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2019.01.21

「バロック音楽」を読みました

先日読んだ皆川達夫さんの「中世・ルネサンスの音楽」が良かったので、「バロック音楽」も読んでみました。

やはり、いろいろと学ぶことが多く、特に、バッハにつながるさまざまな流れがよく分かりました。

この本の最初のほうに「声楽から器楽へ」と書かれているように、このあたりから、鍵盤楽器も発達し、ピアノでも演奏されるような曲が作曲されるようになってきます。

演奏の自由度が高い

バロック音楽の特徴として挙げられている内容がいくつかありました。今、私が勉強中のフランス組曲で装飾音について、いろいろ考えつつ試していることとの関連で印象に残っていることとして、「演奏の自由さ」が挙げられます。

楽譜は、いわば建築の設計図、ないしは見取図程度のものである。この時代の作曲家には同時に名演奏家であった人びとが多く、したがって楽譜に多くのことを記す必要がなかったということもあったが、しかしそれ以上に、楽譜の簡略な表示法というものがバロック音楽にとって本質的な意味合いをもっている。

バロック音楽   2 バロック音楽の魅力  即興性と瞬間の芸術 P.65

これを読んで、ある意味、納得もしましたし、逆に、だからこその難しさを感じました。この後、ジャズとの比較で、装飾音についても述べられています。

トリルとかモルデントといった装飾音にしても、通奏低音にしても、それを演奏するための一定の枠があるにせよ、その枠の中での無限の可能性はその場その場の演奏家の選択にまかされていた。(中略)彼らは、その席のお客の顔ぶれを見定めた上で、装飾音の双方やニュアンスを考慮したといわれている。高座に上がって当夜の客の様子や反応をうかがい、おもむろに話の枕を決める日本の落語家などにも共通した、この徹底した職人意識がバロック演奏家の心構えであった。

バロック音楽  2バロック音楽の魅力 ジャズとの共通性P.66~P.67

なるほど、これを読むと演奏者の役割がとても大きいということが分かります。音楽の専門教育を受けた人の数が少なかった当時、楽器が演奏できる人は、作曲もできる。それから、職人としてその道を深く学んだ者だけが演奏している、という背景がよくわかりました。

イタリアでの誕生・発展

もう一つ、印象に残ったのは、バロック音楽の誕生・発展の中心はイタリアだったということです。

バロック音楽の場合、最後の集大成としてのバッハ・ヘンデルの存在が大きく、二人ともドイツ人であったために、私もつい、ドイツが中心のようにとらえていました。

バロック音楽の誕生の国、そして展開の中心舞台は、ほぼ終始してイタリアであった。その他の国々は、イタリアで開拓され展開した要素を受け入れ、その影響にもとに、それぞれの民族色を反映した独自の音楽を作り出していたのである。その意味で、バロック音楽史とはイタリアの奏する主題と、それにフランス、ドイツ、イギリスなどが付加する変奏曲から成るといういうことができようか。


バロック音楽   2 バロック音楽の魅力  バロック音楽の展開 P.50

バロック音楽の始まり、展開がイタリア・オペラと密接に関連していること、器楽もイタリア中心に発展してきたこと。音楽用語もイタリア語で書かれていることからも、なるほど、と思わせられます。

また、ヘンデルの「シャコンヌ」を以前、勉強した時に、「シャコンヌというのはどんな音楽なのだろう?」と調べてみたことがありました。

そのときには、あまりよく分からなかった部分がここに取り上げられています。フレスコバルディ(1583-1643)の時代に「変奏曲の一種として、低音に主題を置いて繰り返し、そのたびごとに上声を多様に変奏してゆく『シャコンヌ』あるいは『パッサカリア』という楽曲が行なわれていた」とのこと。

これも、イタリアでのことです。そして、フレスコバルディの弟子であるフローベルガーを通じてドイツのバッハ、ヘンデルへとつながっていくのです。

本を読む楽しみ

文字で音楽に「ついて」知ることが、演奏の上でどれだけ役に立つのか。確かに知識だけでは、役に立ちません。ただ、流れが分かることで、今まで「何となく」だったものがつながっていく楽しさがあります。

今回、この本を読んだことで、特に装飾音について今まで「どうしてだろう?」「どう弾いていったらいいだろう?」と考えていたことへの自分なりの考え方のヒントがありました。

