「2019年」の記事一覧

「エリーゼのために」の繊細な美しさ

「エリーゼのために」は有名なピアノ曲です。「エリーゼのために」が弾けるようになりたい、と目標にしている生徒さんもいます。

6年生の生徒さんが、「小学校の1年生の時に弾いたんだけど、もう一度弾いてみたい。」ということで、今、練習しています。

あらためてよく楽譜を見ながら弾いてみると、いろいろ発見もあり、意外に難しい部分もあり、と楽しんで弾いています。

弱音の美しさ

よく楽譜を見てみると、強弱記号はpp~mfまでしか書かれていません。左手のラの音の上に和音がある部分も、アクセントとcresc.はありますが、pから始まっています。

そして、有名なミレ ♯ /ミレ♯ミシレ♮ドラの部分は、基本的にすべてppがついています。

とても優しく、繊細で、ささやくような、そんな感じがします。ですから、この曲を弾くには、ppからpで多くのことが表現できる必要があります。

小学校1年生ではその表現はなかなか難しく、ちょうど6年生がもう一度弾くにはとても良い勉強になっている。本当にそう思います。

リズムの難しさ

8分の3拍子です。この3拍子を感じながら弾くことが意外に難しい。

私の知人で、声楽を勉強した人(ピアノは苦手と言っています)が以前、「『エリーゼのために』を弾いた時、ミレ♯ミレ♯と弾いているうちに、何回弾いたかわからなくなって、多く弾きすぎた。拍子感がなかったからだね。」と言っていたことがありました。

確かに、ミレ♯ミシレ♮ドで3拍、1小節。その前に、ミレ♯がついたり、ミミレ♯がついていたり。

さらに3小節にわたってミのオクターブとレ♯が何回もついている部分がありますし、そこにはスラーが16分音符3つ分についていて、よけい拍子がとりにくく感じるのです。

実際に、家にあるピアノピースは、妹が使ったものなのですが、ミレ♯の連続の部分には、赤いボールペンで拍の頭に印がついています。

ただ、その拍感があいまいになりそうな、その部分からも、繊細ではかなげな雰囲気が感じられます。

繊細な気配りが必要

曲全体を通して、音量をどう考えていくかということ、リズムをどう感じていくかということ、その上で、メロディーの繊細な美しさをどう表現していくかということ。

とにかく全体にとても細かい心配りが必要な曲ですね。でも、それだけにこの美しさは本当にすばらしい。

レッスンしながら、私自身もその美しさに改めて感動しています。

ピアノで左右違う動きを学ぶ

ピアノに限りませんが、楽器の場合多くは、左右違う動き方をします。

ただ、ピアノの場合、同じ鍵盤の上にあり、鍵盤を指で下げる、ということは同じですが、違うタイミングで違う音を弾いていくことになります。

「慣れる」感覚の大切さ

最初、慣れるまではこの部分が難しく感じます。ですから、両手別々の動きをする第1段階は、オクターブ違いで同じ音を、同じタイミングで弾くことです。

今、何人かがその新しい段階に挑戦中です。

見ていると、生徒さんによって、この段階の感じ方がずいぶん違います。大したことと感じることなくできる生徒さんもいますし、とっても難しいこと、と感じる生徒さんもいます。

実際には、何曲か何回か弾いて、慣れていくとできるようになっていきますし、慣れていけば「難しくはない」という感覚にもなっていきます。

ですから、この段階までに、練習の習慣がどれくらいついているか、ということはこのステップを乗り越える上でとても大切になってきます。

使う音の範囲が広がる

難しく感じる原因の一つは、使う音の範囲が広がることにあります。新しい音を楽譜上でとらえるのが難しい。

右手が真ん中のドからドレミファソを弾くということになると、左手はその1オクターブ下のドレミファソを弾くことになります。

今までは、真ん中のドから左手はドシラソファまでの5つしかありませんでした。

法則性も教えているのですが、お子さんによっては、なかなかそれが理解できていない場合もあります。そうすると、いきなり今までにはなかった低い「ドレミ」3つ分の新しい音符を「覚え」なくてはなりません。

それだけで「難しい」と感じてしまうのです。

そういう場合には、音符カードでドレミの確認を繰り返すとともに、使っている曲にの左手部分には、階名(ドレミファソ)を書いてしまいます。

少しでも、難しいと感じる要素を少なくするのです。「難しい」と思うと、弾くことそのものにどうしても抵抗が出てきてしまいます。こちらも慣れてくれば分かってきますから、とりあえず今の段階は良いことにします。

