「2019年」の記事一覧

2019.04.14

第55回葵の会定期演奏会を終えて

昨日は、私が所属する葵の会の第55回定期演奏会でした。私達の演奏を聴きに来てくださった方々に、ほんとうに感謝しています。ありがとうございました。

今回は、平成最後ということ、55回という節目の年であるということから、第2部で「魔笛」「フィガロの結婚」のオペラの中から独唱・重唱・三重唱・合唱を取り上げました。

私自身は、「フィガロの結婚」の序曲と伴奏6曲・フィナーレの合唱の伴奏を弾くことになり、また、作品発表のピアノもお引き受けしたので、今までのピアノ独奏とは全く違う勉強をすることができました。

歌詞を手がかりに音楽を理解していくこと

今回の伴奏を通して、私にとってこの「歌詞を手がかりに音楽を理解していくこと」が学べたのは大変大きな収穫でした。

詩の形式、詩のアクセントを理解して、音楽とのつながりを見ること。モーツァルトは、ほんとうにイタリア語を自分のものとして作曲していたことがよくわかりました。

基本的に詩のアクセントのある部分は、強拍にきています。その流れを生かすように演奏を考えていく。音楽がどこに向かっていくか、ということを意識するようになりました。

歌詞の内容を理解していく。久々にイタリア語の辞書を引きましたが、ありがたいことに、電子辞書は、入力途中で候補を出してくれるので、ずいぶん楽になりました。

ここからも、モーツァルトが歌詞のイメージを音楽に反映させていたことがよく理解できて、感動しつつ、練習していました。

作曲者のイメージを汲みつつ、自分の音楽を表現していくこと

作品発表の演奏では、「作曲者のイメージを汲みつつ、自分の音楽を作り、表現していくこと」を課題として練習してきました。

今回演奏した「AOI」という曲ですが、作曲者からは、「歌のイメージ」ということ、「対比」ということを何度も言われました。

聴いている人に「歌」を感じてもらうにはどうしたら良いのか?

ロシアピアニズムの奏法の場合、「歌う」ということをとても大切にしていますし、自分でもその部分を意識していたつもりではあったのですが、作曲者の方の「歌う」イメージとは違っていたようなので、そこの部分でずいぶん考えました。

音色を変える、息を意識してフレーズのつながりを考える、歌う感覚だとしたらピアノ曲と違うかもしれないことは何なのか、もう一度改めて、いろいろに検討しながら練習する良い機会になりました。

同時に「対比」を意識して音楽を作っていくこと。これも、私の感覚との違いを感じつつ、よくお話を伺い、イメージを共有しながら自分のものとして表現できるように練習をし、本番を迎えました。

幸い、ある程度は作曲者のイメージしていたものに近づけた演奏ができたようで、ホッとしました。

ふり返ることは次に学ぶための原動力

本番を終え、特に過程をふり返ることは、また次に進むための原動力となります。

会を創立した時から続けている先輩が「今年よりは来年、きっと良くなっている、そう思って続けてきたら50年以上たっちゃったのよ。」と言っていましたが、ほんとうにそうだと思います。

昨日は、うれしいサプライズもありました。私の大学時代のピアノの恩師、松原正子先生が聴きに来てくださっていたのです。

終演後、楽屋にいらっしゃって、私を含め、教えていただいた卒業生何人かでお話しすることができました。

私も「まだまだ進化することができるわよ。」と励ましていただき、また新たな力をいただきました。

さっそく今週は自分自身のレッスンが入っていますので、地道に、次の課題に取り組んでいきます。

幼稚園・保育園でピアノを弾くときに

たうらピアノ教室には、幼稚園の先生や保育士を目指す学生さんもレッスンに来ています。現役の保育士さんや小学校の先生がレッスンに来ていたこともありました。

お仕事で、ピアノを弾く必要のある生徒さんの場合には、小さいお子さんのレッスンとは違って「実際に弾いている場面をしっかり考える」ということが大切です。

常に子どもたちを見ながら弾く

例えば、保育園でピアノを弾きながら子どもたちが歌を歌っている場面を想像してみましょう。

日常の中で、「おべんとうのうた」を弾きながら、子どもたちが歌うとしたら、これから食べるお弁当を前にして、食事が楽しく取れるようにしたいですね。ピアノを弾いて、その雰囲気作りをしていくことになります。

では、そのためには、どうしたら良いでしょうか。一つは、ピアノが自信を持って弾けていること。気持ちは音楽に表れますから、自信を持って弾いていると、それだけで場の雰囲気を作る大きな力になります。

