「2019年」の記事一覧

2019.01.25

ロシア・ピアニズムとの出会い

今日は、今、私が師事している先生のご著書の発売日。予約しているので、送られるてくるのを楽しみにしているところです。

個人的なことですが、今日は、私自身のロシア・ピアニズムとの出会いを書きますね。

さかのぼれば最初の出会いは、高校生のころ。父の友人からもらったホロヴィッツのレコードです。ショパンのソナタを聞いたのですが、とにかくあの迫力に圧倒されました。

そのときは「ホロヴィッツの演奏」であり、ピアニズムとしての意識はありませんでしたし、まさか、その奏法を学ぶことになろうとは全く予想できないことでした。

大学時代

次の出会いは大学時代。松原正子先生にレッスンをしていただくことになり、「響きを聴きなさい」といつも言われました。ところが耳のできていない私は、「響き」って何だろう?と疑問のまま月日が過ぎていきました。

先生の演奏が非常に魅力的で、「モーツァルトの音、ショパンの音、ベートーヴェンの音は、それぞれ違う」とよくおっしゃっていましたし、確かに先生の演奏では、違いがありました。

手の使い方も独特で、それまで学んできたものとは全く違っていました。「ホロヴィッツと似ているよね。」という話は学生の間でされていましたが、当時はよくわかりませんでした。

「私の師匠はロシア人でね…。」というお話を伺ったのは、卒業した後のことです。卒業後もしばらくご自宅にレッスンに伺っていて、その時初めてそんなお話をされたのです。

ピアノを本格的に再開して

仕事をしながらの、育児・介護に忙殺されていた時期を経て、少しだけ余裕が出てきた40代後半、ようやく近くの先生について、ピアノのレッスンを再開しました。

指が少しずつ動きを取り戻した頃、自分の演奏の録画を見たとき、「これは違う!」と強く思いました。ドビュッシーを弾いていたのですが、私のイメージする音ではなかったのです。

現在、師事している大野眞嗣先生がブログをはじめたのは、ちょうどその頃でした。

ロシア・ピアニズムという言葉は、それまでも「知識」としては知っていました。ただ、それがどんなものであるか知らなかったので、「ロシア生まれのピアニスト」たちのものだと思いこんでいたのです。

1ヶ月、大野先生のブログをずっと読んで、「やってみたい!」と強く思いました。勇気を奮ってメールを書きました。「専門的」に学んでいる人を対象にレッスンしている先生ですから、ピアノ科出身ではない私が、果たして教えていただけるかどうかも分かりません。

ずいぶん長文のメールを送ったように思いますが、幸いなことに、先生にレッスンしていただけることになり、本格的に「ロシア・ピアニズム」を学ぶことになったのです。

ロシア・ピアニズムの魅力

まさか、自分の感覚そのものがこれほど変わっていくとは思いませんでした。弾いた時の音の響き。音色の変化。

「響きで音楽を作る」ことの楽しさ。それらを味わいながら練習しています。

ホロヴィッツの映像を見て、こんなふうに身体を使っているんだ、ということが、理解できるようになってきました。

どこに、どんな出会いがあるかは分かりませんが、その出会いが人生を変えていくことがあるのだな、ということをつくづく感じています。

ピアノの鍵盤の奥まで使う

ピアノの鍵盤は奥行き15センチほどあります。白鍵の手前から一番奥までの長さですね。

黒鍵は10センチですから、白鍵だけの部分が5センチということになります。

小さいお子さんにありがちな傾向

小さいお子さんの場合、手首を上下に動かして、その力で鍵盤を下げようとする傾向があります。特に最初のうちは、白鍵だけを使うので、そのほうが「弾きやすい」と思ってしまいがちです。

小さいお子さんにしてみれば、ピアノの鍵盤はとても重く、「なかなか音が出ない」という感覚なのかもしれませんね。そうすると白鍵の手前1~1.5センチくらいのところを使って弾きたくなってしまうのです。