左手の小指を使っていく

難しく感じるもう一つの原因は、左手の4薬指と5小指を使う回数にあります。特に5の小指。

5の小指は力も弱く、使いにくい指です。でも。小指がドを弾くことになると、使う回数が多く、弾きにくく感じるようです。

この段階までに、手の形がある程度でき、手の回転が使えて小指の支えもできていればずいぶん違うのですが、実際はそこまでできる子供さんはあまりいません。

ですから、この感覚に「慣れていく」ことが大切です。左手の練習をたくさんすること。これに尽きます。

両手で別々の動きをしていく

それから、両手で合わせていきます。左手の練習がしっかりできていれば、意外にスムーズに弾ける場合が多いですね。

両手で弾けるようになり、メロディーと伴奏を左右別々の手で弾けるようになると、世界が広がり、ピアノを弾くことがますます楽しくなります。

最初はちょっと難しく感じるかもしれませんが、ぜひ「慣れ」て、ピアノが楽しめるように、この段階を乗り越えていきましょう。

2019.01.11

中世・ルネサンスの音楽

こんにちは。皆川達夫さんの著書「中世・ルネサンスの音楽」を読みました。学生時代に、確かに音楽史の講義で勉強したのだけれど、このあたりはみんなひとまとまりになってしまっていました。

改めて読んでみるといろいろ新しい知識を得ることができ、西洋音楽の流れについてなるほど、と思うことがありました。

日本と中世・ルネサンス音楽

西洋音楽は明治以降に取り入れられ、発展してきた、ということしか、私自身は認識していませんでした。

世界遺産に「長崎・天草の潜伏キリシタン関連遺産」が登録された時に、たまたま、皆川達夫さんの書かれたこの文章を読みました。

オラショとグレゴリオ聖歌とわたくし

生月島のオラショ。年月を経て、日本的な節回しになっていても、奇跡的に原型が残っていたことに私はとても驚きました。それだけ大切に大切に守り続けていたものなのだということが伝わってきました。

そして、皆川さんの、元の聖歌をたどろうとする熱意。長年の研究の結果、蓄積されている知識の厚み。

そういうものがあったからこそ、元の聖歌にたどり着けたということに感動し、非常に印象に残っていました。

今回の、この本の最後の章に、日本とヨーロッパの音楽のつながりが書かれていて、オラショとグレゴリオ聖歌のことが書かれていました。

そればかりではなく、日本の箏曲、八橋検校の「六段の調べ」との関連の可能性についても述べられていました。

音楽が人の心の深いところを動かすからこそ、残っていく「何か」があるのかもしれません。

ギョーム・デュファイについて

確かにこの人物についても「勉強した」ような気がします。でも、内容は覚えていませんでしたし、実際にどんな曲があったか、全部忘れていました。

バッハと比較して述べている内容を読んで、時代の節目にはこういう人物が現れ、次の時代の扉を開くのだ、ということを改めて思いました。

 このようにして、それまでフランス、イタリア、イギリスなどで、それぞれ独自の展開をみせていたもろもろの音楽技法が、ブルゴーニュおよびその属領のフランドルで、総合化、国際化をみせることになった。その総合化の仕事を、もっとも著しく、もっとも精力的に果たしたのが、ギョーム・デュファイであった。

 彼は、その後のモンテヴェルディあるいはバッハと同じく、前の時代のもろもろの音楽技法を彼一身のうちに摂取し、同化し総合し、しかもその作品のすべてに彼自身の強烈な個性をきざみこんでいった、巨人的なスケールの作曲家であった。

皆川達夫 中世・ルネサンスの音楽 第五章 ルネサンス音楽を作った作曲家たち p.135

聞いてみたのですが、残念ながら、その前後の音楽をしっかり把握しているわけではないので、「同化・総合・個性」をはっきり感じ取れたわけではありません。

ただ、それまでのグレゴリオ聖歌と違い、3度の響きが多く聞こえ、そうするとずいぶん今につながる響きになる、という印象は残りました。

ヨーロッパというまとまり

全体を通して、強く感じたのは、ヨーロッパという陸続き(イギリスは島国ですが)の地域のまとまりの強さ、つながりの深さです。

例えば、フランドル楽派の人々は今のベルギー・フランスからヨーロッパ各地に行って活躍し、故郷に戻ってくる。

王室どうしの結婚によって、宮廷の文化も移動していき、影響しあっている。

このあたりは、日本という島国で生活している日本人の感覚とは大きく違うのかもしれません。

その中で、音楽も混じり合い、結果的に発展していったのだ、ということがとても良くわかりました。

皆川達夫さんには、「バロック音楽」という著作もあるので、続いて読んでいこうと思います。今度は鍵盤楽器もきっともっとたくさん取り上げられているでしょうから、よりピアノにつながるさまざまな学びがあると思います。