同時に、子どもたちの様子を見ながら弾くことも欠かせません。子どもたちは、先生の視線を実によくとらえます。ここの部分については、実際に多くの中学生を見てきてその実感を持っているので、とてもよく分かります。

しっかりと様子を見ることで、トラブルを事前に回避したり、気になる子どもに先に声をかけたりすることができます。結果的に、それは、先生に対して子どもたちが心から信頼を寄せることにもつながります。

子どもたちを見ながら弾くために

では、子どもたちを見ながら弾くためには、どうしたら良いのでしょうか。

重要なのは、鍵盤の位置を「指や手で確実に覚える」ということです。一つ一つの曲を仕上げる時もそうですし、バイエルなどの練習曲を練習する時もそうです。

楽譜と手を見て、常にどちらかを見ている、という状態ではなく、ある程度、手の感覚で弾けるようになることがとても大切なのです。

「学校の課題だから…」「保育士の試験にあるから…」ではなくて、実際に現場で使えるようにするためには、この「子どもたちを見ながら弾けるようになりたい」という意識を持っているかどうか。

レッスンへや練習への姿勢がそれによって大きく変わりますし、結果的に進歩の度合いも変わってきます。

「どんな自分でありたいか」を考えていく

ピアノに限りませんが、「どんな自分でありたいか」を考えていくことは、とても大切なことです。

仕事でピアノを弾く大人の生徒さんだからこそ、そこはある意味、とてもはっきりと具体的です。

でも、「どんな自分でありたいかを考える」ことは、大人の生徒さんだけのことではなく、子どもさんも同じですね。そして、どれくらい具体的に、はっきりとイメージすることができるか、これがも結果に大きく影響することも同じです。

新しい年度を迎えて、お子さんはお子さんなりに、大人は大人なりに、そのあたりを改めて考えるには良い機会ではないでしょうか。

私自身も、明日の本番を節目に、また次の自分のあり方をしっかりと考えていこうと思っています。

2019.04.11

手の支えを意識する

先日のリハーサルで、現在は同じ門下にいる先輩と休憩時間に奏法についての話をしました。

手の支えを作ることで下部雑音をなくす

その方は、今年はスクリャービンの前奏曲を演奏します。音が上に上がりとても美しいスクリャービンでした。

「ほんとうに浅いところをねらうように言われているのだけれど、それが難しくて、つい深くなってしまう。『下部雑音』が出てしまうのよ。」

下部雑音というのは、ピアノの鍵盤が一番下に下がった時にする音。いわゆる「しっかり弾く」時にカタカタという感じの音が鳴るのですが、その音のことです。

スクリャービンは響きを混ぜることで、美しい音楽になります。そのためにはほんとうに浅いところ、音は鳴るけれども、鍵盤が下がりきったときの音は出さない、そこをねらって弾く必要があります。

「結局、手の支えなのよね。」という話になりましたが、ほんとうにそうなのです。手の支えをしっかり作ることでコントロールしていくことになります。

手の支えを意識して速い部分を弾く

今回、私は「フィガロの結婚の序曲」を弾くのですが、これがものすごくテンポが速いのです。その中で、支えをつくることの重要性を特に実感したのは、同音連打の部分です。

鍵盤の浮力を使って連打していきたいので、あらかじめしっかり支えを手の中に作り、支えの部分にだけ力を入れて、指先の力を抜いて弾いていきます。

うまく支えが作れた時は、テンポ通り弾けるのですが、鍵盤の戻りが間に合わなず、連弾の音が一つにくっついて聴こえてしまう時は、支えが不十分な時。これは、歴然としています。

同時に、後半に出てくる音階の下降形。この部分を弾く時もそうです。一つ一つの鍵盤を下まで鳴らしていては絶対にテンポに間に合いません。

練習の時は、とてもゆっくり一音ずつ、1本ずつの指に、力をかけて弾いていきますが、実際のテンポで弾くときには、鍵盤の底まで指を下げることはせず、浅いところをねらって、一気に下降していきます。

それでも、一般的にオーケストラで演奏されるテンポよりは遅くなってしまうのですが、このロシア・ピアニズムの奏法でなければ、今弾いているテンポでも、「フィガロの結婚」の序曲を弾くことはできなかっただろうと思います。