そういうものに巡り会えるのも、読書の楽しみです。

2019.01.20

指遣いを決めながら楽譜を読み込む

バッハのフランス組曲2番についている装飾音、特にジーグの部分について、ピアノで演奏する場合、どうしたら良いかを考えつつ、いろいろな演奏を聴き比べていました。

カツァリスの楽譜に書き込まれた指遣い

その中にカツァリスの演奏があったのですが、その動画に驚きました。楽譜が使われていて、御本人のチャンネルなので、御本人の楽譜でしょう。そして、そこに指遣いがたくさん書き込まれていたのです。

カツァリスは「世界的なピアニスト」(Wikipediaの紹介文)であり、私も名前は知っていましたし、今までにもYouTubeやCD等で演奏をきいたこともあります。

そのようなピアニストが、フランス組曲の楽譜にこれほどまでに書き込み、指遣いを研究していることに驚きました。装飾音にまで、すべて書き込まれているのですから。

ところどころ、修正している部分もあります。弾きながら指遣いを変更すると、それもその都度書き込んでいるんだろうな、と思われます。

指遣いを書き込むと音に対する意識が変わります

以前、私自身もすべての指遣いを楽譜に書き込むことについて下の記事を書きました。

この中でも、指遣いを決める過程で、一つ一つの音に気を配れるようになったことを書いていますが、それは書き込んでみると、よく実感できることです。

手の使い方を意識しつつ楽譜を読む

先日のレッスンの反省で、手の使い方にも、今まで以上に意識をしていこうと考えていた矢先のこと。

このカツァリスの動画を見て、改めて指遣いを決めることの大切さと楽譜を読む時間をしっかりとることの意義を再認識しました。

 

楽譜の読み方を学ぶ

ここのところ、両手で弾き始める段階に入る生徒さんが何人も続いています。

新しい音が出てくる

両手で弾く最初の段階は、1オクターブ違いで同じ音を弾くので、左手の位置が今までとは変わってきます。

今までは、真ん中のドに1の指を置いて、ドシラソファを12345の指で弾いていました。上の図の青の部分ですね。

ところが、真ん中のドから1オクターブ下を左手で弾くということは、新しい音符を3つ覚える必要が出てきます。

低いドに5の指を置きますから、12345の指はソファミレドを弾くことになります。今までにはなかったミレドが新しく出てくるのですね。上の図の赤の部分です。

できるだけ法則性をつかむようにする

ここで、5線の上に、ドレミファソがどのように並んでいるかという、法則性を理解しているとスムーズなのですが、小さいお子さんにとっては、ちょっと難しく感じる場合があるようです。

早い段階から、できるだけ法則性を教えるようにしてはいるのですが、最初の頃は、「これがド、これがレ…」というように1つずつ出てきますから、どうしてもそうやって1つずつばらばらに覚えがち。

昨日は、この段階の生徒さんに、音符カードを使って説明をし、並べて「ラの音符はどれ?」とか「ミの音符は?」とカルタ取りのようにして練習をしました。

個別の練習もする

その後、カードを見せて、この音は何だろう?と確認をしました。何回かくり返し練習しているうちに、だんだんスムーズにできるようになってきました。

カードの裏側にはかわいい絵もついているので、意外にみんなその絵が楽しみなようです。どんぐりとかみかんとかソフトクリームとか、よく見ています。

細かく分解する

実際の曲の場合には、音名に加えて、音の長さも重要になってきます。楽譜を読むというのは、意外にいろいろな要素が混ざっているのですね。

できるだけ分解して細かくして練習。楽譜の読み方を学ぶ場合にも、それは重要なポイントになっていきます。

2019.01.18

常に基本に戻る

一昨日、自分のレッスンに行ってきました。

今、練習しているのは、バッハのフランス組曲2番なのですが、我ながらちょっと残念でした。

アルマンドはある程度、意識していたのですが、速いテンポのクーラント以降に問題がありました。

私が学んでいる奏法の場合、手の旋回というのが非常に重要です。左右への旋回とピアノの奥に向かって入っていく動き。その両方を使うことで、まとまりごとにニュアンスが加わり、音楽が立体的になっていきます。

同時に、旋回の途中途中で「しっかりもたれる指」があることで、手そのものも安定して弾けるようになっていきます。

先日の私の場合、テンポが速くなると、旋回の動きが不十分になっていたのです。結果的に音は1つずつになっている印象、同時に手そのものも不安定で、外す音が多くなってしまう、という状況が起こっていました。