2019.01.08

親指の支えを改めて意識する

いつもの神田明神は、こんな感じです

昨日は、自分のレッスンに行ってきました。先生の楽器は、ほんの少しのタッチの違いを反映してくれます。場合によっては、反映「してしまい」ます。

指を使い過ぎない

昨日は、最初に弾いた時、微妙に響きに伸びがないように思いました。

何だろう?と思いながら弾いていました。弾き終わった時、先生から、「指を使いすぎています。」と言っていただきました。

指に力が入ってしまっていたようです。このあたり、ほんの少しの加減で響きが変わってきてしまいます。

指先から虫様筋に感覚を移動させるような意識で弾いてみると、だいぶ違いました。

ただ、後半になってfで弾こうとすると、やはり響きが思うように上がってきません。

「こう、押し付けている感じですね。fの時は一瞬だけ、力をかける感じで。」と言っていただき、何回か繰り返しているうちに、ようやく少しずつ改善していきました。

ただ、この部分は、前回のレッスン時も同じような流れだったので、家での練習にももうひと工夫いるかもしれません。

家のピアノがまだあまり「鳴らない」感覚なので、ついつい弾きすぎているということを自覚しました。

親指の支え

同時に「親指が微妙に下がっているので、そこで響きが変わってしまいますね。」とのこと。

親指‼奏法を変えた当初は、親指の使い方がまったく出来ておらず、ずいぶん苦労しました。

だいぶ、できるようになったものの、まだ音形によって、支えが甘くなり、位置が変わってしまう場合があるのです。

親指の付け根から指を使うということを意識して、支えをももっと意識しつつ練習する必要があります。

ほんの少しの加減で、響きは大きく変わってしまいます。そのことを改めて自覚したレッスンでした。

神田明神の人混み

神田明神は、4日の混雑が、報道されていましたが、昨日も初詣の人で、すごい混雑していました。

先生のお宅に向かう時に、いつもの歩道にビジネスマンらしき人がたくさん歩いていて、どうしてだろう?と思っていたのですが、途中でたくさんの人が、神田明神の方向に曲がったので、理由がわかりました。

帰りに見ると、人はもっと増え、鳥居から曲がって歩道まで、参拝の人の列がならんでいます。新年のにぎわいを横目に見つつ、私は私で、また収穫を得た気持ちで帰途につきました。

2019.01.07

バッハ・フランス組曲の魅力

ここのところ、バッハのフランス組曲2番を練習しています。

バッハは、学生時代、聴くのは大好きだけれど、弾くのは「苦手」と思っていました。

年齢とともに、バッハの音楽はますます魅力的に思うようになり、奏法を学ぶことと併行して、平均律の1巻をずっと練習していました。

根気よく、先生もお付き合いくださったので、平均律1巻のほぼ全部を学んだあたりから、ようやくバッハらしさが自分の身体の中に入りやすくなってきた感覚が出てきて、「苦手」はだいぶ克服しました。