いざ、5センチ分奥にある黒鍵を使うようになると、その時にかなり奥に手を動かすことになり、今度はとても弾きにくくなってしまいます。

ロシア・ピアニズムならではの手の使い方

ロシア・ピアニズムならではの手の使い方に旋回があります。左右の旋回とともに、奥に向かって入っていく方向の旋回もあります。

ですから、黒鍵を使うときには、かなり鍵盤の奥まで手が入っていきます。

黒鍵と白鍵の混ざっている曲の場合、かえってそのほうが移動が少なく、弾きやすい場合が多いです。

同時に、旋回することによって手の重みのかかり方が違ってきて、響きも音によって変わり、とても細やかな表現ができてくるのです。

鍵盤の奥まで使う

ですから、小さいお子さんの場合にも、「全部の指が鍵盤の上に乗っている状態を意識する」「手首の旋回を使う」ことは、意識して指導するようにしています。

小さいお子さんの場合には、音が出にくいと感じることもあり、なかなかその感覚がつかめないこともあるのですが、「この(白鍵の手前5センチの真ん中) あたり を使って弾こうね。」「手首を、こういうふうに回して弾こう。」ということを繰り返し言っています。

繰り返していくうちに、なんとなく身についてくるものです。

先日も、ヘ長調の音階に入り、黒鍵を使っての練習が始まった生徒さんがいました。やはり「もっと奥で弾こうね」と言い続けているうちに、だんだん弾く時の手の位置が変わっていきました。

鍵盤の奥行きいっぱいを使って、弾きやすく、豊かな表現を目指して指導しています。

2019.01.22

調律をしていただきました

昨日は、調律をしていただきました。調律師さんは、名古屋から、関東に住む私も含め、同門の方々のピアノの調律をするために出張していらっしゃっています。

大野ピアノメソッドの先生のところで、ピアノのレッスンを受けているので、響きの感覚もとてもよく分かっていて、丁寧に調律してくださいました。

まずは、落としてしまった鉛筆を拾っていただき、ほっとしました。

スタインウェイの場合には、ふたがはずれないので、納品の時に「鉛筆を落とさないように気をつけてください。もし落としたら調律師に連絡してくださいね。」と言われていたのに、先々週、うかつにも落としてしまったのです。

大して気にも止めていなかった、前のヤマハのときには、鉛筆を落としたりしなかったのに、なぜか「気をつけよう。」と思うようになってから、あっという間に落とすとは。

その後、考えて、芯の太いシャープペンシルを買って、ホルダーに紐を通して、書き込むときには紐を手首に通してから書くことにしました。

それはそれでひと手間かかるので、面倒ではありますが、落としてしまうよりは良いでしょう。

前回、12月末の納品時に調律してありましたが、強い音、弱い音、いろいろに変えながらだいぶ長い時間をかけて調律していただきました。

終わって弾いてみると、今までよりもずいぶん響きが上に上がるようになっていました。響きがとらえにくくて、ここのところ先生の言う「弾きすぎ」「指を使いすぎ」という傾向にあったので、ほんとうにうれしく思いました。

「まだ、新しい音がしますね。たくさん弾いて、調律して…を繰り返して、ピアノを育てていく感じです。」と言っていただきました。

やはり良い音、良い響き。うれしいですね。あらためて「たくさん弾こう!」と思いました。

2019.01.21

「バロック音楽」を読みました

先日読んだ皆川達夫さんの「中世・ルネサンスの音楽」が良かったので、「バロック音楽」も読んでみました。

やはり、いろいろと学ぶことが多く、特に、バッハにつながるさまざまな流れがよく分かりました。

この本の最初のほうに「声楽から器楽へ」と書かれているように、このあたりから、鍵盤楽器も発達し、ピアノでも演奏されるような曲が作曲されるようになってきます。

演奏の自由度が高い

バロック音楽の特徴として挙げられている内容がいくつかありました。今、私が勉強中のフランス組曲で装飾音について、いろいろ考えつつ試していることとの関連で印象に残っていることとして、「演奏の自由さ」が挙げられます。