クーラントでテンポが速くなって、旋回が少なくなり、そのままサラバンドなど、その後のゆっくりした曲でも同じ手の動かし方のままになってしまいました。

旋回への意識は持っていましたが、実際に手を動かす時に「速く弾きたい」という気持ちが強くなって、単純な横方向への移動につながっていました。

実際に弾きにくかったのですから、そこで立ち止まって基本に戻れば気づいたはずのこと。

常に基本に戻る。特に速い楽曲の時や弾きにくさを感じた時は要注意。改めて、それを肝に銘じることが必要だと反省しつつ、また練習していきます。

2019.01.17

ルーベンス展を見に行きました

昨日は、久々に上野の国立西洋美術館に行きました。「ルーベンス展」を見るためです。

今年は、行きたい所には行ってみよう、見たいものは見てみよう、というのを目標に入れてみたのです。

ついつい日常の様々な物事にかまけて、美術館にもしばらく行っていなかったので、とても楽しいひとときを過ごすことが出来ました。

子どもへの優しい視線

最初の展示室は、肖像画が展示してありました。有名な自画像もありましたが、私は、ルーベンスが5歳の長女を描いた「クララ・セレーナ・ルーベンス」という画にとても心引かれました。

髪の毛の柔らかい感じ。赤いほほ。ルーベンスは、この子のことが本当にかわいくてたまらないのだろうな、と、その気持ちが伝わってくるような絵でした。

その隣にあった、兄の子供たちをモデルにしたらしいという、「眠るふたりの子供」。幼い子供二人が眠っているところを描いた絵からも、優しさが漂ってくる感じがして、子供への優しい視線が現れていました。

ギリシャ神話の題材の多さ

今回は、ギリシャ神話に題材をとった作品がたくさん展示されていました。

ルーベンスは、フランドル(今のベルギー、フランス)出身ですが、イタリアに行ったこともあります。当時のヨーロッパの文化は、ギリシャ神話の影響が大きかったのだろうと いうことが伺えました。

ルーベンスはイタリア、主にマントヴァに1600年~1608年の間、滞在しました。音楽史のほうでは、同時代1600年に、フィレンツェで現存する最古のオペラも上演されています。それも、ギリシャ神話から題材をとった「エウリディーチェ」でした。

そして、ルーベンスを宮廷画家として雇っていたマントヴァ公の同じ宮廷には、モンテヴェルディが音楽家として仕えていて、ペーリの「エウリディーチェ」と同じ題材の「オルフェオ」を作曲して 1607年に初演しています。

ルーベンスがモンテヴェルディのオペラを見ているかもしれない、面識もあった可能性は高いと思うと、とても興味深く感じられましたし、ギリシャ神話由来の題材で多くの絵が描かれていることも、当時の流れから自然なことなのだろうと思いました。

工房としての制作

ルーベンスは多作でしたが、工房として制作していたからこそ、それだけ多くの作品が描けたのだそうです。

弟子たちが描き、仕上げにルーベンスが手を加える。それで「ルーベンス作」となるのだそうです。

工房の外の画家とも連携し、樹木を描くのが得意な画家に背景の樹木を描いてもらう、等の分業も行っていたのだとか。

そこまでとは思わなかったので、ちょっと驚きました。今とはその辺りの感覚は大きく違うのでしょうね。

美を発見し、表現すること

以前、絵を学んでいた人から、「デッサンでは、そこにあるものの美しさをどれだけ見つけて表現できるか、ということが問われる」という内容のことを聞いたことがあります。

ルーベンスの絵の中からは、人間の身体の美しさが伝わってきました。肌のなめらかさ、筋肉の動き、身体の厚みなど。

宗教画のキリストの死を扱ったものなどからは、逆に生命の失われてしまった身体の痛々しさと、周囲にいた者の悲しみが伝わってきました。

「表現」は様々な要素を含んだ言葉ではありますが、このあたりは、音楽とも深く関わっています。その様々な要素を自分の中に蓄積していく、という意味でも、またいろいろな絵にも、音楽にも触れていきたい、と改めて感じたひとときでもありました。