日常の練習の中で支えを強化していく

結局、日々の練習、筋トレをしていく中で、支えを強化し、できることを一つずつ地道に増やしていく、それしかありません。

確かに、私自身も最初に比べれば、支えができてきたことで、オクターブもずいぶん弾きやすくなりましたし、鍵盤の上のほうをねらって弾く音階も、ある程度弾けるようになってきました。

私の先生も、話をしていても常に指は動いて支えを作る時の筋トレをしています。やはり「弾ける手をつくる」これが重要なのです。

本番まであと2日。今ある力を最大限発揮できるように練習していきます。

2019.04.08

伴奏の難しさと楽しさ

昨日は、間近に迫った葵の会の定期演奏会のリハーサルでした。今回、私は作品発表の演奏と、「フィガロの結婚」から序曲の演奏とアリア・二重唱・合唱の伴奏です。

音量をコントロールする難しさ

伴奏もしばらくぶりなので、いろいろな意味で勉強になります。昨日のリハーサルでは、音量の確認をすることが重要な目的の一つになっていました。

伴奏のピアノの音量が大きすぎて、歌を邪魔してはいけませんし、かといって小さすぎると音楽そのものが縮こまって聴こえてしまいます。

自分の耳の感覚を使って、歌う人と自分の音量を捉えていくことが大切になってきます。

昨日の場合、前半の「魔笛」が終わった段階で、半開だったピアノの蓋を全部開けてみようということになりましたので、音量はよけいに気を使いました。

歌う人の立ち位置、ピアノを置く位置によって聴こえ方は大きく変わる

実際に弾いてみると、歌う人の立つ位置によっても、聴こえ方が大きく変わることがわかりました。リハーサル後に、ピアノの位置を動かし、歌う人もステージ上を動きながら歌って、一番良い位置を探りました。

歌とピアノの混ざった音を捉えやすい位置と、歌の声がわかりにくくなる位置があるということがよく分かりました。私にとってはある程度ピアノに近いところで歌ってもらえるとよく分かります。

ただ、歌う人によっては、ピアノにあまり近いと、ピアノの音量を意識しすぎて力んでしまうので離れたいという人もいました。このあたりも人によって感覚がずいぶん違います。

聴いていた方の話では、音量は大丈夫だったとのこと。また、録音を聴いてみる限りでも、特に違和感がなかったので、ほっとしました。

ともに音楽を作り上げていく楽しさ

先日のムーティのリハーサルで「オーケストラは『伴奏』ではありません。ともに音楽を作り上げていくのです。」という言葉がありました。

ピアノであっても、意識はそうありたいと思っています。「伴」奏という気持ちではなく、ともに音楽を作り上げていく感覚。

本番のステージの上で、歌う人が自分の一番良い歌を披露でき、私もともに一つの音楽を作りあげることができた状態。

それを理想として頭に置きながら、あと一週間、練習をしていきます。

年中さんのレッスン―成長に合わせて楽しく

4月から入会した、保育園年中の生徒さんのレッスンが始まりました。体験レッスンでも、いろいろなことをやって、ピアノが弾けることも楽しみにして来てくれました。

年少さん、年中さんくらいの小さいお子さんの場合は特に、できることを中心に楽しく、と考えています。年齢とともに、できることがどんどん増えていきますから、成長を待つということがとても大切です。

何回か練習するとできるようになっていく

先日のレッスンでは、まず、へ音記号のドを書くところから。線と線の間に○を書く。これも意外に難しいのですね。

最初は、○が閉じなかったり、最後にくっついたと思ったら、○の中にぐるぐると鉛筆で線を書いたり、だったのですが、いくつか練習しているうちに、きれいな○が書けるようになりました。

次にト音記号のド。こちらは線を真ん中に書くので、もう少し難しい。こちらも、いくつか書いているうちに上手になってきました。

やはり、最初は難しくても、書いているうちに慣れてきます。だからこそ、実際にやってみるということが必要なのですね。

ピアノの前に座ってドの音を弾く

ピアノに座る前に、「この間先生が言ったこと、覚えている?座る時に、触らないお約束をした場所があったでしょう?」と聞くと、ふたを指さして「ここ」と答えました。

ちゃんと覚えていました。そしてふたに触らないようにして椅子に座ると、すぐ真ん中のマークを指さして、「こことおへそを合わせる。」と自分で言いました。

これも、前回、体験レッスンのときのことをしっかり覚えていたのです。小さいお子さんが覚えよう、と思った時の、集中力、記憶力は、ほんとうにすごいです。

ヘ音記号の「ドの音」を探して、3の指で弾いてみました。左手をぶらぶらさせて、形を作って弾いていきます。

「どのおと」と言いながら4拍分伸ばします。次に、音楽をかけて音楽に合わせて弾いてみました。リズムにのって4拍。弾けました。

次に右手で、ト音記号のドの音を弾いていきます。こちらもできました。

一人ひとりの成長に合わせていく

これは、個人レッスンのピアノ教室ならではの良さです。一人ひとりに合わせてレッスンしていくので、その生徒さんの成長、個性をよく見て、オーダーメイドのレッスンができます。