旋律の美しさ

フランス組曲に限ったことではないのですが、バッハの曲の中には、ハッとするような美しい旋律が、そこここにたくさんちりばめられています。

フランス組曲は、演奏が比較的容易な、単純とも言える旋律なのに、その出現頻度が非常に高いと思います。

内声のちょっとした動きの中にも、美しさがあります。ちょっとした動きだからこそ、その美しさをどう表現できるか、という部分には難しさがあるのかもしれません。

奏法を変えたことで、複数の旋律線をもつ、バッハの音楽を立体的に捉えやすくなったと感じています。

外側の音に対して、内側のこの音は、こう弾いてみようか、という引き出しが増えたと感じられるからですね。

複数の舞曲のつながりの美しさ

構成そのものも実によく考えられています。

もちろん、当時の組曲の一般的なパターンが使われていて、緩急などはその中で考えられているとは言え、この舞曲のこの感じの次が、こうなっている!という驚きや感動。

それらが満ちあふれています。特に、2番の場合、私が一番好きなのは、クーラントの後のサラバンド。

クーラントの速いテンポの後の、サラバンドの出だしのなんと繊細なこと。それが表現できるように、伝わるように、ということをしっかり考えて弾いていきたいものです。

好きになることが一番

ふり返ってみると、好きになることが一番たいせつなのかもしれません。バッハは苦手、と思っていた時は、バッハは遠くにありました。

バッハが好き、と思うようになって、バッハに近づけた感覚があります。そこからまた、見えてくるものが変わってきたように思うのです。

演奏とは、その楽曲の中に、自分自身が美しさを発見でき、表現したいと思うからこそ成立するものなのかもしれません。

2019.01.06

響きで音楽をつくっていく過程を考えてみる

大人の生徒さんで、奏法を学ぶ目的でレッスンに通ってくださる方がいます。ピアノ以外の楽器の経験もあり、とても音楽に詳しい方で、勉強熱心です。

その方のレッスンの中で、改めて音楽をつくっていく過程そのものが、奏法によって大きく違うということを認識したので、今日は、それについて書いていきます。

かつての私の過程

かつての私自身をふり返ってみると、大きく2段階だったと思います。ピアノを弾く知人の言葉から推測するところ、たぶん、多くの方も同じように感じているのではないでしょうか。

第1段階は、譜読みをして、音が並べられるようにする。一通り「弾ける」状態を作る、ということです。ある意味、この状態までは機械的とも思える部分があるかもしれません。

一応の強弱はつけますが、この段階では、まだ「曲想」を中心に考えることはしません。

そして、一通り音が並べられるようになってから、第2段階として「曲想」を考えていく。

この2段階です。

響きで音楽をつくる過程

今は、どうだろう?とふり返ると同じ2段階でも、大分違っています。ピアノの前に座った後は、いろいろなことを同時進行でやっている、という感じです。

第1段階は、手の使い方を考えながら、指遣いを決めていきます。私の場合には、指遣いを最初に決めることで、音が頭の中に入りやすくなるように思います。

これはピアノの前に座って音を出しながらすることもありますが、机に座って確認することもあります。

第2段階は、実際にピアノの前に座って音を出しながら、練習していきます。

第1段階で考えていた手の使い方・指遣いで良いかどうか、を音を聴きながら弾いていきます。

手の使い方、持っていき方によって、弾きやすさが変わるだけでなく、響きも変わっていくので、指遣いの確認と同時に、自分のイメージした響きが出ているかどうかもしっかり聴きながら練習することになります。

いわゆる「曲想」はこの中で同時に考えています。ですから、常に「私はどう感じているのだろう?このフレーズをどういう響きで弾きたいのだろう?」と自問自答している状態です。

決めたものを再現するわけではない

ただ、私の先生はよく「同じ演奏はない」とおっしゃいます。

その時によって、弾きながら、感じる音楽は変わっていくはず。だから、きっちりと決めたものを作ってそれを「再現」するわけではない、ということなのですね。

最初奏法を学ぶ期間が長くなり、自分自身の響きが変わってきたことを実感するようになってから、先生の言わんとするところがだんだんと理解できるようになってきました。

響きでつくっていくことで、より多くの表現の選択肢を持てるようになっていきます。そして、その時その時に応じて、瞬時に選択肢の中から選んでいけるようになっていくということなのですね。

「これで良い」というところはありませんが、少しでも多くの響き・表現の選択肢が持てるように、日々を積み重ねていきたいと考えています。

2019.01.05

新年初のレッスン

昨日から、2019年のレッスンが始まりました。生徒さんが来ると、レッスン室がにぎやかになって、やはり楽しいですね。

レッスンノートから見える冬休み

レッスンノートを見せてもらうと、冬休みの楽しい生活が見えてきました。

お家でのクリスマスやお正月の様子、おじいちゃんやおばあちゃんとの交流、お出かけしたこと、鉄棒ができるようになったこと等、特別なことも、日常のことも含めて「できたこと」「楽しかったこと」がいっぱい。