楽譜は、いわば建築の設計図、ないしは見取図程度のものである。この時代の作曲家には同時に名演奏家であった人びとが多く、したがって楽譜に多くのことを記す必要がなかったということもあったが、しかしそれ以上に、楽譜の簡略な表示法というものがバロック音楽にとって本質的な意味合いをもっている。

バロック音楽   2 バロック音楽の魅力  即興性と瞬間の芸術 P.65

これを読んで、ある意味、納得もしましたし、逆に、だからこその難しさを感じました。この後、ジャズとの比較で、装飾音についても述べられています。

トリルとかモルデントといった装飾音にしても、通奏低音にしても、それを演奏するための一定の枠があるにせよ、その枠の中での無限の可能性はその場その場の演奏家の選択にまかされていた。(中略)彼らは、その席のお客の顔ぶれを見定めた上で、装飾音の双方やニュアンスを考慮したといわれている。高座に上がって当夜の客の様子や反応をうかがい、おもむろに話の枕を決める日本の落語家などにも共通した、この徹底した職人意識がバロック演奏家の心構えであった。

バロック音楽  2バロック音楽の魅力 ジャズとの共通性P.66~P.67

なるほど、これを読むと演奏者の役割がとても大きいということが分かります。音楽の専門教育を受けた人の数が少なかった当時、楽器が演奏できる人は、作曲もできる。それから、職人としてその道を深く学んだ者だけが演奏している、という背景がよくわかりました。

イタリアでの誕生・発展

もう一つ、印象に残ったのは、バロック音楽の誕生・発展の中心はイタリアだったということです。

バロック音楽の場合、最後の集大成としてのバッハ・ヘンデルの存在が大きく、二人ともドイツ人であったために、私もつい、ドイツが中心のようにとらえていました。

バロック音楽の誕生の国、そして展開の中心舞台は、ほぼ終始してイタリアであった。その他の国々は、イタリアで開拓され展開した要素を受け入れ、その影響にもとに、それぞれの民族色を反映した独自の音楽を作り出していたのである。その意味で、バロック音楽史とはイタリアの奏する主題と、それにフランス、ドイツ、イギリスなどが付加する変奏曲から成るといういうことができようか。


バロック音楽   2 バロック音楽の魅力  バロック音楽の展開 P.50

バロック音楽の始まり、展開がイタリア・オペラと密接に関連していること、器楽もイタリア中心に発展してきたこと。音楽用語もイタリア語で書かれていることからも、なるほど、と思わせられます。

また、ヘンデルの「シャコンヌ」を以前、勉強した時に、「シャコンヌというのはどんな音楽なのだろう?」と調べてみたことがありました。

そのときには、あまりよく分からなかった部分がここに取り上げられています。フレスコバルディ(1583-1643)の時代に「変奏曲の一種として、低音に主題を置いて繰り返し、そのたびごとに上声を多様に変奏してゆく『シャコンヌ』あるいは『パッサカリア』という楽曲が行なわれていた」とのこと。

これも、イタリアでのことです。そして、フレスコバルディの弟子であるフローベルガーを通じてドイツのバッハ、ヘンデルへとつながっていくのです。

本を読む楽しみ

文字で音楽に「ついて」知ることが、演奏の上でどれだけ役に立つのか。確かに知識だけでは、役に立ちません。ただ、流れが分かることで、今まで「何となく」だったものがつながっていく楽しさがあります。

今回、この本を読んだことで、特に装飾音について今まで「どうしてだろう?」「どう弾いていったらいいだろう?」と考えていたことへの自分なりの考え方のヒントがありました。

そういうものに巡り会えるのも、読書の楽しみです。

2019.01.20

指遣いを決めながら楽譜を読み込む

バッハのフランス組曲2番についている装飾音、特にジーグの部分について、ピアノで演奏する場合、どうしたら良いかを考えつつ、いろいろな演奏を聴き比べていました。

カツァリスの楽譜に書き込まれた指遣い

その中にカツァリスの演奏があったのですが、その動画に驚きました。楽譜が使われていて、御本人のチャンネルなので、御本人の楽譜でしょう。そして、そこに指遣いがたくさん書き込まれていたのです。