私の場合には、公立中学校で教えていたので、一人ひとりの違いにどれくらいの幅があるのか、実感としてよくわかります。ある一人に合うことが万人に合うとは限らないのです。

レッスンが終わって、にこにこしていた年中さんの顔を見ながら、小さいお子さんの成長の場に立ち会わせてもらえる幸せを実感しました。

これからのレッスンが楽しみです。

自分で納得のいくように練習する

自分の納得のいくように練習できるかどうか、というのはとても大切なことです。自分の中に基準があるかどうか、ということにつながってきます。

基準を自分で作る

新小学校1年生になる生徒さんの「ゴセックのガボット」(ピアノひけるよ!シニア)をレッスンしました。

スタッカートも軽やかに、とても上手に弾いていました。

「とてもすてきに弾けたね。」というと「家で練習していた時は、いっぱい間違えて、違う音をたくさん弾いていたんだけど…。」とのこと。

「それで、今日はたくさん練習してから来たの?」と聞くと、「そう。」とのこと。

自分なりに、まず「音符通り間違わずに弾けるようになりたい」という基準ができ、それに向かって練習してきたのでしょう。

自分の中に仕上がりのイメージをもつ

別の小学生の生徒さん、ディズニー映画「リトル・マーメイド」の中の「パート・オブ・ユア・ワールド」を練習中です。

この生徒さんも、音符が読めるようになって、自分で弾ける力がどんどんついてきました。

最後の仕上げの段階で、「こんなふうに弾いてみたら、より美しくなるよ。」ということで、話しながら、いくつか弾き方を変えて、私が弾いてみました。

「ああ、そうか!」ということで、生徒さん自身が、自分なりに少し工夫を加えていくと、また、曲の印象が大きく変わりました。

自分の中に仕上がりのイメージができてくると、音楽も大きく変わります。

「やりたい」という気持ちが大切

大切なのは、やはり「こう弾きたい」という本人の思いでしょう。

そのスタートになる部分を作る最初のうちは、練習回数を示して弾けるようになる体験を増やしていったり、弾き方の例を示したり、ということも必要になってきます。

最初は、先生やお家の人から与えられた部分は大きいかもしれません。でも、成長するにつれて、それがはっきりとお子さん本人のものになっていくのです。

2019.04.05

弁天沼(鳴かずの池)の桜

昨日はとても気持ちの良いお天気だったので、久しぶりに自転車に乗ってきました。

行き先は岩殿。あまりこの方向には行かないのですが、ふと、そういえば岩殿観音の本来の参道はこちらだったはず、と思い出して行ってみたところ、池と桜と山の緑が美しく、参道までは行かずに、この「鳴かずの池」の写真を撮って帰ってきました。

高坂には、有名な「坂上田村麻呂の悪竜退治」の伝説があります。高坂小学校の校歌の1番「昔悪竜退治して功立てたる将軍が…」と歌われています。

その時、退治された悪竜の首を置いたために、カエルが怖がって住みつかないから「鳴かずの池」と言われているのだそうです。

池の中にある瓦屋根の建物が、弁天堂。中には石の弁財天が安置してありました。これは新しく見えました。

池の手前の斜面に板碑がありました。梵字が刻まれています。1368年に建てられたとのことで、意外に古いものだったので、ちょっと驚きました。

もっとも、このあたりは、 岩殿山正法寺も比企氏と源頼朝と関係がありますし、平安時代末期から鎌倉時代に活躍した多くの人物と関係の深い土地柄でもあるのでしょう。  

考えてみたら、ピアノ教室のすぐ近くには「鎌倉街道」もあるし、高坂駅東側には秩父氏の一族であるという高坂氏の館跡もあります。

自転車でちょっと出かけただけで、こんなに歴史を感じさせる事物がたくさんある場所に住んでいることにも、驚くとともに、うれしさを感じました。

2019.04.04

ムーティの「リゴレット」リハーサルを聴講してきました

昨日は、上野の東京芸大で今行われている、リッカルド・ムーティ「イタリア・オペラ・アカデミーin東京」のリハーサルを聴講してきました。

午後からレッスンがあったのですが、知った時期が遅く、この日しか空いていませんでした。午後からレッスンなので、1日聴講券なのに、午前中のみで帰ってきたのは残念でしたが、それでも、「行ってよかった!」と心から思いました。