幼稚園年長の生徒さんも「今年から、自分でノートを書くことにしたの。」と言って、がんばってひらがなで書いていました。

「できたこと」「楽しかったこと」など物事のポジティブな面に着目して記録していくことで、自己肯定感が上がることは、心理学ではよく知られています。

自己肯定感が上がると、より高い目標にチャレンジしやすくなります。チャレンジすれば、さらにそれに向けて努力していくことになり、自己成長のスピードが速まるのです。

ピアノもしっかり練習して上手になっていました

そんな中、ピアノもみんなしっかり練習して、上手になっていました。

宿題は2曲だったのですが、3曲めも自分で譜読みして上手に弾ける状態まで仕上げてきた生徒さん。

宿題の2曲を完璧に弾けるように、何回も練習してきた生徒さん。

伴奏のオーディションにチャレンジするので、合唱の伴奏の譜読みをしつつ、練習曲も、プレ・インベンションも、曲も弾き込んできた生徒さん。

習慣として、ピアノを練習することが身についているので、冬休み中も変わらず、(幼稚園・学校がないので、それ以上に)練習していました。

習慣の力の大きさを改めて感じるとともに、生徒さんがピアノを好きでいてくれることも、とてもうれしく思いました。

2019.01.04

身体の使い方を見直す

こんにちは。

靴が合わずに、足を痛めて整骨院に通うようになってから、身体の使い方について日常でも意識をするようになってきました。

ピアノを弾く時の姿勢も、いろいろ考えているところです。

意識するだけでいろいろ変わってくるものだということも実感しています。

左右のバランス

立っている時のバランスが、右に傾いているとということを整骨院で指摘してもらい、意識するようにしました。

1週間後に治療に行った時、「思っていたよりもずれていませんね。」と言われ、やはり、意識していることの効果を感じました。

片足を、もう片方の足にのせた「組む」という状態にはしなくても、無意識にクロスさせていることがあることにも気づき、直すようにもしていましたので、このあたりは、それも含めて成果でしょう。

立ち方

これは、自分でも指摘されるまで全く気が付かなかったのですが、ももの裏の筋肉が緩みがちであるとのこと。

確かに、気がつくと微妙に膝が曲がっているのです。

なるほど、とこれも気をつけるようにはしているのですが、こちらのほうが難題です。なかなか気がつきにくい。

同時に、子供の頃母によく言われてた「猫背」。これも、意外に気づかず、無意識でそうなっています。

全部がひとまとまりになって、「立ち方が良くない」という状態です。

左右バランスに比べると、前後の重心のとり方のほうが、私にはずっと難しいことが分かりました。

足首、腰の骨、肩、耳たぶが一直線になるように、と言われたのですが、どうもその意識がまだつかみきれません。

体幹の使い方

立ち方を教えてもらい、正しい立ち方に近づくと、今までより、お腹に力を入れる必要があることが分かりました。

ピアノを弾くときにもこれは重要に思います。前回のレッスンでも、肩が前にいかないように、脇腹の筋肉を意識していくことを教えていただいたのですが、効果的に腕の重みを鍵盤に伝えるためにも、意外に体幹の使い方は重要であると感じています。

それは、ピアノの前に座った時の、腰の骨、肩、耳たぶのバランスの良い位置を探っていくことが、今の私にとっての課題であるということともつながっていきます。

整骨院の先生にも、治療で肩甲骨周辺を調整していくことで「ピアノを弾く時の肩の位置のイメージが、今までと変わっていくかもしれません。」と言われています。

レッスンの時に、先生の弾いてくださる姿を見ても、非常に姿勢が良い状態ですし、どこにも無理がなく、かつ効率的に鍵盤に力が伝わっています。動画のポゴレリチも非常に姿勢が良く、かつ力みが見えません。

手も指も身体の一部という意識で

ピアノというと、ついつい、腕・手・指という末端にばかり意識を向けがちでした。

でも実際は、身体全体をいかに使っていくべきか、ということの重要性を感じているところです。

手も指も、身体の一部。全体のバランスの中で、響きにつながる身体の使い方を工夫していきます。

2019.01.03

オペラでわかるヨーロッパ史―読みながら世界史の勉強をしました

こんにちは。

ここ数日は、読書の時間がいつもより多く取れました。

ピアノも大好きですが、オペラも大好き。「オペラでわかるヨーロッパ史」という本を読みました。

新書なので、さらっと読めます。

読みながらヴェルディが多いな、とは思ったのですが、後書きに「筆者がヴェルディを偏愛しているせいもあり、またヴェルディの作品に大河ドラマ的なものが多いため、彼の作品が多くなってしまった」という記述があり、納得。

