部分だが、第2主題は主調に戻される。

そして、フィガロの結婚の六重唱を例に取っているのですが、提示部の第2主題の部分を「劇の萌芽」とし、展開部を対立から和解への「ドラマの形式」としています。

これを読んで、モーツァルトのピアノ・ソナタの展開部がどんどん転調している感覚が、少しつかめた気がしました。

ちょうどモーツァルトのピアノ・ソナタを弾いている生徒さんがいて、レッスンで毎週聞いているわけですが、自分が弾くのとも、CDなどで聞くのとの中間の感覚で聞いている感じです。

そうすると、この展開部の転調の多さがとても印象に残るのです。

「ドラマ」ととらえると、登場人物が何人かいて、それぞれにはそれぞれの気持ち・感情があり、それを描いている。

そんなイメージが浮かんできました。

 

今までより、転調の一つ一つの色合いを、よりはっきりと感じることができそうです。

ベートーベンのピアノ・ソナタだと、また少しイメージが違うような気もするのですが、少なくともモーツァルトのピアノ・ソナタを演奏する上では、とても大きなヒントをもらった気がしました。

2018.10.30

姿勢を意識する

こんにちは。

姿勢は大切だとここで改めて感じているので、それについて書いていきます。

 

私自身も、もともと学生の頃に、先生から「肘で支えている」と何度も指導されていました。

ただ、その感覚自体がよくつかめていなかったので、「ではどうしたらよいのか?」が分からず、自分なりに工夫をしてみたものの、思うようにいかなかったのです。

今のように動画が手軽に撮影できたわけではありませんので、客観視することが難しかったのも確かです。

音は、「きれいな音」とはいわれましたが、薄いというか、硬いというか、そんな音色だったのだろうと思います。

体格も小さく、手も小さいので音量もあまりありません。

「あなたのは、何を弾いてもモーツァルトの音。」

特に大学での最初の1年は、それを言われ続けていました。

 

先日、自分がレッスンに行ったとき、「効率的に腕の重みが使えている」とアシスタントの先生に言っていただいて、ようやく、長年の課題を一つクリアした感じがしました。

ずっと考えていたのですが、やはり難しさを感じていたその課題が、すっと自分の中でわかるようになったきっかけは、以前にも書きましたが、ポゴレリチの動画を見たことです。

それから、自分の軸を見直し、腕の使い方を見直しました。

手軽に動画が撮影できるようになったことも、とてもありがたいと感じました。

レッスンや練習を撮影して、すぐ見ることができますから。

 

同時に、骨格や筋肉のつながり方の図を見て、腕の仕組みについて勉強したことも役立ちました。

腕は肩甲骨から始まっていること。

それを意識するだけで、腕の長さの感覚が変わります。

それは同時に腕の重さの感覚も変わってくることにつながります。

それを腕の下側の筋肉で支えつつ、鍵盤に伝えていく。

 

ここに至るまでの試行錯誤の期間が長く、そしてさまざまに試してきたので、逆に生徒さんにはすぐ伝えることができます。

先日も、ある生徒さんの姿勢を変えることで、響きも音量もすぐ変わりました。

先生からは「もっと太ると、もっと良い音がでるんだけどね。腕の重みそのものも増えるし、支え方も変わってくるから。」とは言われますが、ちょっとそれは難しそうです。

腕の重みを増やすために筋トレはしているので、その成果が出ればうれしいな、とは思いますが。

 

弾く時の姿勢、音を出す上でとても大切です。

ぜひ、見直してみてください。

2018.10.15

オペラの伴奏から学ぶ

こんにちは。

昨日は、所属する「葵の会」の練習に行ってきました。

来年4月の定期演奏会に向けての準備が開始したからです。

 

次の定期演奏会は、第55回でもあり、また平成最後でもある、ということで声楽のメンバーが今までにも取り組んできたモーツァルトの「フィガロの結婚」と「魔笛」の中からアリアや二重唱を歌うことになっています。

私は、今回、「フィガロの結婚」の中のアリア・合唱の伴奏を弾くことになりました。

伴奏をホールの本番で弾くのは、ほんとうに久しぶりなので、少し緊張し、同時に楽しみでもあります。

もともとオペラは、出会いが素晴らしかった(プッチーニのボエームを、フレーニの歌で聴けた)ので、大好きです。

そこから、大学時代に、魔笛の1幕を練習して上演したこともあります。

 

ですから、今回の伴奏のお話は、ありがたくお受けすることにしました。

前回の打ち合わせでは、「フィガロの結婚」の中からは、全部で7曲。

途中で電話がかかってきて曲目の変更があって、あわてて楽譜のコピーに走ったり…ということもありましたが、とりあえず、何とか間に合わせて、昨日は出かけました。

 

ロシアピアニズムを学ぶことで、音の聴き方が変わり、空間に響く音をとらえることができるようになりました。

これは、伴奏にもとても役立つことを実感しました。

以前は、どうしても「自分の弾いているという指の実感」に意識が行きがちだったのですが、「空間に響く音」を意識すると、歌っている人の音楽も一緒にとらえることができやすくなります。

そうすると歌とピアノとで1つの音楽、という感覚を持てるようになります。

特に歌う人の人数が増えてくると、その違いがよく分かりました。

 

同時に、今回、歌詞の音韻・アクセントを勉強したことで、モーツァルトの音楽の流れがつかみやすくなりました。

歌詞のアクセントの位置が、小節の最初にくるように作曲されているのです。

これは、本当に見事としか言いようがありません。

モーツァルトは、イタリア語のリズムを完全に自分のものとして消化して音楽にしているのです。

これを学ぶことで、ピアノソナタの流れも意識がしやすくなりました。

1つ何かを学ぶと、それに付随して、いろいろなことが見えるようになってきます。

 

まだこれから、学ぶべきことはたくさんありますが、いろいろな蓄積をして自分の音楽の幅を広げ、さらに豊かに音楽を、ピアノを楽しんでいきたいと思っています。