慌てて帰ってきたので、写真がないのですが、上野は桜もきれいでした。

作りたい音楽のイメージが明確

もちろん、出来上がった音楽を聴いてもそれはよく分かることであり、当然のことでもあります。

確かに、オーケストラのたくさんの楽器とそれを演奏する人すべてを一つにまとめ上げていくわけですから、自分の頭の中にはっきりとしたイメージが描けていないとそれができるはずもありません。

でも、実際にリハーサルを聴いていると、いかに細かい部分まで、音楽のイメージが明確に意識できているかが、伝わってきて、まずそのことに「すごい!」としか言いようのない思い出した。

例を挙げると、歌手の発音の一つ一つ、すべての楽器の音色、音の出るタイミング、音の長さ、同じ1拍をどう感じていくのか。書ききれないほど、まだまだたくさんありました。

そういう細かい部分が集まって、フレーズとなり、そのフレーズが集まって曲になり音楽になっていく。

細かいところまではっきりとイメージができているからこそ、美しい音楽の流れができているのだということ、何かをおろそかにしてはいけないのだということ、それがよく分かりました。

その背景に、ムーティのオペラに対する考え方・ヴェルディに対する考え方があるのは言うまでもありません。ものすごい量の楽譜を読み込み、文献にあたり、その結果として今、そこにある1フレーズの表現が明確になっている、その厚みが直に伝わってくる感じでした。

伝える力の素晴らしさ

そのイメージを伝える力の素晴らしさも感動するほどでした。さまざまな比喩表現の巧みさ。歌を歌い、リズムを取り、具体的に「こうではなくてこう」と示していきます。

私でもわかるくらい、その対比がはっきりしていましたし、「蛇のように」と言われると、その音形の持つイメージがよりはっきり分かりました。

時にユーモアをまじえ、時に厳しい言葉が出ることもあります。18世紀の歌手の話が例にあがってきたこともありました。

そういう指摘を受け、オーケストラの演奏も、歌手の演奏も変わっていきます。楽譜に書き込む時間もない中で、それを自分のものにしていかなくてはならないオーケストラの人たち。これもまたすごい、と思いました。

それにしても音楽はすばらしい

改めて、「音楽はすばらしい」と思います。歌手の方たちはいろいろな国から来ています。オーケストラは今回、特別に編成された日本人によるもの。イタリア人の指揮者のもと、一つの音楽を作り上げていきます。

聴いている私達にとって、イタリア語はなじみのない言語。それでも、歌を通して、音楽を通して「何か」が心に直接伝わってきます。

もともとオペラが大好きで、だからこそ今回「絶対に行きたい」と思って行ってきました。結果として、ほんとうに素晴らしい時間となり、とても多くの学びを得ることができました。

今度は、それを自分の音楽に、演奏に生かしていく番です。昨日の感動を胸に、また練習していきましょう。

2019.04.02

意識することと響き

昨日は先生のところにレッスンに行ってきました。セミナーも終わり、ようやく日常を取り戻すことができたとほっとしていらっしゃいました。本の出版以降、雑誌の取材やセミナーの準備などでとても慌ただしい日々だったのだそうです。

昨日のレッスンでも、いろいろ気づいたことがあり、とても学ぶところの多い時間になりました。

タッチを変えることを意識しつつもとらわれすぎない

昨日もフランス組曲です。タッチを変えながら弾くことを意識し始めるときりがありません。

家での練習の時も、いろいろなタッチを使って試行錯誤しながら、ここはこうしようか、ここはこっちのタッチのほうが良いかもしれない、など考えながら弾いていました。

昨日のレッスンでも、最初は一つずつのタッチのことを意識できる、ゆっくりしたテンポでアルマンドを弾きました。

その後、「少しテンポを上げてみましょう。」ということで、本来のテンポで弾いてみました。

2回、テンポを変えて弾いてみたことで、私自身が一つ一つのタッチを変えることにとらわれすぎていたことが分かりました。

ある程度の設計図を考え、音のイメージを作り、タッチを意識した練習をした上で、次の段階は音のイメージだけを頭の中に持って、一つ一つのタッチにとらわれずに流れを意識して弾いていく。