日本史は好きだったのですが、世界史は知らないこと、覚えていないことが多く、そういえばそうだっけ?と1つ1つ「学習」した状態でした。

印象に残ったことをいくつか書いていきます。

検閲との闘いがあったこと

オペラへの検閲があったことは、知っていました。例えば、この本にも取り上げられている「ドン・カルロ」が検閲を通すために、話の舞台をアメリカに変えて、人物の設定も変えた、ということ。

でも、実際は私が事前に知っていたことよりも、はるかに多くの厳しい検閲がありましたし、土壇場になって上演が流れてしまったこともあったそうです。

しかし、ゲネプロ(最終リハーサル)後、ナポリを治める両シチリア王国の国王から横やりが入り、初演は流れてしまう。シラーの戯曲が許容されたミラノや北イタリアと違い、シチリア王国は保守的で、舞台で王族の処刑を扱うことに待ったがかかったのだ。

オペラでわかるヨーロッパ史 第二部 二 弾道台の女王―マリア・ストゥアルダ p.139

「マリア・ストゥアルダ」の初演は1835年のミラノ。ナポリでは上演できずに、ミラノでということからもわかるように、地域差も大きかったようです。

それから20年以上たってからヴェルディが作曲した仮面舞踏会も、ナポリでは初演できず、1859年、ローマに変わって初演になりました。

《仮面舞踏会》は、ナポリで初演されるはずだった。それがローマに変わったのは、「検閲」のためである。ナポリの検閲当局は、実在の国王の暗殺事件と、フィクションとはいえ、「不倫」を盛り込んだ物語を許さなかった。


オペラでわかるヨーロッパ史  第三部 三 「検閲」の向こう側―仮面舞踏会 p.187

識字率が低かった当時、劇場の影響力は強く、小説では許された表現も舞台にかけるオペラでは許されなかったことなど、そのあたりの事情も詳しく書かれていました。

作曲家の姿勢が反映されていること

台本作家が作った台本に曲をつけてオペラを作るものの、作曲家の姿勢が台本そのものにも大きく反映されている様子が伺えました。

「トスカ」の中の有名なアリア「星は光りぬ」の歌詞についても、台本作家の歌詞が気に入らず、プッチーニが歌詞を書き換えてしまったエピソードが紹介されています。

このあたりも、ヴェルディとの違いが書かれていました。

また、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」の部分でも、歴史に対する作曲家本人の姿勢について詳しく書かれていて、興味深く思いました。

オペラを見る楽しみの一つの視点として

「『史実』と言われているもの」それ自体、様々な見方があり、様々な捉え方があるものです。

さらにそれを、劇場で上演する形にしていけば、さらに様々な要素が入ってくることは当然です。

今回、「歴史作品は、題材になっている時代と成立した時代という、二重の歴史を反映していると思う」という筆者の意見に共感しつつ この本を読むことで、オペラを見る楽しみに、また一つ違う視点が持てるようになりました。

2019.01.02

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

去年の1月1日にも、「私のピアノについての新年の抱負」を書いていました。

実際にできたこともあれば、残念ながらできなかったこともあります。でも、今見返してみると、意外に多くの内容が実現しています。

一方、不思議なことに、そこに書いていなかったのに、「いつか」と思っていたことで実現したこともありました。

ということで、今年の抱負・目標です。

ピアノ教室としての抱負・目標

・生徒さんの音楽面、技術面の向上のために、自分の指導力をさらに磨いていく。

・発表会を開催する

・奏法についてブログでの発信を充実させていく

・動画をアップし、こちらでも発信していく

自分自身のこと

・指・腕・身体の使い方についてさらに学び、より美しい響きを見つけていく

・4月の「葵の会」定期演奏会に向けて、今年は伴奏と作品発表という新しいチャレンジをしていく。

・11月の先生の門下発表会に参加し、こちらもまた新しいことに取り組んでいく

・Ray Lev先生の楽譜の中から、日本であまり紹介されていない曲を中心に取り組んでいく。

ピアノについて、学んでいく

今の奏法にたどり着いたのも、どうしたらより良い演奏、より良い響きが得られるようになるのだろう?と模索した結果です。

今まで以上に、ピアノについてより深く、より多くの視点から学び、それを生徒さんたちに還元する、そんな2019年にしていきます。

どうぞ、今年もよろしくお願いします。