付点4分音符と8分音符のリズム

まだ、割り算や分数を知らない小さいお子さんの場合、8分音符や16分音符を理解していくのは難しい場合が多いです。

教本にも8分音符は4分音符の半分と書いてあるのですが、実感が持てないようです。

特に、付点4分音符と8分音符のリズムは、4分音符1つ半と、半分という組み合わせで、先日も「ロンドンばし」の最初のリズムで生徒さんが苦戦していました。

リズム打ちをたくさんする

理屈は理屈として置いておいて、体感していければ、と思い、リズム打ちをたくさんしました。

1ト2ト3ト4ト と言いながら、太鼓をたたきました。1で1回たたき、ト2を数え、次のトで2回めをたたく。

何回もたたいているうちに、少し、ぎこちないものの、だんだんできるようになってきました。

階名で歌う

今度は、階名で拍子を取りながら歌っていきます。

れーーミレードーシードーレー……半拍を意識しながら歌うようにします。

ところが、後半に2分音符が出てくると、これが1拍分しか伸ばせません。

「ロンドンばし」のうたは知っているし、難しい部分はゆっくり歌うのですが、分かる部分になると知っている歌の速さで、うたいたくなってしまうのです。

知っている曲を使う難しさはここにあります。ただ、「2分音符は2拍」も、もうよく分かっているので、これも何回か練習しているうちにできるようになってきました。

ピアノで弾く

ピアノで練習していきます。

やはり、2分音符の長さが、微妙に短い気がします。ただ、今回の課題である付点4分音符+8分音符のリズムは、だいぶスムーズに取れるようになってきました。

お家での練習もしっかり習慣がついていますので、大丈夫でしょう。

「できるようになる」という経験をする

お母様が「最初の何日か、弾けるようになるまで、悔しくてイライラしたり、時には泣いたりするときもあるんですよね。」とおっしゃっていました。

「幼稚園のお友達の○○ちゃんも、最初の何日かは、同じことがあるって言っていました。」とも。

分かります。その中で、「最初はちょっと大変でも、できるようになる」という経験を積み重ねていくこと。それも大切なことであると思います。

そして、節目節目で「上手になってきたな。」という実感を、生徒さん本人が持てること。それが、「次にまた頑張ろう。」と思う、原動力になっていきます。

ピアノを通して、そんなことも学んでいくことになります。

2019.01.14

作品発表のためのピアノ演奏

昨日は、私が所属する「葵の会」の練習がありました。

今年4月の定期演奏会では、作品発表のために「AOI」という曲をピアノで演奏するのですが、作曲者の方に聞いていただきながら仕上げていく、という今までにはない経験をしています。

最初に楽譜をいただいて、弾きながら、自分なりに曲をとらえて練習してみます。

音源もソフトで楽譜を再生したものをいただいて聞いてみたのですが、やはり「機械的」な印象です。だからこそ、実際に自分が弾いてみると、逆に迷う部分もありました。

どこの旋律が聞こえるように弾いていけばよいか。フレーズとフレーズの間隔はどうしていけばよいか。

自分なりに音を出しながら、答えを考えていきましたが、実際に作曲者の方に聞いていただくことで、「こういう意図で、この音型なのか」「ここでテンポが変わっているのは、こういう効果を狙っていたからなのか」と勉強になりました。

特に、バロック~ロマン派までの音楽を中心に学んできた私にとって、昨日、聞いていただきながら、テンポついて、いろいろ学ぶことができました。

作曲者と演奏者は楽譜でつながっていくわけですが、演奏者がそこからどれだけのものを読み取ることができるか、ということはとても重要です。

演奏の質はその読み取れる情報量によって大きく変わっていきます。

今回の経験は、その情報量を増やすということとともに、今まで私には気づかなかった幅を広げるということにつながりました。

新しい経験は、新しい学びをもたらしてくれます。そんなことを感じた練習でした。

「エリーゼのために」の繊細な美しさ

「エリーゼのために」は有名なピアノ曲です。「エリーゼのために」が弾けるようになりたい、と目標にしている生徒さんもいます。

6年生の生徒さんが、「小学校の1年生の時に弾いたんだけど、もう一度弾いてみたい。」ということで、今、練習しています。

あらためてよく楽譜を見ながら弾いてみると、いろいろ発見もあり、意外に難しい部分もあり、と楽しんで弾いています。

弱音の美しさ

よく楽譜を見てみると、強弱記号はpp~mfまでしか書かれていません。左手のラの音の上に和音がある部分も、アクセントとcresc.はありますが、pから始まっています。