考えてみれば当たり前のことです。そうしなければ、いつまでたっても曲の持つ本来のテンポでは弾けません。

逆に、速いテンポの中でも瞬時にタッチを変えていけるくらい、手の内側の筋肉の力を強くしていくこと、 聴く力を磨いていくこと。結局、一番基本的なその部分に行き着くのです。

手の支えの意識を変えると響きが変わる

アルマンドに続くクーラントは速いテンポの曲です。こちらを速くしようとすると、何か平坦な気がしていました。

聴いていただくと、「平坦ではありませんよ。基本のタッチができているので、立体的に聴こえます。」と言っていただけて、ちょっとほっとしました。

ただ、何か自分の中でもの足りない感じがします。すると、先生が、 「少し引き上げてみたほうが良いかもしれない。」と言いながら 弾いてくださいました。

響き方が違います。「ここの左手がもう少し出ても良いかもしれませんね。」と言いながら、何小節か聴いたあと、もう一度弾いてみました。

先生の音の響きをイメージしながら、手の内側の筋肉を使って引き上げる感覚を意識して弾いてみると、やはり、さっきとはずいぶん響き方が変わりました。

引き上げながら下げる感覚

「指を鍵盤に下げて弾かなければ音は出ません。下げつつ引き上げるという相反する2つを同時にするのですから、これは実際にやってみないと分かりませんよね。」と先生も言っていましたが、本当にそのとおりです。

そのとおりです。「引き上げる」が実感できるようになるためには、手の内側の筋肉にある程度の力がついてくることが必要です。

手が空いてさえいればできる指の筋トレを地道にしていくこと。耳で聴く力を伸ばしていくこと。

当たり前のことであり、一朝一夕にはできないことですが、それを積み上げていった先に美しい響きがある、ということを改めて実感したレッスンでした。

趣味としてのピアノを楽しむ

3月最終週で、中学生以下の生徒さんの面談が終わりました。

それぞれのこの1年(途中から始めた生徒さんもたくさんいますが)の進歩・成長を、保護者の方と一緒に確認し、また次の一年、頑張ろうというお話をする良い機会になりました。

両手で弾けるようになった!

小さいお子さんが多いのですが、中学生になってからピアノを始めた生徒さんもいます。

大人の「趣味のピアノ」に近いですね。その生徒さんの場合、学校が忙しいので、レッスンも毎週ではなく、月に2回くらいのペースです。

でも、お家での練習もしっかりしてくるので、半年でピアノランド1と2の2冊が終わりました。中学校2生にもなると、知的な理解力が高いので、楽譜の読み方などはすぐに理解して覚えていったので、その柔軟性に感心していました。

生徒さん自身の1年のふり返りの中の「うれしかったこと」では、楽譜・楽語を覚えたこととともに、両手で弾けるようになったことが挙げられ、特に「頑張った」実感があったようです。

弾きたい曲を弾く段階が見えてきた

両手で弾けるようになってきたし、もう少しすると、自分の弾きたい曲が弾けるようになってくるかな、と思って、面談でちょっとそんな話をしました。

生徒さんが何曲かあげた中に、「千本桜」がありました。ちょうど去年のクリスマス会で、ボーカロイド曲を弾きたいという希望の生徒さんがいたので、初心者向けの連弾の楽譜をもっていて、その中に入っています。

「楽譜がありますよ。」ということで、見せてみると「この曲の難易度はどれくらいなんですか?」との質問。

「ピアノランドの3が半分くらいまで弾けるようになれば、これも弾けるようになります。」と言うと、うれしそうでした。

編曲を選んで初心者でも弾きたい曲を楽しむ

今は、一つの楽曲でも、さまざまな編曲で楽譜にして、それを販売しています。ですから、初心者向けに編曲してあるものを選べば、かなり弾ける曲の幅が広がります。

趣味でピアノを弾きたいと思っている方にとっては、恵まれた時代になったと言えるかもしれません。

最初の半年~1年位、両手でメロディーと伴奏が弾けるようになる段階までは、教本を中心に練習したほうが、結果的に上達が早いでしょう。

それ以降は、教本に加えて自分の弾きたい曲を積極的に楽しんでいく。そうすればピアノを弾くことの楽しさを、生活の中で味わっていくことができるようになります。