カツァリスは「世界的なピアニスト」(Wikipediaの紹介文)であり、私も名前は知っていましたし、今までにもYouTubeやCD等で演奏をきいたこともあります。

そのようなピアニストが、フランス組曲の楽譜にこれほどまでに書き込み、指遣いを研究していることに驚きました。装飾音にまで、すべて書き込まれているのですから。

ところどころ、修正している部分もあります。弾きながら指遣いを変更すると、それもその都度書き込んでいるんだろうな、と思われます。

指遣いを書き込むと音に対する意識が変わります

以前、私自身もすべての指遣いを楽譜に書き込むことについて下の記事を書きました。

この中でも、指遣いを決める過程で、一つ一つの音に気を配れるようになったことを書いていますが、それは書き込んでみると、よく実感できることです。

手の使い方を意識しつつ楽譜を読む

先日のレッスンの反省で、手の使い方にも、今まで以上に意識をしていこうと考えていた矢先のこと。

このカツァリスの動画を見て、改めて指遣いを決めることの大切さと楽譜を読む時間をしっかりとることの意義を再認識しました。

 

楽譜の読み方を学ぶ

ここのところ、両手で弾き始める段階に入る生徒さんが何人も続いています。

新しい音が出てくる

両手で弾く最初の段階は、1オクターブ違いで同じ音を弾くので、左手の位置が今までとは変わってきます。

今までは、真ん中のドに1の指を置いて、ドシラソファを12345の指で弾いていました。上の図の青の部分ですね。

ところが、真ん中のドから1オクターブ下を左手で弾くということは、新しい音符を3つ覚える必要が出てきます。

低いドに5の指を置きますから、12345の指はソファミレドを弾くことになります。今までにはなかったミレドが新しく出てくるのですね。上の図の赤の部分です。

できるだけ法則性をつかむようにする

ここで、5線の上に、ドレミファソがどのように並んでいるかという、法則性を理解しているとスムーズなのですが、小さいお子さんにとっては、ちょっと難しく感じる場合があるようです。

早い段階から、できるだけ法則性を教えるようにしてはいるのですが、最初の頃は、「これがド、これがレ…」というように1つずつ出てきますから、どうしてもそうやって1つずつばらばらに覚えがち。

昨日は、この段階の生徒さんに、音符カードを使って説明をし、並べて「ラの音符はどれ?」とか「ミの音符は?」とカルタ取りのようにして練習をしました。

個別の練習もする

その後、カードを見せて、この音は何だろう?と確認をしました。何回かくり返し練習しているうちに、だんだんスムーズにできるようになってきました。

カードの裏側にはかわいい絵もついているので、意外にみんなその絵が楽しみなようです。どんぐりとかみかんとかソフトクリームとか、よく見ています。

細かく分解する

実際の曲の場合には、音名に加えて、音の長さも重要になってきます。楽譜を読むというのは、意外にいろいろな要素が混ざっているのですね。

できるだけ分解して細かくして練習。楽譜の読み方を学ぶ場合にも、それは重要なポイントになっていきます。

2019.01.18

常に基本に戻る

一昨日、自分のレッスンに行ってきました。

今、練習しているのは、バッハのフランス組曲2番なのですが、我ながらちょっと残念でした。

アルマンドはある程度、意識していたのですが、速いテンポのクーラント以降に問題がありました。

私が学んでいる奏法の場合、手の旋回というのが非常に重要です。左右への旋回とピアノの奥に向かって入っていく動き。その両方を使うことで、まとまりごとにニュアンスが加わり、音楽が立体的になっていきます。

同時に、旋回の途中途中で「しっかりもたれる指」があることで、手そのものも安定して弾けるようになっていきます。

先日の私の場合、テンポが速くなると、旋回の動きが不十分になっていたのです。結果的に音は1つずつになっている印象、同時に手そのものも不安定で、外す音が多くなってしまう、という状況が起こっていました。