そして、有名なミレ ♯ /ミレ♯ミシレ♮ドラの部分は、基本的にすべてppがついています。

とても優しく、繊細で、ささやくような、そんな感じがします。ですから、この曲を弾くには、ppからpで多くのことが表現できる必要があります。

小学校1年生ではその表現はなかなか難しく、ちょうど6年生がもう一度弾くにはとても良い勉強になっている。本当にそう思います。

リズムの難しさ

8分の3拍子です。この3拍子を感じながら弾くことが意外に難しい。

私の知人で、声楽を勉強した人(ピアノは苦手と言っています)が以前、「『エリーゼのために』を弾いた時、ミレ♯ミレ♯と弾いているうちに、何回弾いたかわからなくなって、多く弾きすぎた。拍子感がなかったからだね。」と言っていたことがありました。

確かに、ミレ♯ミシレ♮ドで3拍、1小節。その前に、ミレ♯がついたり、ミミレ♯がついていたり。

さらに3小節にわたってミのオクターブとレ♯が何回もついている部分がありますし、そこにはスラーが16分音符3つ分についていて、よけい拍子がとりにくく感じるのです。

実際に、家にあるピアノピースは、妹が使ったものなのですが、ミレ♯の連続の部分には、赤いボールペンで拍の頭に印がついています。

ただ、その拍感があいまいになりそうな、その部分からも、繊細ではかなげな雰囲気が感じられます。

繊細な気配りが必要

曲全体を通して、音量をどう考えていくかということ、リズムをどう感じていくかということ、その上で、メロディーの繊細な美しさをどう表現していくかということ。

とにかく全体にとても細かい心配りが必要な曲ですね。でも、それだけにこの美しさは本当にすばらしい。

レッスンしながら、私自身もその美しさに改めて感動しています。

ピアノで左右違う動きを学ぶ

ピアノに限りませんが、楽器の場合多くは、左右違う動き方をします。

ただ、ピアノの場合、同じ鍵盤の上にあり、鍵盤を指で下げる、ということは同じですが、違うタイミングで違う音を弾いていくことになります。

「慣れる」感覚の大切さ

最初、慣れるまではこの部分が難しく感じます。ですから、両手別々の動きをする第1段階は、オクターブ違いで同じ音を、同じタイミングで弾くことです。

今、何人かがその新しい段階に挑戦中です。

見ていると、生徒さんによって、この段階の感じ方がずいぶん違います。大したことと感じることなくできる生徒さんもいますし、とっても難しいこと、と感じる生徒さんもいます。

実際には、何曲か何回か弾いて、慣れていくとできるようになっていきますし、慣れていけば「難しくはない」という感覚にもなっていきます。

ですから、この段階までに、練習の習慣がどれくらいついているか、ということはこのステップを乗り越える上でとても大切になってきます。

使う音の範囲が広がる

難しく感じる原因の一つは、使う音の範囲が広がることにあります。新しい音を楽譜上でとらえるのが難しい。

右手が真ん中のドからドレミファソを弾くということになると、左手はその1オクターブ下のドレミファソを弾くことになります。

今までは、真ん中のドから左手はドシラソファまでの5つしかありませんでした。

法則性も教えているのですが、お子さんによっては、なかなかそれが理解できていない場合もあります。そうすると、いきなり今までにはなかった低い「ドレミ」3つ分の新しい音符を「覚え」なくてはなりません。

それだけで「難しい」と感じてしまうのです。

そういう場合には、音符カードでドレミの確認を繰り返すとともに、使っている曲にの左手部分には、階名(ドレミファソ)を書いてしまいます。

少しでも、難しいと感じる要素を少なくするのです。「難しい」と思うと、弾くことそのものにどうしても抵抗が出てきてしまいます。こちらも慣れてくれば分かってきますから、とりあえず今の段階は良いことにします。

左手の小指を使っていく

難しく感じるもう一つの原因は、左手の4薬指と5小指を使う回数にあります。特に5の小指。

5の小指は力も弱く、使いにくい指です。でも。小指がドを弾くことになると、使う回数が多く、弾きにくく感じるようです。

この段階までに、手の形がある程度でき、手の回転が使えて小指の支えもできていればずいぶん違うのですが、実際はそこまでできる子供さんはあまりいません。

ですから、この感覚に「慣れていく」ことが大切です。左手の練習をたくさんすること。これに尽きます。

両手で別々の動きをしていく

それから、両手で合わせていきます。左手の練習がしっかりできていれば、意外にスムーズに弾ける場合が多いですね。

両手で弾けるようになり、メロディーと伴奏を左右別々の手で弾けるようになると、世界が広がり、ピアノを弾くことがますます楽しくなります。

最初はちょっと難しく感じるかもしれませんが、ぜひ「慣れ」て、ピアノが楽しめるように、この段階を乗り越えていきましょう。

2019.01.11

中世・ルネサンスの音楽

こんにちは。皆川達夫さんの著書「中世・ルネサンスの音楽」を読みました。学生時代に、確かに音楽史の講義で勉強したのだけれど、このあたりはみんなひとまとまりになってしまっていました。

改めて読んでみるといろいろ新しい知識を得ることができ、西洋音楽の流れについてなるほど、と思うことがありました。

日本と中世・ルネサンス音楽

西洋音楽は明治以降に取り入れられ、発展してきた、ということしか、私自身は認識していませんでした。

世界遺産に「長崎・天草の潜伏キリシタン関連遺産」が登録された時に、たまたま、皆川達夫さんの書かれたこの文章を読みました。

オラショとグレゴリオ聖歌とわたくし

生月島のオラショ。年月を経て、日本的な節回しになっていても、奇跡的に原型が残っていたことに私はとても驚きました。それだけ大切に大切に守り続けていたものなのだということが伝わってきました。

そして、皆川さんの、元の聖歌をたどろうとする熱意。長年の研究の結果、蓄積されている知識の厚み。

そういうものがあったからこそ、元の聖歌にたどり着けたということに感動し、非常に印象に残っていました。

今回の、この本の最後の章に、日本とヨーロッパの音楽のつながりが書かれていて、オラショとグレゴリオ聖歌のことが書かれていました。

そればかりではなく、日本の箏曲、八橋検校の「六段の調べ」との関連の可能性についても述べられていました。

音楽が人の心の深いところを動かすからこそ、残っていく「何か」があるのかもしれません。

ギョーム・デュファイについて

確かにこの人物についても「勉強した」ような気がします。でも、内容は覚えていませんでしたし、実際にどんな曲があったか、全部忘れていました。

バッハと比較して述べている内容を読んで、時代の節目にはこういう人物が現れ、次の時代の扉を開くのだ、ということを改めて思いました。

 このようにして、それまでフランス、イタリア、イギリスなどで、それぞれ独自の展開をみせていたもろもろの音楽技法が、ブルゴーニュおよびその属領のフランドルで、総合化、国際化をみせることになった。その総合化の仕事を、もっとも著しく、もっとも精力的に果たしたのが、ギョーム・デュファイであった。

 彼は、その後のモンテヴェルディあるいはバッハと同じく、前の時代のもろもろの音楽技法を彼一身のうちに摂取し、同化し総合し、しかもその作品のすべてに彼自身の強烈な個性をきざみこんでいった、巨人的なスケールの作曲家であった。

皆川達夫 中世・ルネサンスの音楽 第五章 ルネサンス音楽を作った作曲家たち p.135

聞いてみたのですが、残念ながら、その前後の音楽をしっかり把握しているわけではないので、「同化・総合・個性」をはっきり感じ取れたわけではありません。

ただ、それまでのグレゴリオ聖歌と違い、3度の響きが多く聞こえ、そうするとずいぶん今につながる響きになる、という印象は残りました。

ヨーロッパというまとまり

全体を通して、強く感じたのは、ヨーロッパという陸続き(イギリスは島国ですが)の地域のまとまりの強さ、つながりの深さです。

例えば、フランドル楽派の人々は今のベルギー・フランスからヨーロッパ各地に行って活躍し、故郷に戻ってくる。

王室どうしの結婚によって、宮廷の文化も移動していき、影響しあっている。

このあたりは、日本という島国で生活している日本人の感覚とは大きく違うのかもしれません。

その中で、音楽も混じり合い、結果的に発展していったのだ、ということがとても良くわかりました。

皆川達夫さんには、「バロック音楽」という著作もあるので、続いて読んでいこうと思います。今度は鍵盤楽器もきっともっとたくさん取り上げられているでしょうから、よりピアノにつながるさまざまな学びがあると思います。