クーラントでテンポが速くなって、旋回が少なくなり、そのままサラバンドなど、その後のゆっくりした曲でも同じ手の動かし方のままになってしまいました。

旋回への意識は持っていましたが、実際に手を動かす時に「速く弾きたい」という気持ちが強くなって、単純な横方向への移動につながっていました。

実際に弾きにくかったのですから、そこで立ち止まって基本に戻れば気づいたはずのこと。

常に基本に戻る。特に速い楽曲の時や弾きにくさを感じた時は要注意。改めて、それを肝に銘じることが必要だと反省しつつ、また練習していきます。

2019.01.17

ルーベンス展を見に行きました

昨日は、久々に上野の国立西洋美術館に行きました。「ルーベンス展」を見るためです。

今年は、行きたい所には行ってみよう、見たいものは見てみよう、というのを目標に入れてみたのです。

ついつい日常の様々な物事にかまけて、美術館にもしばらく行っていなかったので、とても楽しいひとときを過ごすことが出来ました。

子どもへの優しい視線

最初の展示室は、肖像画が展示してありました。有名な自画像もありましたが、私は、ルーベンスが5歳の長女を描いた「クララ・セレーナ・ルーベンス」という画にとても心引かれました。

髪の毛の柔らかい感じ。赤いほほ。ルーベンスは、この子のことが本当にかわいくてたまらないのだろうな、と、その気持ちが伝わってくるような絵でした。

その隣にあった、兄の子供たちをモデルにしたらしいという、「眠るふたりの子供」。幼い子供二人が眠っているところを描いた絵からも、優しさが漂ってくる感じがして、子供への優しい視線が現れていました。

ギリシャ神話の題材の多さ

今回は、ギリシャ神話に題材をとった作品がたくさん展示されていました。

ルーベンスは、フランドル(今のベルギー、フランス)出身ですが、イタリアに行ったこともあります。当時のヨーロッパの文化は、ギリシャ神話の影響が大きかったのだろうと いうことが伺えました。

ルーベンスはイタリア、主にマントヴァに1600年~1608年の間、滞在しました。音楽史のほうでは、同時代1600年に、フィレンツェで現存する最古のオペラも上演されています。それも、ギリシャ神話から題材をとった「エウリディーチェ」でした。

そして、ルーベンスを宮廷画家として雇っていたマントヴァ公の同じ宮廷には、モンテヴェルディが音楽家として仕えていて、ペーリの「エウリディーチェ」と同じ題材の「オルフェオ」を作曲して 1607年に初演しています。

ルーベンスがモンテヴェルディのオペラを見ているかもしれない、面識もあった可能性は高いと思うと、とても興味深く感じられましたし、ギリシャ神話由来の題材で多くの絵が描かれていることも、当時の流れから自然なことなのだろうと思いました。

工房としての制作

ルーベンスは多作でしたが、工房として制作していたからこそ、それだけ多くの作品が描けたのだそうです。

弟子たちが描き、仕上げにルーベンスが手を加える。それで「ルーベンス作」となるのだそうです。

工房の外の画家とも連携し、樹木を描くのが得意な画家に背景の樹木を描いてもらう、等の分業も行っていたのだとか。

そこまでとは思わなかったので、ちょっと驚きました。今とはその辺りの感覚は大きく違うのでしょうね。

美を発見し、表現すること

以前、絵を学んでいた人から、「デッサンでは、そこにあるものの美しさをどれだけ見つけて表現できるか、ということが問われる」という内容のことを聞いたことがあります。

ルーベンスの絵の中からは、人間の身体の美しさが伝わってきました。肌のなめらかさ、筋肉の動き、身体の厚みなど。

宗教画のキリストの死を扱ったものなどからは、逆に生命の失われてしまった身体の痛々しさと、周囲にいた者の悲しみが伝わってきました。

「表現」は様々な要素を含んだ言葉ではありますが、このあたりは、音楽とも深く関わっています。その様々な要素を自分の中に蓄積していく、という意味でも、またいろいろな絵にも、音楽にも触れていきたい、と改めて感じたひとときでもありました。

付点4分音符と8分音符のリズム

まだ、割り算や分数を知らない小さいお子さんの場合、8分音符や16分音符を理解していくのは難しい場合が多いです。

教本にも8分音符は4分音符の半分と書いてあるのですが、実感が持てないようです。

特に、付点4分音符と8分音符のリズムは、4分音符1つ半と、半分という組み合わせで、先日も「ロンドンばし」の最初のリズムで生徒さんが苦戦していました。

リズム打ちをたくさんする

理屈は理屈として置いておいて、体感していければ、と思い、リズム打ちをたくさんしました。

1ト2ト3ト4ト と言いながら、太鼓をたたきました。1で1回たたき、ト2を数え、次のトで2回めをたたく。

何回もたたいているうちに、少し、ぎこちないものの、だんだんできるようになってきました。

階名で歌う

今度は、階名で拍子を取りながら歌っていきます。

れーーミレードーシードーレー……半拍を意識しながら歌うようにします。

ところが、後半に2分音符が出てくると、これが1拍分しか伸ばせません。

「ロンドンばし」のうたは知っているし、難しい部分はゆっくり歌うのですが、分かる部分になると知っている歌の速さで、うたいたくなってしまうのです。

知っている曲を使う難しさはここにあります。ただ、「2分音符は2拍」も、もうよく分かっているので、これも何回か練習しているうちにできるようになってきました。

ピアノで弾く

ピアノで練習していきます。

やはり、2分音符の長さが、微妙に短い気がします。ただ、今回の課題である付点4分音符+8分音符のリズムは、だいぶスムーズに取れるようになってきました。

お家での練習もしっかり習慣がついていますので、大丈夫でしょう。

「できるようになる」という経験をする

お母様が「最初の何日か、弾けるようになるまで、悔しくてイライラしたり、時には泣いたりするときもあるんですよね。」とおっしゃっていました。

「幼稚園のお友達の○○ちゃんも、最初の何日かは、同じことがあるって言っていました。」とも。

分かります。その中で、「最初はちょっと大変でも、できるようになる」という経験を積み重ねていくこと。それも大切なことであると思います。

そして、節目節目で「上手になってきたな。」という実感を、生徒さん本人が持てること。それが、「次にまた頑張ろう。」と思う、原動力になっていきます。

ピアノを通して、そんなことも学んでいくことになります。

2019.01.14

作品発表のためのピアノ演奏

昨日は、私が所属する「葵の会」の練習がありました。

今年4月の定期演奏会では、作品発表のために「AOI」という曲をピアノで演奏するのですが、作曲者の方に聞いていただきながら仕上げていく、という今までにはない経験をしています。

最初に楽譜をいただいて、弾きながら、自分なりに曲をとらえて練習してみます。

音源もソフトで楽譜を再生したものをいただいて聞いてみたのですが、やはり「機械的」な印象です。だからこそ、実際に自分が弾いてみると、逆に迷う部分もありました。

どこの旋律が聞こえるように弾いていけばよいか。フレーズとフレーズの間隔はどうしていけばよいか。

自分なりに音を出しながら、答えを考えていきましたが、実際に作曲者の方に聞いていただくことで、「こういう意図で、この音型なのか」「ここでテンポが変わっているのは、こういう効果を狙っていたからなのか」と勉強になりました。

特に、バロック~ロマン派までの音楽を中心に学んできた私にとって、昨日、聞いていただきながら、テンポついて、いろいろ学ぶことができました。

作曲者と演奏者は楽譜でつながっていくわけですが、演奏者がそこからどれだけのものを読み取ることができるか、ということはとても重要です。

演奏の質はその読み取れる情報量によって大きく変わっていきます。

今回の経験は、その情報量を増やすということとともに、今まで私には気づかなかった幅を広げるということにつながりました。

新しい経験は、新しい学びをもたらしてくれます。そんなことを感じた練習でした。